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第25話:共犯の食卓と、新たな毒
「……ねえ。今日、あたし休むから」
薄暗い部屋で、カナは下着姿のまま、だらしなく椅子に座っていた。
昨夜の熱っぽい匂いが、まだ肌に張り付いている。
カナはわざとらしく立ち上がり、無防備な背中を見せながら、冷蔵庫へと向かった。
白くて細い体が、狭い部屋をフラフラとさまよう。
「昨日の動画、あんなに凄かったんだもん。どうせ最高にバズるわよ。今日一日くらい、寝てたっていいでしょ」
冷蔵庫から取り出したのは、水ではなく、飲みかけの缶チューハイだった。
プルタブを開ける高い音が、静かな朝の空気に響く。
本当は、休みたいわけじゃない。
自分を冷たくあしらうこの男が、いつまで「冷静」でいられるか試したいだけだった。
「……勝手にしろ。編集は今やってる」
コウタはパソコンの画面を見たまま、目をそらさない。
カナが裸に近い格好でうろついても、少しも動揺していなかった。
カナはイライラして、一口飲んだお酒をコウタの背中に吹きかけるマネをした。
「ふん。ほんと、機械みたいで気持ち悪い男。ねえ、見てよ。前の動画のコメント欄、『もっと罵倒して』ってファンが飢えてるわよ。アンタが私を満足させられないから、みんなが心配してるんじゃない」
カナはスマホの画面をコウタの目の前に突き出した。
そこには、二人の歪んだ関係を面白がる、たくさんの書き込みがあった。
「……満足? お前が満足することなんて、一生ないだろ」
コウタがようやく椅子を回転させた。
「冷えるぞ。休むならベッドで寝てろ。そこでウロウロされると、編集の邪魔だ」
「……じゃあ、暖めてよ。アンタのせいで冷えたんだから」
カナはニヤリと笑うと、拒絶されるより早くコウタの腰にしがみついた。
冷え切った手を、コウタのパーカーの中に、素肌に向かって滑り込ませる。
「……っ、おい、やめろ。冷てえよ。勝手に手を入れるな」
「嫌。邪魔だって言うなら、もっと酷い邪魔をしてやるわ。
ねえ、これあたしに頂戴」
カナはコウタのパーカーの中に潜り込んだまま、顔だけをひょこっと出して上目遣いに彼を見た。
「……いいよ」
あまりにも、あっけない返事だった。
「いいよ」と言われた瞬間、カナの胸のドキドキは、急に冷めてしまった。
手に入ってしまった。
自分が欲しがれば、この男は、自分が着ている服さえ、どうでもよさそうに差し出してしまう。
「……脱げ」
「は?」
「いいって言ったじゃない! ほら、さっさと脱ぎなさいよ、この根暗男!」
カナは逆上したように、無理やりコウタのパーカーを引っぺがした。
もみ合いになりながら、グレーのパーカーを奪い取る。
コウタはため息をつき、諦めてパーカーを渡した。
「……やっぱり、いらない」
「……お前、いい加減にしろよ」
「あげちゃうって言われると、なんか冷めるわ。ほら、これでも着てなさいよ」
カナは奪ったばかりの服を床に放り捨てた。
代わりにクローゼットから新しいパーカーを掴み出すと、それをコウタの顔に向かって投げつけた。
コウタがそれを着直すのを確認すると、カナは床に落ちた「彼がさっきまで着ていた方」を拾い上げた。
カナはパーカーの裾から頭を突っ込み、首の穴から顔の真ん中だけを無理やり出した。
前髪も耳も、服の中に閉じ込められる。
首のない怪獣のような、変な姿になった。
「……何してんだ、お前」
「ジャ○ラ!がー!」
パーカーの中に閉じ込められたまま、カナは深く息を吸い込んだ。
コウタの石鹸の匂いと、自分の吐き出すお酒とニンニクの匂い。
それらが混ざり合って、逃げ場のない暗闇が彼女を包み込む。
「……くらえ」
コウタが低い声で言い、急に立ち上がった。
彼はカナの顔が覗いている襟のところを掴むと、そのまま強引にフードを前に引きずり下ろした。
カナの視界は真っ暗になり、厚い布が顔を覆い隠す。
「……っ、ちょっと! 何すんのよ!」
前が見えなくなったカナは、焦って目の前の影に向かって飛びついた。
彼女の細い体がコウタの胸にぶつかり、その勢いのまま、二人はベッドへと倒れ込んだ。
「……あはっ」
シーツに沈み込みながら、カナはパーカーの中から、ようやく顔を突き出した。
目の前には、自分に押し倒されたまま、呆れたように天井を見ているコウタの顔がある。
彼のシャツの襟元からは、昨日自分がつけた「しるし」が見えていた。
「……ハハ、首なし怪獣なんてよく知ってんな、お前」
コウタの乾いた笑い声が、狭い部屋に響く。
押し倒されたまま、彼は喉を小さく震わせていた。
カナはその胸元で、赤紫色に残った自分の痕跡をぼんやりと見つめる。
彼の笑い声が体に伝わってきて、自分の胸まで震える。
それが、どんな言葉よりも彼女をドキドキさせた。
「……当たり前でしょ。火星から帰ってきたあいつみたいに、私もアンタに忘れられた被害者なんだから」
カナはパーカーから完全に頭を出し、乱れた髪を払う。
「あいつ、必死で帰ってきたのに、誰も自分だって気づいてくれなかったんだよ。変わり果てた姿になってさ。結局、やっつけられるだけだった」
彼女の声が、少しだけ震える。
「……でも、私は違う。アンタだけは、私のこと、わかってるから」
コウタは答えない。
ただ、カナを乗せたまま、天井を見つめている。
「……あいつも、最初は人間だったんだぜ。火星に置き去りにされて、帰ってきたら、もう誰にも分かってもらえなくなってた」
カナの指が、コウタのシャツの上をなぞる。
「……私もそう。昔の私はもう、どこにもいない。でも、アンタだけは、今の私を見てる」
コウタの手が、わずかに動いた。
カナの髪に触れるか触れないかの、迷うような動き。
それだけで、カナの喉から、小さな吐息が漏れた。
「……さて。そろそろ、動画ができあがる頃だ」
コウタの声は、いつも通り無機質だった。
だが、そこには、ほんの少しだけ、昨日までの冷たさはなかった。
ここまで読んでくれてありがとう。
作者は今日もギャルゲーのせいで睡眠不足で脳のネジが飛びかけています。
感想・ポイント・お気に入りは、作者の現実逃避からです。




