32
第三十二話:『清楚の擬態、あるいはあかまむし戦線』
「……ねえ、何それ。本気で言ってるの?」
バイパス沿い、色褪せた赤い看板に禍々しいフォントで書かれた『ファッションセンター あかまむし』。
ネオンの『ま』だけが死に、夜の帳に『あか むし』と不気味に浮かび上がるその店内に、カナの冷淡な声が響いた。
重低音の効いた爆音トランスが床を揺らし、芳香剤と安物の染料が混ざった生臭い匂いが鼻を突く。
通路の脇には、世紀末の暴徒が着るような「とげ付き肩パッド」や、重厚な「ハンター装備」、さらには「ここはとおさねえぜ」と言わんばかりの威圧的な胸部アーマーが、衣料品として平然と並んでいた。
その横の什器には、なぜか鑑賞用という名目の「火炎放射器」が、蛇柄の型押し財布と並んで鎮座している。
カナは、そんな魔窟のゴミ山の中から、画像のような真っ白なブラウスを執念で見つけ出していた。
200円。けれど、それを纏った瞬間のカナは、昨夜の惨状など微塵も感じさせない、育ちの良さそうな「深窓の令嬢」に擬態していた。
「せめて……せめてオイーンに行こうよ。あっちの専門店なら、もう少しマシな服があるだろ。ここ、服屋じゃないよ、武器庫だよ……」
コウタは、周囲の世紀末ファッションと、レジ横に「時価」で置かれた箱なしKIRIKAE 2の放つ異様な熱気に気圧されながら、必死に抵抗した。
彼にとって、オイーンモーの専門店で買った少し高いシャツは、自分がまだ「まともな世界」に属していることを証明する最後の防衛線だった。
「何それ、オイで頑張ってお洒落したつもり? 嫌やわ……中学生やん。ダサすぎ。あんた、あんな専門店(笑)の端切れで、私に釣り合うと思ってたの?」
カナは鼻で笑うと、コウタが大切にしていたオイーンブランドの記憶を、蝮のロゴが入った蛇柄のゴミ箱へと叩きつけた。
代わりに彼女が手に取ったのは、安っぽいスタッズがこれでもかと打ち込まれた「ここはとおさねえぜアーマー」のライト版だった。
「あんたは、これ。私が選んだ色。清潔そうで、でも私の隣で一番惨めに見えるやつを着なさい」
カナは、涼しげで爽やかな笑顔。
その微笑みを見た店内の「ヤンキー」たちが、毒気を抜かれたように彼女を見つめる。
清楚な聖女が、なぜこんな掃き溜めに――彼らの視線はそう物語っていた。
「嫌だよ。こんなの、気取ってて中学生が無理してるみたいだろ。俺はいいんだ、オイモの服で……」
「……いいから。黙って入ってイモ」
カナの手が、コウタの腕を掴んだ。
清楚なお嬢様の外見からは想像もつかない、骨が軋むほどの暴力的な握力。
彼女は引きずるようにしてコウタを、タバコの吸い殻と蛇の鱗のような糸屑が落ちている狭い試着室へと押し込み、自分もその中に滑り込んだ。
厚手のカーテンが閉じられ、世界が『あかまむし』の澱んだ空気と、カナの熱い吐息だけになる。
途端、カナの「清楚な仮面」が剥がれ落ちた。
彼女は昨夜酷使した足腰の痛みに顔を歪め、コウタの胸元に全体重を預けて縋り付いた。
「…あぁ、いて……」
画像のような清純な姿のまま、彼女はコウタの耳朶を甘く噛み、震える指で彼のシャツのボタンを外し始める。
外からは、火炎放射器の試し撃ちをねだる客の声や、不気味なトランスのサビが聞こえてくる。
その狂った世界のすぐ裏側で、二人は安物の白シャツを媒介に、より深く、より汚く混ざり合っていく。
「これからは……私が選んだ服きなさい。お母さんファッションなんてマザコンだわ」
カナは、コウタの新しい「皮膚」となる『あかまむし』の服を、無理やり彼に着せつけた。
試着室の重いカーテンを跳ね除け、カナは鏡の前に立った。
安物の白ブラウスは、彼女の透き通るような肌をよりいっそう際立たせ、どこからどう見ても高嶺の花にしか見えない。
その横で、カナに選ばれた漆黒の服を纏い、力なく視線を落とすコウタを眺め、カナは満足げに唇を歪めた。
「……完璧。私のセンス、サイコーじゃん。ねえ、コウタも私に決めてよ。500円と100円、どっちが私に似合う? あんたが選びなさいよ!」
カナは山積みにされたワゴンの中から、黒いトレーナーを二枚引っ張り出した。
「……え、やっす。何これ、100円……? こっちの500円のでも十分安いけど、こっちはもはや布代すら怪しいな」
コウタは思わず、値札を二度見した。
オイーンモーの矜持など、この暴力的な低価格の前では霧散していく。
「……じゃあ、100円の方。これ、100円のくせに生地もしっかりしてね? 裏起毛だし、縫製も悪くない。コスパ狂ってるな、この店」
コウタは感心したように生地を指先でこね、素材を確かめ始めた。
一着の服を大切に選ぶという「まともな感覚」が、あかまむしの狂気的な安さに塗りつぶされていく。
「これ、俺の分も予備で五枚くらい買っておこうかな。シンプルだし、部屋着にも外出着にもなるし……お、こっちのVネックも100円だぞ」
コウタは興奮気味にワゴンへ身を乗り出し、漆黒のトレーナーを次々と腕に抱え込んでいく。
自分を支配しようと息巻いていたカナのことなど、今の彼の頭からは完全に抜け落ちていた。
「ちょっと、コウタ! 何よ、服に夢中になりすぎじゃない? 私を見てって言ってるでしょ!」
カナは、予想外の反応に頬を膨らませて憤慨した。
自分を怖がり、縋ってくるはずのコウタが、あろうことか百円の安物に心を奪われている。
彼女はわざとらしくコウタの背中に抱きつき、耳元で甘く、けれど刺すような声で囁き、彼の耳朶を軽く甘噛みした。
「もー……。あんた、私の価値より百円のワゴンセールの方が大事なの? 最低ね、本当に」
カナはちょっかいを出しながら、彼のパーカーの隙間に冷たい手を潜り込ませる。
だが、コウタは「うわ、冷たっ」と短く反応するだけで、その視線は依然としてワゴンの奥に眠る「掘り出し物」に向けられたままだった。
「カナ、ちょっと待って。これ、100円なのに撥水加工ついてる……。信じられるか? 専門店なら五、六千円はするぞ」
「…………信じられないのは、あんたのその空気の読めなさよ」
カナは勝ち誇るはずの場面を台無しにされ、毒気を抜かれたように溜息をついた。
けれど、自分の支配欲すら撥ね退けて「100円のゴミ」に目を輝かせるコウタの横顔を見て、彼女の唇には、諦めと陶酔が混ざり合った歪な笑みが浮かんでいた。
外では火炎放射器のシュゴォォ、という乾いた音が響いている。
カナは、自分と同じ色に染まり、金銭感覚すら狂わされたコウタの腕を、今度は離さないように強く強く絡め取った。
ここまで読んでくれてありがとう。
作者は今日もギャルゲーのせいで気力180くらいマイナス10にとびかけています。
感想・ポイント・お気に入りは、作者の現実逃避から帰還します。




