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第五十話:『鏡の魔力、あるいは自己完結の女神』

 動画は、コウタが予想したほど長くはなかった。

 『愛される女の条件:内側から輝くボディライン』。そんなタイトルが画面に踊り、講師がもっともらしい理論を説いている。カナは食い入るようにそれを見つめていたが、途中でふと、何かを確かめるように立ち上がった。


「……ボディライン。……そうよね、まずはそこからよね」


 カナは無造作に服を脱ぎ捨て、下着姿になると、姿見の前に立った。

 鏡に映っていたのは、酒と不摂生に溺れた生活からは想像もつかないほど、美しく、そして鋭く鍛え上げられた女の肢体だった。

 

 魔物と殺し合い、死線を越え続けてきたハンターの肉体。

 余分な脂肪など微塵もなく、滑らかな肌の下には強靭な筋肉が計算し尽くされたかのような曲線を描いている。酒焼けした喉や充血した瞳とは対照的に、その体は神話の女神のように完成されていた。


「……あれ? ……これ、……私、……完璧じゃない?」


 カナは自分の腹筋に指を這わせ、次にしなやかな太ももを眺めた。動画の講師が語る「理想」など、疾うに超越している。

 その瞬間、カナの脳内で全てのピースが繋がった。


「……そうよ! コウタ、やっぱり私のこと分かってたのね! だから、この動画を勧めて……私が自分自身の完璧さに気づくように仕向けたんだわ!」


 恐ろしいほどのポジティブ変換。

 カナは嬉しくて、もうじっとしていられなかった。せっかくコウタが寝静まったことなど、今の彼女の辞書にはない。


「……ねえ! 起きなさいよコウタ! 見て! 私、完璧だったわ!」


 カナは布団にダイブし、熟睡していたコウタの肩を激しく揺さぶった。


「……ん、……んだよ……。まだ三時……」



「三時とかどうでもいいわよ! ほら、見て! 私の体、あんたが思った通り完璧だったでしょ!? やっぱりあんた、私のこと大好きなんじゃない!!」


 コウタは薄目を開け、目の前で下着姿のまま、全能感に酔いしれて輝いているカナを見た。

 その肉体の美しさと、中身の救いようのない身勝手さ。


「……お前、……本当にいい性格してら……」


 コウタは呆れ果てて、けれどその「あまりに都合のいい女」の熱気に当てられ、わずかに口角を上げた。


「……身体? ……ああ、俺はカナの身体も綺麗で好きだけどさ。……カナの性格のほうが、もっともっと好きだぞ?」


 半分寝ぼけた、けれど本気で馬鹿にしているような、甘ったるい声。

 その言葉が、カナの中の「何か」に火をつけた。


「……っ! ……い、今、なんて言った!? 私の性格が好き!? ……それって、あたしのこの……あんたを汚したり、執着したり、ぐちゃぐちゃにしたいこの性格が最高ってこと! やっぱり! やっぱりあんたも、最初からそれを望んでたのね!」


 カナの思考が爆走を始める。動画の教えも、世間の常識も、全てが「コウタは私の異常さを愛している」という一つの結論を補強するためだけの材料へと変換されていく。


「……嬉しい! ……あはは! 完璧よ、あたしたち! ……ねえ、もっと言って! 私のどこが好きなの!? 全部! 全部言いなさいよ!」


 カナは狂喜に震えながら、コウタの胸ぐらを掴んで顔を近づける。その瞳は、逃がさないと言わんばかりに爛々と輝いていた。

 対するコウタは、重たい瞼を半分閉じたまま、心底面倒くさそうに吐息をつく。


「……は? どこが好きかって? ……そんなの、ありすぎて言えるわけねーだろ。……一々言わせんなよ、恥ずかしい」


 それは、究極の「逃げ」であり、同時に「全肯定」にも聞こえる魔法の言葉だった。

 カナの動きが、ピタリと止まる。


「……っ! ……ありすぎて、言えない……? ……恥ずかしい……? ……えへっ……! っ! そうよね、そうよね! あんた、私のこと一秒も目が離せないくらい好きなんだものね! 数え切れるわけないわよね!」


 カナの脳内フィルターが、最大出力でコウタの言葉を「溺愛」へと変換していく。

 コウタは内心で(……よし、これで黙るだろ)と毒づきながら、さらに追い打ちをかけるように、わざと顔を背けて呟いた。


「……もういいだろ。……お前のその、……人の話聞かないで勝手に盛り上がるところとかさ。……もう、どうにでもなれよ」



「……あはっ、……今の聞いた!? 『どうにでもなれ』って! ……もう私なしじゃいられないってことじゃない! ……愛してるわ、コウタ。……そんなに私を求めてるなら、一滴残らずあんたを私の色で染めてあげる……っ!」


 もはや動画の「あざといデレ」など、この濁流のような自意識過剰の前には無力だった。

 カナはそのまま、勝利を確信した捕食者の顔でコウタにのしかかる。コウタは「……勝手にしろよ」と呆れながらも、その熱量に抗うことをやめ、ゆっくりと腕を回した。



 「……ねえ、コウタ。……わかったわよ。……これ、あんたの『プレゼント』だったのね」


カナはコウタの胸板に顔を埋めたまま、熱に浮かされたような声で囁いた。

その肌に食い込んでいるのは、あの時コウタが「百万円の真実」と共に与えた、ベージュ色の聖遺物。

「……は? ……プレゼント? ……夜中に下着姿で何言ってんだよ。……お前、まだ酔ってんのか」

コウタは心底面倒そうに、けれどその腕からは力を抜かずに問い返した。

カナはくつくつと喉を鳴らし、勝利を確信した魔女の貌で顔を上げる。


「……とぼけちゃって。……あんたが私に『BBA-URYY』を穿かせた理由よ。……あたしに、……自分自身の『完成』を自覚させるために……最初から仕組んでたんでしょ?」


