表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
76/105

76

第七十六話:『不確かな光、あるいは唯一の真実』


三本目のストロングゼロが空になり、アルミ缶が畳の上で虚しい音を立てた。

窓の外、夜明け前の薄闇が、青白く部屋の輪郭を削り出している。

カナは、酒の熱に浮かされながら、コウタのシャツの裾をぎゅっと握りしめた。

指先が震えているのは、アルコールのせいだけではない。

ふとした瞬間に訪れる、底なしの「未来」への恐怖が、彼女の喉元までせり上がっていた。


「ねえ、コウタ。怖いよ。お金も、時間も、自由も。全部手に入れたところで、私、ずっとこうして不安なままなのかな」


カナの声は、子供のような無防備さで震えていた。

コウタは、最後の一口の日本酒を喉に流し込むと、重い溜息とともに、天井の染みを見つめた。

彼の瞳は、先ほどまでの熱狂とは違う、どこか凪いだ海のような静けさを湛えている。


「映画だとカットされてんだけどな。あれ、本当はお互い不安なんだよ。あの夫婦もさ。未来のこと考えると、足が震えて、立ってらんねえんだ」


「未来のこと? あの、ヒーローも?」


「ああ。過去は変えられねえし、未来は不安しかない。現在だって、仕事と家庭の板挟みで、疲れきってる。それが、あいつの本当の姿だよ。だからさ、あいつは叫ぶんだ。『理不尽を、粉砕する』って。あれは、自分の弱さをぶっ壊すための叫びなんだよ」


コウタの言葉は、まるで自分自身の胸の奥を覗き込んでいるかのようだった。

カナは、彼の胸に顔を埋める。

「現在」という重圧に押しつぶされそうな、生身の男の鼓動が聞こえる。


「そうなの? あんなに強いのに?」


「強いからじゃない。あれは、子供が気づかせるんだよ。あの映画はさ、最初から最後まで、子供が主人公を助け続けてる物語なんだ」


コウタは、カナの頭をゆっくりと撫でた。

その掌は、酒で少し火照っていて、けれど驚くほど穏やかで、温かかった。


「完璧な父親なんて、どこにもいねえんだ。失敗して、絶望して、泥水を啜って。それでも立ち上がれるのは、子供が『お父さん』って呼んでくれるからだ。完璧じゃなくていい、あったかい手があればいいって。あいつに、チームを組もうって言ってくれる存在がいるからなんだよ」


カナは、コウタの語る「救済」の形に、息を呑んだ。

自分が求めていたのは、三億の金でも、広い家でもなかったのかもしれない。

ただ、この不完全な日常の中で、誰かに「そのままの自分」を肯定され、必要とされること。


(にひ。あったかい。コウタの手、あったかいよ)


カナは、コウタの掌に自分の頬を擦り寄せた。

酒が切れ、虚脱感が全身を支配し始める。

けれど、コウタの掌の温もりだけが、暗い海の底に降ろされた錨のように、カナを繋ぎ止めていた。


「コウタ。いつかさ、私たちにも、そんな『チーム』ができるかな」


「今さら何言ってんだよ。とっくに俺ら、チームってか、バディだろ」


コウタは少し照れくさそうに笑い、カナの肩を乱暴に抱き寄せた。

「チーム」という言葉が持つ、どこか義務的な響きを追い越し、「バディ」という、より泥臭く、切り離せない運命を彼は選んだ。


夜が明ける。

また、血と泥と、嘘の配信にまみれた「現在」が始まる。

けれど、二人の胸の奥には、映画の蒼い光よりも静かで確かな、小さな火が灯っていた。

それは、未来という名の怪物を打ち倒すための、たった一つの武器だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