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第七十七話:『朝の檻、あるいは所有の確認』


夜が明けた。


カナは二日酔いの重い頭を畳から持ち上げ、部屋の中を見渡した。コウタはすでに起きていて、機材バッグの前でドローンのプロペラを拭いている。いつもの朝だ。昨夜の「バディ」という言葉が、まだ耳の奥に残っている。


(にひ。バディ、か)


カナは口元を緩ませかけて、すぐに引き締めた。調子に乗るな、と自分に言い聞かせる。あんなのは酔った勢いだ。そうに決まっている。


「起きたか。今日はロケハンだぞ。仏御前っつう史跡があってよ、境界ギリギリの穴場スポットなんだ。お前、適当に歴史語って、俺がドローン回す。楽な仕事だ」


コウタはプロペラから目を離さずに言った。仏御前。知らない名前だ。どうせまた、昔の女の話だろう。


「へいけものがたり、だっけ。あんた、そんなの詳しかったんだ」


「ネットでちょっと読んだだけだ。平清盛つう権力者に寵愛された白拍子が、最後は逃げ帰ってきた場所らしい」


「はあ? 逃げたの? せっかく手に入れた男から?」


カナは顔をしかめた。手に入れたものから逃げるなんて、理解できなかった。手に入れたものは離さない。それが自分の生き方だ。


「そういう話じゃねえらしいけどな。まあ、詳しくは現地でな」


その時、コウタのスマホが震えた。彼は画面をチラリと見て、わずかに眉を動かす。実家からだ。カナにはすぐにわかった。


「出ないの」


「あとでかけ直す。仕事中だ」


コウタはそう言ってスマホをポケットにしまった。その動作に、カナの胸の奥がざわつく。実家。帰る場所。自分にはないもの。いつか彼を連れ戻しに来るかもしれない場所。


(バディ、なんて言ってたけど。あんたには、まだ帰る場所があるんだ)


カナは立ち上がり、冷蔵庫からストゼロを取り出した。朝から酒を開ける自分を、コウタは何も言わずに見ている。いつものことだ。


「ねえ、コウタ。あんたさ、実家に帰りたいって思う?」


「何だよ、急に」


「いいから答えてよ」


コウタは手を止め、少しだけ考えてから言った。


「帰りたいって思うこともある。でも、ここにいる」


「なんで」


「なんでって、仕事があるからだろ」


嘘だ、とカナは思った。仕事ならどこでもできる。でも、彼はここにいる。その事実だけで、今は十分だ。


「そう。じゃあ、仕事がなくなったら帰るんだ」


「そうは言ってねえだろ」


カナは缶を煽り、喉を焼く炭酸で胸のざわつきを押し流した。これ以上聞いたら、自分が醜くなる。バディと言われた翌朝に、こんなことを問い詰める女になりたくない。


「わかった。もういい。ロケハン、行くよ」


彼女は機材バッグを乱暴に持ち上げ、玄関へ向かう。コウタはその後ろ姿を見つめ、何か言いたげに口を開きかけて、やめた。

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