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毒の再会、鎖の甘美

ドアを開けた瞬間、換気扇の回っていない重く澱んだ空気がコウタの肺を焼いた。

安酒の甘ったるい刺激臭と、数日間換気されていないカナの体臭。

実家で洗ってきたばかりのシャツが、一瞬で汚染されていく感覚に、コウタは逆説的な安堵を覚えた。


「おかえり」


床に座り込んでいたカナが、親しげに這い寄るような動作で近寄ってくる。

彼女はコウタの胸元に鼻を押し当て、肺いっぱいにその空気を吸い込んだ。


「遅い」


実家という「正しさ」への執着が、彼女の歪んだ独占欲を刺激しているようだった。

カナはコウタの首筋を鼻先でなぞりながら、ふと目を細める。


「……どっか変わった場所、行った? なんか、変な匂いも混ざってる」


実家の匂いの奥に潜む、一人で魔物を屠ってきた戦士の匂い。

コウタは表情を変えず、淡々と嘘を吐いた。


「別に。ギルドに用事があっただけだ。手続きが長引いた」



「……ふーん。そ」


カナは疑わしげに鼻を鳴らしたが、それ以上は追及しなかった。

コウタはその隙に、コンビニ袋とタッパーをテーブルに置く。


「ほら、ストゼロ。あとこれ、うちの母さんの差し入れ。食うだろ」


カナはタッパーを開けるなり、手掴みに近い勢いで惣菜を口に放り込んだ。


「……マジ野菜旨い」


実家の母が時間をかけて作った優しい味を、彼女はストロングゼロの暴力的な炭酸で胃へ流し込んでいく。


「あんたの家の飯、毎日これなの? 贅沢すぎ。死ねばいいのに」


口いっぱいに野菜を頬張りながら、カナが歪に笑う。

不意に、カナがコウタの襟首を掴んで引き寄せた。

口内に残る野菜の青臭さと、アルコールの匂い。

それらを力任せに上書きするように、彼女はむさぼるようなキスを仕掛けてきた。

以前よりも執拗で、こちらの呼吸を乱し、喉の奥まで支配しようとする動き。

そこには、実家に帰っていたわずかな間に、彼女が一人で何を「研究」していたのかが生々しく刻まれていた。

だが、密着した瞬間に鼻腔を突いたのは、耐えがたい「異臭」だった。

数日間、風呂にも入らず部屋に引きこもり、執着を煮詰めていた者特有の、えた匂い。

その指先からも、酸化した安酒と洗っていない肌の脂じみた臭気が立ち上っている。

コウタは反射的に、彼女の肩を強く突き放し、その拘束から逃れるように身を引いた。


「……カナ、お前。風呂、ちゃんと入ってるか?」



「…………は?」


カナの顔から、さっきまでの恍惚とした熱がスッと引いていく。

代わりに、ひどく冷たく、濁った色がその瞳に宿った。


「……ちょっと、臭うぞ。部屋もそうだけど、お前自身も。……少し片付けるよ。掃除しないと、これじゃ仕事にならない」


コウタは気まずさを誤魔化すように立ち上がり、デスクの方へ視線を逸らした。


「……デリカシーなさすぎ。何なの? 帰ってきた早々、女の子に向かって。あんたに、私の何がわかるっていうのよ!」


泣き叫ぶカナが、テーブルの上の空き缶を床へ薙ぎ払った。

コウタはそれを無視して、足元のゴミを拾おうと屈み込み、動きを止めた。

デスクの足元、外付けドライブの陰。

消灯しているはずのサブモニターの表面に、閉じる間際だったウィンドウの残像がうっすらと反射していた。

屈み込んだ拍子に、モニターの黒い鏡面に自分の……いや、眠っている自分の顔が浮かんだ。


「触んないでって言ってるでしょ!!」


カナが背後から体当たりするように割り込み、コウタを力任せに突き飛ばした。

その顔は、もはや恋人でもパートナーでもなく、自分の獲物と「隠し事」を守ろうとする獣そのものだった。


「……わかった、わかったわよ! 私がやるから、アンタはあっち行ってて!」


カナは震える声で叫び、コウタを机から引き剥がすように突き出した。

彼女はすぐさまデスクの下へ潜り込み、必死な手つきで「痕跡」を掻き集め始める。

脱ぎ散らかしたままの服、散乱したゴミ、そして――眠る彼を執拗に記録した、あの映像。

それらを物理的に隠し、データをHDDの底へ沈める音が、静まり返った部屋に虚しく響く。

しばらくして、顔を真っ赤にしたカナが、床に投げ出されたゴミ袋の山を指差した。


「……そこは、いいよ。玄関のゴミ袋とか、流しに溜まった空き缶とか。そっち、やってよ。……早く」


彼女なりの、必死の防衛だった。

「大丈夫な場所」をあてがい、コウタの意識を自分の秘密から逸らそうとする、余裕のない命令。


「わかった」


激しいクリック音と、ゴミ袋を乱暴に縛る音が背後で続く。

カナはコウタに背を向けたまま、必死に自分の体でモニターを隠し、醜い現実を上書きしていく。

背中を強引に押され、コウタは部屋の隅、流し場へと追い出された。

コウタは何も言わず、カナが溜め込んだ空き缶を袋に詰め終わったあと、残りの野菜を噛み締めた。

部屋にはまだ、彼女が消し損ねた匂いが漂っている。

実家の味が、もう、ひどく遠い場所のものに感じられていた。


読んでくれてありがとう。作者はまだ脳がショートしてます。

ここでポイント・コメント・お気に入りを押すと、作者の脳みそに微量の安定剤が注入されます。

未入力だと、次回作も意味不明な文章になる呪いが発動します。

ちなみに今日の飯はカップラーメンで済ませました。

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