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第17話 :清潔感という断絶


アパートに戻る道中、二人の間に会話はなかった。

先行して歩くコウタの背中は、かつてないほど頑なで、背後を追うカナの気配を一切拒絶しているようだった。

部屋に入り、ドアが閉まった瞬間、コウタは荷物を床に叩きつけた。


「……いいか、カナ。よく聞けよ」


コウタは振り返り、玄関先で立ち尽くすカナを真っ向から見据えた。

その視線には、怒りよりも冷淡な「通告」の色が濃い。


「配信者以前の問題だ。今のままでカメラの前に立とうなんて、視聴者を馬鹿にしてるだろ。……お前、今の自分の姿を鏡で見たことあるのか?」


「……なによ、それ。私が、汚いって言いたいの?」


カナの声は震えていた。

恥辱と、指摘された図星への恐怖が混ざり合い、視線を泳がせる。


「汚いんだよ! 部屋も、お前も! 昨日の夜からずっと、……配信は『ビジネス不仲』で売ってるけどな、清潔感がないのはヤバイ、ただの不快なゴミ映像だ。プロなら、最低限の身だしなみくらい整えろ」


コウタは一歩踏み出し、カナの腕を掴んだ。

洗っていない肌の、ねっとりとした不快な感触。

そのまま彼女を脱衣所へと引きずり、浴室の扉を乱暴に開け放つ。


「今すぐ風呂に入れ。全部。……お前がまともな状態に戻るまで、俺は一歩も仕事の話はしないし、カメラも回さない」


「……嫌。……離してよ!」


カナは泣き叫びながら抵抗するが、コウタの力は微動だにしない。

彼は無言でシャワーの蛇口を捻った。

冷たい水がタイルを叩く音が、カナの悲鳴をかき消していく。


「……わかった。わかったわよ……入ればいいんでしょ!?」


カナは崩れ落ちるように床に膝をつき、顔を覆って泣きじゃくった。

コウタはその背中に冷ややかな視線を一瞥だけ投げ、脱衣所を出てドアを閉めた。


リビングに戻ったコウタは、窓を全開にして、部屋にこびりついた執着の匂いを外へと追い出した。

だが、どれだけ空気を入れ替えても、鼻の奥に残る「饐えた匂い」と、実家の澄んだ空気の落差は、消えることがなかった。


「……一緒に入ってよ」


浴室から聞こえてきたのは、絞り出すような、ひどく掠れた声だった。

タイルの上でうずくまっているのか、声は低く籠り、湿った空気に混じってコウタの耳に届く。


「一人じゃ……無理。……ねえ、コウタ。お願い、入ってきてよ」


それは、配信で見せる傲慢な「枷奈」でも、自分を正当化する強がりでもなかった。

自分の汚れを自覚させられ、逃げ場を失った女が、唯一の依存先に縋り付こうとする無様で切実な声だ。

だが、コウタはその言葉に一切の反応を示さなかった。


「…………」


コウタは脱衣所のドアを見つめることもせず、無機質な動作で上着を掴んだ。

扉の向こうでは、カナがまだ「お願い」と繰り返している。

その声を無視して、コウタは静かに玄関へ向かった。


「……コウタ? ねえ、聞いてるの? どこ行くの……待ってよ!」


背後で浴室のドアが勢いよく開く音がしたが、コウタは振り返らなかった。

そのまま外へ出ると、アパートの廊下に冷たい夜気が流れていた。


コンビニでストロングゼロを買い込み、戻ってきたコウタを待っていたのは、静まり返った部屋だった。

コウタは何も言わず、まずリビングの掃除を始めた。

カナが数日間放置したゴミ、飲み干した空き缶、そして何より、彼女が吐いたであろう床の隅々まで。

除菌スプレーを撒き散らし、無機質な動作で雑巾を走らせる。

シュッ、シュッ、と鋭い音が響くたび、部屋から「カナの痕跡」が消えていく。


脱衣所から漏れる光の中に、濡れたままの体でうずくまるカナの影が見えた。

コウタは掃除の手を止めず、袋から取り出したストロングゼロの缶を、彼女の足元へ無造作に転がした。

カラン、と硬質な音が浴室に響く。


「……ほら、これ。飲めば少しは落ち着くだろ」


コウタは彼女の顔を一度も見ないまま、自室へと引っ込んだ。

背後で、プルタブを開ける鋭い音がした。


窓から入り込む冷気が、掃除されたばかりの床をなぞる。

コウタは自分の分として買ってきたウィスキーの小瓶を開け、ストレートで煽った。

喉を焼く刺激が、鼻の奥にこびりついた不快な記憶を麻痺させてくれるのを待つ。


浴室から出てきたカナは、驚くほど静かだった。

濡れた髪から滴る水が、せっかく拭き上げたフローリングを汚していくが、コウタはそれを指摘する気力も失っていた。


「……飲めよ。それ」


コウタが顎で示すと、カナは無言で足元のストロングゼロを拾い上げ、一気に喉へ流し込んだ。

半分ほど空けたところで、彼女はコウタの隣、手の届かない絶妙な距離に腰を下ろす。


「……掃除、ありがと」


カナの声は低く、どこか他人事のように響いた。

だが、コウタの疑念は晴れるどころか、猛烈な勢いで膨れ上がっていた。

きっかけは、ダンジョンで無理やり重ねられた、あの「キス」だ。


「なあ、カナ。お前に聞きたいことがある」


コウタはウィスキーの瓶をテーブルに置き、カナの横顔を射抜くように見つめた。


「お前、俺がいない間、何してた?」


「……何って、配信の準備とか、編集とか……アンタがいなくて寂しかったって、言ったじゃない」


「嘘つけ」


コウタの声が低く地を這う。


「さっきのキス、なんだあれ。……やたら上手くなってたな。俺が教えてないような動きまでしてた。……それに、さっきの匂いだ」


カナの肩が、目に見えて跳ねた。


「風呂に入る前のお前の匂い、あれはただの不潔な体臭じゃない。……何か混ざってた。俺の知らない、何かが。それも、一人や二人じゃないような——」


「…………っ、何、言ってるの? 私が、そんなことするわけ——」


カナの声は途中で詰まった。

その顔に一瞬、本当に理解が追いつかないような表情が浮かんだ。

困惑——それは、演技とは思えなかった。


だが次の瞬間、彼女はガチガチと歯を鳴らして笑った。


「……ふ、ふふっ。……なによ。嫉妬? アンタ、私のことそんな風に見てたんだ」


「質問に答えろ。……誰かこの部屋に入れたのか?」


コウタの手が、カナの細い首筋に伸びる。

絞めるためではなく、そこにある「真実」を、あるいは「自分以外の何か」を抉り出すかのように。


その瞬間、コウタは自分の中に、とてつもなく醜い感情が渦巻いているのを自覚した

——自分の知らないところで「自分の所有物」が、誰かの手で「より良いもの」に更新されていたことへの、耐えがたい独占欲と嫉妬だった。


カナはその手のひらの下で、小さく震えていた。

恐怖なのか、それとも別の何かなのか、コウタにはもう判別できなかった。


読んでくれてありがとう。作者はまだ脳がショートしてます。

ここでポイント・コメント・お気に入りを押すと、作者の脳みそに微量の安定剤が注入されます。

未入力だと、次回作も意味不明な文章になる呪いが発動します。

ちなみに今日の飯はカップラーメンで済ませました。

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