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26話:電子の檻と、数万の悪意
「……ねえ、コウタ。もう投稿されたわよ。見て、この伸び方。最高に気持ち悪いわ」
カナは首のない怪獣のように、パーカーの襟に顔をうずめたまま、ソファの上でスマホを掲げた。
部屋に響くのは、パソコンがうなる小さな音と、スマホから鳴り続ける通知の音だけ。
コウタは数分前に動画を上げたばかりで、まだ熱いマウスから手を離し、椅子に深く背を預けた。
「……やっぱり、能美での『負け犬』っぷりは、数字になるな」
コウタが冷めた声でつぶやき、画面を更新する。
再生数は爆発的に伸び続け、視聴者の「声」が、画面を埋め尽くす弾幕となって、泥水のように流れ始めた。
『きたああ! 枷奈様のゴミを見るような目w たまんねえw』
『今日のコウタ、いつも以上に無能。マジでこいつの存在が女性蔑視の象徴だわ。不快極まりない』
『↑フェミさん、こんな不健康な動画にまでシュバってくんなよw』
『この動画を面白いと思える層って、知的な水準を疑うわ。もっと社会的な意義のあるコンテンツ見たら?』
『↑民度高い高い民、今日もパトロールお疲れさまですw 嫌なら見るなよw』
『枷奈、コウタを蹴る時の角度が甘い。もっと深く入れろ。俺ならもっといい悲鳴あげるのに』
『はい、コウタと目があった。これもう間接的に枷奈様に飼われてるドM豚ってことでいいよね?』
『お願いです、もっと踏んでください。コウタの位置を僕に代わってください。一生の、お願いします』
『っていうか、枷奈様って処女だよね? こんな根暗男に指一本触れさせてないよね? ユニコーンは信じてるぞ』
『↑処女厨きっしょwww こんな動画撮ってて無垢なわけねえだろ。あー不潔。動画消せよ』
『不快。こういう「女が強い」を売りにしてる動画、裏で男が脚本書いてると思うと吐き気がする。構造的搾取。』
画面を埋め尽くす、罵倒、欲望、そして「自分は正しい」と信じて疑わない連中の言葉の殴り合い。
動画の本編とは関係のないところで、性的搾取だの純潔だのドMの懇願だのが入り乱れ、コメント欄はみるみるうちに「おわっている」地獄へと変貌していく。
コウタは荒れ狂う新参者たちのコメントを無視して、画面を一番下まで高速でスクロールさせた。
そこには、バズる前から自分たちを監視し続けている「初期組」の、煮詰まった闇のような書き込みがあった。
『前回の5分42秒、座り直した瞬間に布面積の計算完了。黒だな。次からもっとローアングルで頼む。』
『コウタ、昨日14時に小松のコンビニにいただろ。あの時買った酒の銘柄からして、今の体調はD評価だ。しっかりしろ。』
『カナの現在地、今から特定作業に入る。』
『このパーカーの影、○オンの○○ルスーツのモノアイみたいで最高だわ。カナ、次は○ムのマネしろ。』
『小松の星、枷奈様! 地元の誇り! 応援してるぞ! ちなみに今お前の家の前の道路、工事で通行止めだから気をつけろよ!』
新参者の罵倒が可愛く見えるほど、彼らの言葉は具体的で、執念深かった。
コウタは無言のまま、その一つ一つに「グッドボタン」を押していく。
自分たちのプライバシーを切り刻む包丁のような言葉にだけ、彼は親愛を示していた。
「……何よ。またその人たち? アンタ、本当にそのファン連中には甘いのね」
カナが背後から画面を覗き込み、心底嫌そうに顔を歪めた。
「……こいつらは、お前が本当に『命』のポーズで寝てた頃から、俺たちの息の回数まで数えようとしてる連中だ。今の『枷奈様』をキャラとして消費してる連中とは、狂い方の格が違う」
コウタは、自分の住所を特定しようとしているアカウントに向けて、一言だけ返信した。
「。 (句読点ひとつ)」
それは「見てるぞ」という合図であり、共犯者への挨拶でもあった。
「ふん。私を昔から監視してるからって、偉そうに。……ほら、そんなのいいから早く車出して。私のニンニクと香水が混ざり合って、最高の熟成状態なんだから」
カナはそう言って、わざとコウタの鼻先で大きく息を吐き出した。
初期組が嗅ぎたがってやまない「カナの生身」の匂いを、彼女は独占的にコウタへ叩きつける。
「……っ、くせえ。本気で殺す気か、お前」
コウタは顔をしかめてようやく立ち上がり、車の鍵を掴んだ。
画面の向こう側の「狂った隣人たち」を暗闇に沈め、二人は地獄のような異臭を連れて、深夜の街へと繰り出す。
「……見てよコウタ。みんな、自分たちの汚い妄想を勝手にぶつけ合って喧嘩してるわ。最高に滑稽ね」
カナは、画面の中で勝手に炎上し、汚い言葉を投げ合う視聴者たちを、冷めた目で見つめている。
視聴者が自分たちをダシにして争えば争うほど、二人の「檻」はより強固になり、コウタは自分から離れられなくなる。
「……コウタ。編集、お疲れさま」
不意に、カナがスマホから顔を上げ、かすれた声で言った。
「お金が入ったら、新しいトレーナー買ってあげる。下着とかも買いだめしなさいよ。どうせ撮影でボロボロになるんだし」
「あそこの『ペンギン』なら、お酒もアンタのパンツも全部揃うわ。私たちの人生、あそこで全部足りるのよ」
だが、カナはすぐに顔をしかめ、横に転がっている空き缶を振り回した。
「あー、もう。お酒切れた。ねえ、コウタ。『ペンギン』行かない?」
「……『ペンギン』? ああ、あそこの安売り店か。お前、その格好で行くつもりか?」
コウタが呆れたように振り返ると、カナはパーカーのフードをさらに深くかぶり直し、変な形の怪獣のまま不敵に笑った。
「いいじゃない。誰も私たちの『中身』なんて見てないわよ」
そう言いながら、カナは化粧台からきつめの香水瓶を引っ掴んだ。
「あ、待て。お前それ――」
コウタの制止も聞かず、カナは自分の体に香水をこれでもかと振りまいた。
シュッ、シュッ、と鋭い音が何度も響き、部屋の中に甘ったるい香りが立ち込める。
だが、朝食に食べた大量のニンニクの臭いは、そんなものでは消えなかった。
強烈なニンニクの刺激臭と、安っぽい花の香りが混ざり合い、鼻を刺すような、とんでもない異臭に変わっていく。
「……お前、逆効果だろ。地獄みたいな匂いしてるぞ。ニンニクと香水が混ざって、もはや化学兵器だ」
「うるさいわね! 混ぜれば分からなくなるのよ! ほら、さっさと車出しなさいよ、行こ!」
カナはパーカーの中から這い出し、コウタの椅子の背もたれに顎を乗せた。
自分の匂いすら分からなくなったカナは、満足げに鼻を鳴らす。
読んでくれてありがとう。作者はまだ脳がギャルゲーやりすぎてショートしてます。
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