あの時、コウタは言ったはずだ。「カナが履けば、それだけで百万円なんて超える」と。

動画の講師が語る「努力して手に入れるボディライン」など、この聖遺物を纏い、魔物を喰らい尽くしてきた自分には疾うに備わっていた。


「……あはっ! ……そうよね! あの時あんたが千円でこれを拾ってきたのは、……いつかあたしがこうして、……自分の完璧さに気づいて、……あんたに完全に屈服するための伏線だったのね! ……なんて……なんて恐ろしい男なの、コウタ……ッ!」


カナの脳内では、過去の断片が「コウタの深謀遠慮」という一本の糸で繋がっていく。

一キロのごまドレにまみれて哄笑した夜も、この『BBA-URYY』の繊維が細胞に侵入インベードし、自分を人外の美しさへと作り変えるための儀式に過ぎなかったのだ。


「……最高よ。……この『パンツ』も、……あんたのその、……回りくどい愛し方も! ……見てなさいよ。……あんたが完成させてくれたこの身体で、……一滴残らず、……あんたを私の色で塗り潰してあげるから……っ!」


カナは歓喜の咆哮を上げたい衝動を、コウタの唇を奪うことで無理やり抑え込んだ。

コウタは(……お前が勝手にそう思ってるだけだろ)と毒づくことも忘れ、自分を「救世主メシア」と信じて疑わない、この美しく狂った捕食者の熱に、静かに身を任せた。第五十話:『鏡の魔力、あるいは自己完結の女神』(完結編)


「……ねえ、コウタ。……あたし、決めたわ。……これ、あんたの『プレゼント』だったのね」


カナはコウタの胸板に顔を埋めたまま、熱に浮かされたような声で囁いた。

その肌に食い込んでいるのは、あの時コウタが「百万円の真実」と共に与えた、ベージュ色の聖遺物。


「……とぼけちゃって。……あんたが私に『BBA-URYY』を穿かせて、……わざわざこの動画を見せた理由よ。……あたしに、……自分自身の『完成』を自覚させるために……最初から仕組んでたんでしょ?」


動画の講師が語る「努力して手に入れるボディライン」など、この聖遺物を纏い、魔物を喰らい尽くしてきた自分には疾うに備わっていた。

カナは歓喜の咆哮を上げたい衝動を、コウタの唇を奪うことで無理やり抑え込んだ。

長い、停滞した空気。

唇を離すと、カナの瞳は先ほどまでの狂気とは違う、湿った熱を帯びていた。

彼女は子供のようにコウタの首筋に額を擦りつける。


「……コウタ。……私ね、……コウタのこと、……だいっすき、めっちゃ好き」


あまりにもストレートな、防波堤をすべて取り払ったような甘え声。

コウタは一瞬、息を止めた。

カナの体温と、石鹸の香りと、そして剥き出しの好意が、深夜の冷えた空気を強引に塗りつぶしていく。

コウタはわざとらしく顔を背け、少しだけ耳を赤く染めて呟いた。


「……んだよ、急に。……まだ三時だぞ、寝かせろよ」



「……三時とか関係ないわよ。……ねえ、……今のキス……嫌だった?」


カナはコウタの顎を強引に上向かせ、その瞳を覗き込んだ。

獲物を追い詰める視線。

だが、その奥には「愛されている」と確信した女の、残酷なまでの無邪気さが宿っている。


「……こんなにかわいくて、……きれいで、……ムキムキで、……あんたのこと世界で一番大好きなあたしのキス、……嫌なの?」



「……いや、……嫌じゃねえよ」


コウタの短い、けれど確かな降伏宣言。

それを聞いた瞬間、カナは「あはっ!」と弾けるように笑い、コウタの胸ぐらをぐいと引き寄せた。


「……ふふっ。……私ね、……あなたのそのハッキリしなくて、……何考えてるかわかんないところ、大っ嫌い」



「……なんだよ、それ」



「……陰キャくさくてさ、……いつまでも本心出さないところ、……だーーーーーいっきらい!」


カナは満面の笑みを浮かべ、その言葉の「逆」を証明するように、もう一度深く、コウタの唇に自分の熱を叩きつけた。

拒絶の言葉を、愛の象徴で封じ込める。

逃げ場のない、四畳半の絶対的な密室。

コウタは深く、深くため息をつき、自らの理性という最後の一線を、安酒と一緒に胃の奥へ流し込んだ。


「……なんだよ」


コウタはカナの腰に回した腕に、ゆっくりと、けれど逃がさないように力を込める。


「……俺は…カナのこと好きだよ」


観念したような、けれどどこか清々しささえ感じさせるコウタの言葉。

カナは勝利の喜びに肩を震わせ、今度は泣き出しそうな笑顔で、コウタの全てを飲み込むように抱きしめた。


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