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第七十四話:『未完の地図、あるいは砂の城』


夜が深まるにつれ、アパートの床には空き缶と酒パックの残骸が、討ち取られた兵士のように転がっていった。

九パーセントの毒は、カナの脳から「禁酒の恐怖」を一時的に切り離し、代わりに万能感に近い高揚を流し込む。

彼女はコウタの太ももに顔を擦りつけ、熱を帯びた吐息とともに、映画の残像を吐き出した。


「コウタ。やっぱり、こどもほしい。映画のさ、あの主人公みたいにさ。理不尽、滅殺! って。私も、強くなれるかな」


アルコールで呂律が怪しくなりながらも、カナの瞳には映画の「蒼い光」が宿っている。

コウタは、自分のグラスに新しい酒を注ぎ足しながら、鼻で笑った。

その顔は赤く、彼もまた、現実の重力から少しずつ浮き上がり始めている。


「あ、あ、理不尽、滅殺! か。いいぜ。お前が本気なら、俺も覚悟決めるわ。お酒、飲まないんだろ?」


「お酒、飲まない。飲まないから。だからさ、コウタ。よし、一緒にゲームするぞ。あの、キャプスマみたいにさ」


カナは、床に放り出されていたコントローラーを手に取った。

指先が上手く動かない。けれど、その感触だけが、今は唯一の「未来」への接点のように思えた。

しかし、ふとした拍子に、映画館へ行く前に通り過ぎた、あのショッピングモールの情景がフラッシュバックする。


「コウタ。オイモの三階の、こどもパーク。あれ見てさ、なんか、どうしようもなく、やるせないの」


「ん? 酒、もっと飲むか。こどもぱーく? なんだっけ、それ」


コウタは酒を呷り、記憶の糸を辿るように目を細めた。

カナは、膝を抱え込み、爪を立てて自分の腕を少しだけ掻いた。


「そう。まともな家族見るとさ、どうしようもなく、むかつくの。なんで、あんな。なんであんなに、光ってるの? 私たちが、あんなに泥水啜ってるのにさ」


「家族? ああ、あの光る家族連れか。カナ。お前、家族とか、大嫌いだと思ってたわ」


コウタの言葉は、酔客の戯言のように響きながらも、カナの核心を突いていた。

カナは、自分が否定し続けてきた「普通」という暴力的な眩しさに、本当は一番焦がれていたのだ。


「あっ」


言葉に詰まり、誤魔化すようにコウタの首筋に腕を回した。

アルコールの熱を、相手の体温で冷やそうとするように。


「コウタと二人で、遠く行きたい。誰も知らない、ずっと遠く。配信も、魔物もいない場所」


「そうだな。どうせなら、家でも広いのがいいな。軽トラの荷台じゃ、足も伸ばせねえし」


「家! 二人の! コウタ、言ったね。私たちの、おうち」


カナの瞳が、歓喜で潤む。

広い家。二人だけの城。そこでなら、きっと「理不尽」に怯えずに生きていける。

しかし、コウタは次の瞬間、現実の重石をさらりと放り投げた。


「まあ、実家あるしな。あそこなら、広いぞ。ボロいけどな」


カナの動きが、凍りついた。

実家。

それは、コウタの「過去」であり、自分が入り込む余地のない、決定的な他人の歴史だ。


広い家、という夢の輪郭が、急に薄汚れた木造建築のイメージに塗り替えられていく。


(……実家? そこに、私が行くの? お義母さんとか、いる場所に?)


カナの胸に、幸福感とは別の、ぬるりとした不安が這い上がってきた。

ストロングゼロの空き缶が、指の間でペコリと音を立てて凹んだ。

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