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夜明けの沈黙、歪な再結合
ギルドの自動ドアが開いた瞬間、空気の密度が変わった。
受付カウンターの隅、ストゼロの空き缶が転がるベンチに、彼女は座っていた。
二日間、連絡を完全に絶っていたコウタの姿を捉えた瞬間、カナの瞳から一気に光が消える。
「……よお、カナ。遅れて……」
言い終わるより先に、乾いた音がギルド内に響き渡った。
カナが立ち上がると同時に、コウタの頬を無言で張り飛ばしたのだ。
周囲の探索者たちが息を呑み、静まり返る。
コウタは衝撃で顔を背けたまま、ジリジリと熱を持つ頬を、どこか冷めた心地で受け止めていた。
反論する言葉はあった。だが、目の前で肩を震わせ、今にも崩れ落ちそうなカナの絶望を見て、彼は「正解」を口にする。
「……ごめん。編集、急いでたんだ。お前との動画、少しでも早く、一番いい形で出したくて……ずっと画面にかじりついてた」
コウタの声は、驚くほど穏やかだった。
殴られた痛みさえも、彼女の「飢え」を放置した自分への正当な対価であるかのように感じてしまう。
それが、二人の間にある異常な力学だった。
「……うちに泊まりに来るって言ったじゃない!
惣菜めちゃくちゃのこってる!」
カナの声が震える。
彼女はコウタの胸ぐらを掴み、その場に崩れ落ちるように縋り付いた。
怒鳴る元気すら残っていないほど、彼女の【飢餓の獣】は、孤独という毒に侵されていた。
「……悪かった」
「お前のためにやっていた」という免罪符。
コウタはそれを提示することで、カナの怒りを「自分への申し訳なさ」と「更なる執着」へ塗り替えていく。
「……っ、……ぁ……。……コウタ……」
カナの瞳に一気に涙が溜まる。
自分が放った暴力への罪悪感と、コウタが自分に尽くしてくれていたという歪んだ多幸感が混ざり合い、彼女はコウタの首筋に顔を埋めた。
「……すいません。すいません、ちょっと失礼します……」
コウタは好奇の視線を投げる周囲に対し、淡々と頭を下げた。
そのまま、半狂乱のカナを抱きかかえるようにして、人気のないギルドの裏路地へと連れ出す。
壁に押し付けられたカナは、コウタの匂いを、狂ったように吸い込んだ。
:夜明けの沈黙、歪な再結合
路地裏の湿った空気の中、カナはコウタのシャツを握りしめたまま、泣き声で喚き続けた。
「……泊まりに来るって言ったじゃない! 惣菜めちゃくちゃ残ってるんだよ! マグロだって、あんたが喜ぶと思って高いの買ったのに……!」
「……分かってる。悪かったって」
コウタは頭を掻きながら、小さく息を吐く。
謝りながらも、その視線はカナの剥き出しの執着から少しだけ逃げるように、路地の突き当たりに向けられている。
「マグロ、食うよ。……でもその前に、少しは金稼がせてくれ。二日間休んでギルドのランク下がるの嫌だし。……一仕事して腹減らしてから、お前の家行く。それでいいだろ?」
「……クエスト? いま、そんなこと言ってる場合じゃ……」
「あるんだよ。金がないとマグロも酒も買えないだろ。……ほら、行くぞ。受付、お前がやってこいよ」
コウタはぶっきらぼうにそう言うと、カナの肩を軽く叩いて促す。
カナはまだ目を真っ赤に腫らしたままだったが、コウタの「お前の家に行く」という言葉を反芻し、喉を鳴らした。
「……絶対、今日泊まってよ。……もし逃げたら、今度こそマジで、あんたの脚、動けなくするからね」
捨て台詞のように放たれたその「脅し」は、震える声のせいで、ただの必死な懇願に聞こえた。
コウタはその声を聞きながら、じりじりと熱を持つ頬の痛みとは裏腹に、胸の奥が甘く疼くのを感じた。
「……へいへい。わかったよ」
コウタは自嘲気味に笑った。
本当は、実家の自分の部屋の、あの空虚な静寂に戻りたかったはずだった。
だが、自分なしでは呼吸さえままならないほど崩れ落ち、暴力を振るい、涙を流して縋り付いてくるこの女が、今は狂おしいほど愛おしい。
自分という存在が、これほどまでに誰かの世界を決定付けているという事実に、背筋がゾクつくような全能感を覚えていた。
(……ああ、やっぱり。俺がいないと)
腕に絡みつくカナの指先が、服越しに肌に食い込む。
その痛みと拘束感が、今のコウタにとっては、どんな自由よりも心地よい「居場所」に思えた。
彼は自分を逃がさないようにしがみつくカナの肩を引き寄せ、彼女の依存を全身で受け止める。
「……ほら、行くぞ」
コウタの口角が、無意識に微かに上がる。
彼は再びギルドの喧騒へと、そしてカナという底なしの深淵へと、自ら進んで足を踏み入れた。




