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第29話:泥濘の独白、剥き出しのカナ
「……あはは、見てよこれ。……アンタのトランクス、ブカブカ。……なんか、囚人服みたい。……お似合いじゃない、私に」
床に直接座り込み、コウタのトランクスを履いた剥き出しの脚を投げ出して、カナはまたストロングゼロのプルタブを弾いた。
テーブルの上の皿には、塩辛いだけの肉が数切れ、冷えて脂を白く固まらせている。
カナの頬は病的に赤く、その瞳は焦点が合っているのかも怪しいほどに濁っていた。
「…………もうその辺にしとけ。明日、動けなくなるぞ」
「明日? ……明日なんて来るの? ……能美の暗闇に飲まれて、あんな無様な映像を世界中に晒して……。……あはは、明日なんて、もうずっと前から死んでるわよ」
カナは空になった缶を床に転がした。
カラカラと虚しい音が、狭いアパートの部屋に響く。
彼女はそのまま這いずるようにして、壁際に座るコウタの膝元に頭を預けた。
アルコールの匂いと、冷えきった肌の熱が、コウタのズボン越しに伝わってくる。
「……ねえ、コウタ。……アンタ、さっき笑ったでしょ。……私の下着、穴が開いてたから。……惨めだって、思ったでしょ」
「……笑ってない。……ただ、自分のことだったんだなって、思っただけだ」
「同じよ! ……そうやって、みんな私を『下』に見て安心するの。……お父さんもそうだった。……パチンコで負けて、顔を真っ赤にして帰ってきて……私を怒鳴り散らしてるときだけ、あいつは自分が『上』だって信じられたのよ」
カナの声が、湿り気を帯びて震え始める。
彼女はコウタの膝を、爪が食い込むほどの強さで掴んだ。
トランクスの隙間から覗く細い太ももが、拒絶するように、あるいは救いを求めるように、小刻みに痙攣していた。
「……家の中、ずっとタバコと借金の督促状の匂いがしてた。……『普通』の家には、カレーの匂いがするんでしょ? ……柔軟剤の匂いがするんでしょ? ……私の家にはね、絶望の匂いしかなかったのよ」
カナは顔を上げ、至近距離でコウタを見つめた。
その瞳の奥にあるのは、怒りでも悲しみでもない。
自分を削り続けて生きてきた者特有の、底知れない「飢え」だった。
「ねえ、コウタ。……アンタの『昨日までの正しさ』、まだ残ってる? ……もし残ってるなら、今すぐ捨てて。……じゃないと、私、アンタのことを壊しちゃいそう」
「……ねえ、コウタ。……アンタ、覚えてる? ……あの時、能美の巨像の下で、私がなんて言ったか」
カナはコウタのトランクスを握りしめ、呂律の回らない声で笑った。
かつて「臭い」と拒絶され、プライドを粉々にされたあの日。
あの時、コウタのシャツを抱きしめて執着を煮詰めていた彼女の闇は、今や隠す必要のない日常となっていた。
「……『アンタは私の隣で、この匂いを一生嗅いでればいい』。……あはは、その通りになったじゃない。……今の私、アンタのトランクス履いて、アンタの不味い飯食って……最高に、アンタの匂いに慣らされてるわよ」
カナは這いずり、コウタの足首を、あのペットショップの魔物のように執拗に締め上げた。
かつて巨像の光線に焼かれそうになった時、彼女は「実家なんて頼らなくて済むように稼がせてやる」と叫んだ。
それはコウタを救うためではなく、彼を「正しい場所」へ帰さないための、必死の檻だった。
「……アンタが実家に帰るたび、私は壊れそうになる。……お母さんのご飯とか、お父さんの思い出とか……そんな綺麗なもの、アンタには似合わないのよ。……アンタは、私と一緒に、この饐えた匂いの中で腐ってなきゃいけないの」
カナはコウタの膝を枕にするように顔を埋め、深く、深く息を吸い込んだ。
かつてコウタに「男の匂いだ」と疑われた、あの執着の結晶。
一晩中、彼の不在を呪いながら一人で煮詰めたあの夜の、逃げ場のない熱が蘇る。
「……私、あの巨像が嫌い。……あんなに大きくて、正しくて、最強で……。……見てると、自分がゴミみたいに思えてくる。……でも、コウタ、アンタがあれを『誇らしい』って言った時……私、本当はアンタを殺してやろうかと思ったわ」
カナは顔を上げ、涙と酒でぐしゃぐしゃになった顔を晒した。
トランクスの隙間から覗く細い脚が、寒さか、あるいは耐えがたい渇望でガタガタと震えている。
「……アンタのヒーローは、アンタを助けてくれない。……でも、私は違う。……私はアンタを一生、この汚い檻から出してあげない。……ねえ、コウタ。……私を、もっと蔑んでよ。……『臭い』って、また言ってよ……っ」
カナは泣きじゃくりながら、コウタのシャツを、あの日のように強く、強く掴んだ。




