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22話:アイアン・パイン号の暗室
外はすっかり暗くなっていた。巨像のシルエットが、夜空に黒く浮かんでいる。
「カメラ、切ったぞ」
アイアン・パイン号の重厚なドアが閉まった瞬間、車内は密閉された静寂に包まれた。
外ではまだ、巨像の咆哮が遠く地鳴りのように響いている。
コウタは運転席に深く身を沈め、ハンドルを握る手の震えを抑えるために力を込めた。
全身を、猛烈な倦怠感と吐き気が襲う。
「貸しなさいよ、それ」
助手席のカナが、泥に汚れた手でコウタの腰からストロングゼロの缶を奪い取った。
プルタブを弾く乾いた音が、静かな車内に異様に大きく響く。
彼女は一気に半分ほどを喉に流し込み、熱い吐息と共に背もたれに頭を預けた。
先ほどまで「枷奈」として叫んでいた傲慢な仮面は、もはや影も形もない。
「……ねえ。さっきの、撮れてた?」
「ああ。ドローンは最後まで回ってた。光線がショップを焼き払うところも、お前が魔石を欲しがって、俺が引き摺り下ろしたところも。……全部な」
カナは窓の外、遠ざかっていく巨像の黒いシルエットを見つめた。
暗い車内のモニターに映し出される未編集の映像。
そこには、圧倒的な死の光を背に、互いに縋り付くようにして泥を這う二人の姿があった。
「…………カットね」
「え?」
「私がアンタに『実家なんて頼らなくて済む』って言ったところ。あそこ、全部カットしなさい。音声も、私の顔が映ってるところも」
カナの指先が、空き缶のアルミをミシリと歪ませた。
ビジネスとしての「不仲」を守るためではない。
あの一瞬、巨像の光に焼かれそうになりながら、コウタを失う恐怖で剥き出しにしてしまった自分の「内面」が、世界中に晒されることに耐えられなかったのだ。
「わかった。あそこはカットする。『無能な助手のせいで魔石を取り損ねた』って、お前が俺をなじるテロップに変えとくよ」
「そう。それでいいわ。完璧。完璧なゴミ動画の出来上がりね」
カナは力なく笑い、残りの酒を飲み干した。
コウタはエンジンをかけ、軽トラを小松へと走らせる。
「……それにしても、やっぱあの巨人、最強だわ。……あんな光線、掠っただけで即死だぞ」
コウタがハンドルの振動を感じながら、恐怖を吐き出すように言った。
あんな「絶対的な正解」を突きつけられたら、人間の努力など砂上の楼閣にしか見えない。
「……何よ。3分あるんでしょ? 次のチャージまで。……その間に、懐に潜り込んで倒せばいいじゃない。……私ならやれるわよ」
カナは強がって、空き缶を指先で弾いた。
「……無理だよ。……そもそも、基本スペックが違いすぎるらしい。……光線なしでも、あの像には誰も勝てない。……ギルドの記録でも、生存率が絶望的なんだ」
コウタはふっと、視線を前方に戻した。
その横顔には、恐怖とは別の、どこか救われたような色が混ざる。
「……でも、ちょっとな、嬉しいんだよ。……姿はあんなんなっちゃったけど。……あの像が最強なのがさ」
「……はぁ? アンタ、頭焼かれたの?」
カナが不審そうに眉を寄せ、酒の回った瞳でコウタを睨む。
コウタは小さく笑った。
「子供の頃、好きだったからさ。……俺にとって、ずっと最強のヒーローだったんだ。……だから、誰にも勝てないくらい強くなって、あの場所に君臨してるのが……少しだけ、誇らしいんだよ」
その言葉に、カナは黙り込んだ。
自分を殺しかけた存在を「誇らしい」と呼ぶコウタの歪み。
自分たちを拒絶し、焼き払うほど強大な存在に、幼い日の記憶を重ねて安らぎを得ているコウタ。
その「自分には入り込めない領域」があることに、カナは激しい嫉妬と、それを上回るほどのやりきれなさを感じた。
しばらくの沈黙の後、カナがぽつりと呟いた。
「……ねえ、もしさ。……二人で、あの光に焼かれてたら」
「……何言ってんだよ、縁起でもない」
コウタは眉をひそめ、チラリと彼女を見た。
「あれ、結構人、死んでるぞ。魔石に目がくらんで、逃げ遅れた奴ら」
「……そうなんだ」
カナは窓の外、遠ざかる巨像の影を見つめたまま、静かに言った。
「……だから、足下にあんなにあったんだよな」
「……ねえ、コウタ」
カナの声が、車内の暗がりに溶ける。
「今が、一番私たち、輝いてる?」
「……はぁ?」
コウタは呆れたように息をついた。
「輝くも何も、汚れまみれだよ。泥と酒と、あんたの汗の匂いで、この車中ヤバいことになってる」
「……ハンターなんて、どうせ」
カナは呟くように続ける。
「何にも、ないしね」
「一緒に死ぬとか、考えてないからな、俺は」
コウタのその一言に、カナの唇が微かに歪んだ。
コウタはその笑みの意味に気づかないまま、アクセルを踏み込んだ。
暗い車内で、カナの指がそっと、自分の手首——さっきまでコウタの手が乗っていた場所——をなぞっていた。
「……コウタ。……手、貸して」
カナが、暗闇の中で左手を差し出した。
コウタは一瞬躊躇し、それから自分の手を彼女の掌に重ねる。
泥と、酒の匂いと、冷え切った体温。
最強のヒーローにも救い出せない二人の夜が、ゆっくりと小松へ向けて動き出した。




