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ギルドの待合ロビー。
床は磨かれ、空気は無菌室のように澄んでいる。
だが、そこに立つ管理官の声だけが、腐臭のように場を汚していた。
「ええ、ええ局長。はい、今回の魔石輸送ですが――現場の判断がね、少々軽率でして」
スピーカー越しの声に、管理官は深くうなずきながら、わざと肩をすくめる。
「私は何度も“慎重に”と言ったんですよ? ですが彼らは“現場は現場で考えます”と……ねえ?」
周囲を見渡し、同意を求めるような薄笑い。
その目は、
“俺は悪くない”
“俺は被害者だ”
“俺は管理している側だ”
という三つの保身だけで濁っている。
コウタは静かに言った。
「……あなた、あの日、連絡を切りましたよね」 「飲み会があるからって」
管理官は一瞬だけ表情を歪める。
だがすぐに、芝居がかった溜息で塗り替えた。
「はぁ……これだから現場は困る。
私生活の話まで持ち出すのは、組織人として未熟ですよ?」
局長に向けて声色を変える。
「ご覧ください局長。彼は“自分の判断ミス”を、私のせいにしようとしている」
コウタの目が冷える。
「判断を丸投げしたのは、あなたです」
管理官は首を振る。
「私は“任せた”だけです。
“信頼”という言葉をご存じですか?」
その瞬間、カナの呼吸が変わる。
管理官は続ける。
「失敗した時だけ上司を呼ぶ。
成功した時は現場の功績。
失敗した時は上司の責任。
……実に都合のいい考え方だ」
そして、コウタを見下ろす。
「君たちはね、“責任を取る覚悟”が足りない」
カナが一歩踏み出す。
「責任って言葉、あんたの口から出すと腐臭しかしないわね」
管理官は眉をひそめる。
「感情論は結構。私は“管理”をしているだけです」
「管理?」
カナの声が低くなる。
「部下に丸投げして、酒飲みに行くのが管理?」
「結果だけ見て、都合よく報告書を書き換えるのが管理?」
「スピーカーで電話して、“自分は苦労してます”って演技するのが管理?」
管理官は声を荒げる。
「黙れ! 君たちは組織の歯車だ!
歯車が文句を言うな!」
その瞬間、コウタが静かに言った。
「……だから、組織が腐るんですよ」
管理官は凍りつく。
「歯車は、壊れたら交換すればいいと思っている。
でもな、壊れる前に油を差すのが管理だ」
「あなたは油じゃない。
錆そのものだ」
一瞬、ロビーの空気が止まる。
管理官は笑おうとする。
だが、笑顔は歪み、引きつる。
「……局長、聞きましたか?
これが現場の態度です。
教育が必要ですね、本当に」
カナが吐き捨てる。
「教育が必要なのは、あんたの人間性よ」
管理官は何も言い返せない。
ただ、スピーカーの向こうに逃げる。
コウタがカナの腕を引く。
「行くぞ。
ああいう連中は、言葉じゃ変わらない」
「じゃあ何で生きてんのよ、ああいうゴミ」
「……自分が無能だって事実から逃げるためだ」
カナは舌打ちする。
「責任も取れないくせに、立場だけ欲しがる。
ほんと、吐き気するわ」
コウタは静かに答える。
「だから俺たちは、ああはならない」
「背中だけは、預けられる人間でいよう」
カナは一瞬だけ、柔らかく笑った。
――その直後だった。
スピーカーから、再び管理官の声が響いた。
二人はもう通路の角に差しかかっている。
だが、声はわざとらしいほど大きく、
“聞こえる距離”を計算した音量だった。
「ええ局長。今のやり取りですが……はい」
管理官の声は、さっきまでの動揺を完全に消している。
「ご覧の通り、現場は感情的でしてね。
取引先への説明も、少々不安が残ります」
コウタの足が、止まる。
「ええ、ええ。
今回の件は“現場の独断が主因”という形で整理しておきます」
カナの指先が、わずかに震える。
「ええ、私も心苦しいのですが……
組織としての信用を守るためには、仕方ありません」
一拍置いて、管理官は“ため息混じりの善人の声”で続けた。
「彼らは優秀なんです。
ただ……責任の取り方を、まだ理解していないだけで」
その瞬間。
コウタの喉が、かすかに鳴る。
管理官は、わざと通路の奥を見て、
二人の背中に向かって、はっきりと言った。
「取引先には、
“現場の判断ミスを私が必死にカバーした”と説明しておきます」
沈黙。
カナの笑みが、完全に消える。
「……聞いた?」
コウタは答えない。
スピーカーから、さらに追い打ちが来る。
「ええ、局長。
現場はどうしても“自分たちの責任を認めたがらない”ので」
「教育が、必要ですね。本当に」
通話が切れる音。
ピッ。
その電子音が、やけに大きく響いた。
カナが、ゆっくり振り返る。
「……ねえコウタ」
声が低い。
怒りよりも、もっと冷たい温度。
「あれ、私たちの人生を、平気で踏み台にした音よね?」
コウタは、拳を握りしめたまま答える。
「……ああ」
「私たちが泥をかぶる前提で、
あいつは“管理者の顔”で生き延びる」
「それが……あいつの仕事なんだ」
カナは歯を食いしばる。
「さっきまで“被害者”だったくせに」
「今はもう、“被害者を作る側”に戻ってる」
コウタは、目を伏せたまま言う。
「……だから、あいつは壊れない」
「壊れない代わりに、
周りを壊し続ける」
カナが吐き捨てる。
「最低」
「最低だよ、あいつ」
コウタは、静かに言った。
「でもな……」
「俺たちは、
ああやって誰かを踏み台にしないと立てない人間にはならない」
「泥をかぶってもいい」
「嘘を吐いて生き残るより、
汚れてでも、正面で立つ」
カナは、少しだけ目を伏せる。
「……それ、しんどい道よ」
「わかってる」
「でも」
コウタは、まっすぐ前を向いた。
「俺は、背中を向けた時に刺されるより、
正面から殴られる方を選ぶ」
カナは一瞬だけ黙り――
そして、今度はさっきよりも少し苦い笑顔で笑った。
「……ほんと、バカね」
「でも」
「そのバカさ、嫌いじゃないわ」
二人は何も言わず、再び歩き出す。
背後では、
誰かがまた“責任”を塗り替えている。
だが――
少なくともこの二人は、
その泥の上に、自分の足で立っていた。




