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第三十三話:『偽楽園の換金、あるいは空洞の聖域』


 

深夜、小松市園町。

バイパス沿いに鎮座する『あれ?プラザ小松』の巨大な看板が、網膜を焼くような白光を放っている。

その不自然な明るさは、隣り合うパチンコ店跡の廃墟『パライゾ』を、剥製のように寒々しく浮かび上がらせていた。

アスファルトの裂け目から生えた雑草が、海からの湿った風に揺れ、排気ガスと古いオイルの匂いを巻き上げる。

カナは軽トラック『ダンジョンキャリーMK-II』の荷台で、令嬢の記号である真っ白なブラウスのボタンを、引きちぎるような勢いで外した。

薄暗い荷台の隅へ、清楚な布切れが力なく崩れ落ちる。

露わになった白い肌を、漆黒のバトルスーツが容赦なく、そして慈しむように締め上げていった。

繊維の魔術師『織色オリバネ』製。

主の体温に反応して収縮する特殊繊維は、まるで生きた蛇のように彼女の四肢を食い、骨格を矯正し、戦うための“本来の姿”へと変貌させていく。


「……うわ、眩し。あの中、絶対ヘラヘラ笑ってる奴しかいないわよ。……ねえ、コウタ。あそこの空気、吸ったら肺が腐りそう。……早く、どっか行って」


ジッパーを喉元まで一気に引き上げ、カナは熱い吐息を夜の闇に放った。

喉に食い込む金属の感触が、彼女の意識を鋭く研ぎ澄ませる。

カナは重いアイアン・パイン製のノーマルソードを腰に帯びた。

スーツの圧迫がもたらす物理的な「痛み」が、彼女の深層に眠る【飢餓の獣(ハンガー_ドライブ)】を、泥の中から引きずり出すように目覚めさせていく。

コウタは運転席の横で、ストリーム・ゲート社製端末の「Go Live」ボタンを叩いた。

ドローン四機の赤ランプが一斉に点滅を開始し、死んだパライゾの空間を、網膜を侵食するような赤色で塗りつぶしていく。


「――はーい、皆様。こんばんは。今日から私たちの『研究』を、リアルタイムで見せてあげるわ。……ほら、そこに突っ立ってる無能。ちゃんと私の背中を映しなさいよ。主役が誰だか、その安いレンズに叩き込んであげなさい」


カナはカメラに向かって、獲物を定める肉食獣のような笑みを浮かべた。

自動ドアを抉じ開けた先は、埃とカビ、そして死んだ電子部品の生臭い匂いが肺を汚す異界だった。

かつて数万の鉄球が狂ったように弾け飛び、欲望を加速させていたホール。

今は、大人一人が肩をすぼめてやっと通れるほどの狭い通路の奥から、カチカチと、歯車が噛み合わないような不吉な金属音が響いている。

パチンコ台の隙間から這い出してきたのは、電子基板と配線が癌細胞のように増殖した魔物。

〈基盤喰らい(サーキット_ビースト)〉。

その顔面には蜘蛛の巣状に割れた液晶画面が埋め込まれ、常に「砂嵐スノーノイズ」がザラザラと不気味なノイズを奏でていた。


「……来なさいよ。私の初舞台の『素材』にしてあげる。……せいぜい、高く売れなさいね。一玉も残さず、あんたたちの命、換金してあげるわ」


カナは影の触手【絡め取る残火】を、爆発的な勢いで放射した。

だが、〈基盤喰らい〉は多脚の機械足を台に引っ掛け、重力を無視した三次元的な動きで頭上を跳ねる。

魔物の全身から伸びた剥き出しの配線。

それが高電圧の触手となって、鞭のように空気を切り裂き、カナの皮膚を狙う。


「……カナ、上だ。鋼球が来るぞ」


コウタの叫びがホールに反響した。

同時に、魔物の腹部から錆びたパチンコ玉が弾丸として射出される。

狭い通路の壁を不規則に跳ね返りながら迫る、無数の跳弾。

カナは【絡め取る残火】を盾のように展開し、火花を散らしてそれを弾き飛ばした。

鼓膜を突く金属の衝突音が、彼女の脳裏に、古い記憶の断片を呼び起こす。


「……危ないでしょ無能。どこ狙ってんのよ。私の髪に水がかかったら、あんたの指、全部へし折ってあげるから」


カメラの前で激しく罵倒するカナ。

だがその瞬間、彼女の手が一台の古いパチンコ台に触れた。

割れたガラス。

そこに映り込んでいるのは、漆黒のスーツ姿の自分と――。

かつて、自分の存在を無視してこの席に座り続け、鉄球の行方だけを追いかけていた父親の幻影。

液晶画面の砂嵐が、一瞬だけ「777」の数字を血のように赤く明滅させた。


「……う、げ。……ねえ、これお父さんの匂いがする。……あの、負けて帰ってきた日の、湿ったタバコの匂い。……お風呂も入らないで、ずっとこれ回してたのよ。……キモすぎて、泣きそう」


一瞬の隙を、魔物は逃さなかった。

死角から伸びた配線触手が、カナの肩口を無残に切り裂く。

白い肌に鮮血の赤が滲み、パライゾの埃にまみれた床へと、熱を帯びた滴が滴り落ちた。

痛みが脳を突き抜ける。

だが、彼女はその痛みすらも、視聴者のための「餌」として利用する。


「……ハッ。いいわよ、もっと来なさいよ。私の血も、あんたたちのガラクタも、全部ライブの『餌』にしてあげるから」


カナは苦悶に顔を歪めながらも、カメラに向かって狂気じみた笑みを向けた。

コウタは【肉体回帰(リライト_ログ)】を強制発動させた。

自身の体力を削り取る激痛。

それと引き換えに、カナの裂けた肉が強引に接着され、再生していく。


「何、ぼーっとしてんのよ。今の、最高に惨めだったでしょ。……動画、撮れてた? ……あは、良かったわね。……ほら、手。……早く。……あんたがいないと、立てないんだから」


カナはコウタの肩を乱暴に蹴るフリをしながら、隠すように彼へと寄りかかった。

ドローンは、その歪な関係性を極上のアングルで捉え続ける。

リアルタイムの視聴者数は一万人を超え、コメント欄は無責任な熱狂で埋め尽くされていた。

その時、ホールの奥で巨大な火花が散った。

最後の一体の魔物が爆発。

突如として、死んでいたホールのスピーカーから、割れた電子音が爆音で鳴り響いた。

かつての大当たりを知らせる、呪いのようなファンファーレ。


「……っ! この音、この……やめろ、やめてよお父さん!!」


カナの瞳から理性が消え、【飢餓の獣】が暴走した。

彼女は絶叫しながら、魔物の液晶顔面を剣で滅多刺しにし、台の制御基板を、拳の皮が剥けるのも厭わず粉砕していく。


「……っ、ふぅ。……はは、見てよ。大当たり。……大当たりじゃない」


カナの指が、粉砕された液晶パネルの破片をなぞる。

そこには魔物の死骸から漏れ出した青白い火花が、壊れたネオンのようにチカチカと点滅していた。


「……一玉も残ってない。全部、私が潰した。……ねえ、お父さん。そこに座ってないで、何か言いなさいよ。ほら、この鉄の塊はもう動かない。あんたを縛り付けてた『楽園』は、私がゴミに変えてあげたのよ」


カナは狂ったように笑いながら、魔物の残骸を剣先で抉り出した。

かつて家庭を、母を、そして自分を無視して父が追い求め続けた「確変」の音。

それが今、カナの罵倒と混ざり合い、この廃墟の中で歪なハーモニーを奏でている。


「……カナ、もういい。終わったんだ。これ以上はいい」


コウタの冷淡な声が、ホールのカビ臭い静寂を切り裂いた。

ドローンの赤ランプが消え、視覚的な「観客」が消滅した瞬間、カナの膝がガクリと折れた。

彼女は錆びたパチンコ台の角に額を押し当て、子供のように震え始めた。


「……消えないのよ、コウタ。あの音が、ずっと頭の中で鳴ってる。……お父さんの、タバコの匂いと、負けた日のあの湿った溜息が……この廃墟の壁から染み出して、私を飲み込もうとしてる」


カナの指先が、コウタのズボンの裾を、壊れた機械のように何度も、何度も掴む。


「……怖い。ねえ、一人にしないで。……この札束が、お父さんの命の重さだって、あんたが言ってよ。……私を、ここから連れ出して」


一時間後。

二人は『あれ?プラザ』の無機質な蛍光灯の下にいた。

ギルドの深夜窓口。

パライゾで剥ぎ取った「魔物の基盤」と「視聴者からの投げ銭」が、厚みのある札束へと変換されていく。

カナはその札束を、まるで汚物でも扱うかのように、ビニール袋に放り込んだ。


「……あは。安いわね。あんなに叫んだのに、たったこれだけ? ……ねえ、コウタ。お父さんの人生って、ストロングゼロ六本と、半額のカツオに換金できる程度の価値しかなかったのね」


アパートへ戻る軽トラの車内。

カナは助手席で、狂ったようにスマホの画面をスクロールしていた。

アーカイブ動画。

自分の狂態が「神回」として、見知らぬ他人のコメントで埋め尽くされている。


「……見て。みんな、私が壊れるのを喜んでる。……お父さんも、こうやって誰かに笑われながら生きたのかしら」


カナはストロングゼロのプルタブを、自身の爪を剥がんばかりの勢いで弾き開けた。

アパートに辿り着くなり、彼女はテーブルに札束を叩きつけた。

カツオのパックから漏れ出した赤黒いドリップが、一万円札の福沢諭吉の顔を汚していく。


「ねえ、ここ。このシーン。あんた、私が斬られたとき、一瞬だけカメラの死角で私の手を握ろうとしたでしょ? ……映ってないけど、私にはわかったわよ」


カナはカツオの刺身を指で掴んだ。


「……ねえ、もっと握って。あのパチンコ屋の、冷たい感触が消えるまで、強く……」


刺身を口に放り込む。

強烈な鉄の味がした。

それは魔物の血の味か、あるいは、かつて父が握りしめていた鋼球の味か。

カナはその不快な味を、安酒の人工的な甘みで強引に喉の奥へと流し込み、泣き笑いのような声を上げた。


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