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嘘の言い分け
父が居間のソファで、重い沈黙を破った。
「コウタ、あまりにも帰ってこないじゃないか。向こうで何を……」
父の視線が、手元のタブレットに向けられる。
そこには、D-tubeに投稿されたコウタたちの攻略動画が映し出されていた。
「……この動画も見た。あの子、カナさんだったか。君に対してあまりにも酷い扱いじゃないか。罵倒して、こき使って。あんな場所にいて、君の心は大丈夫なのか」
父の言葉は、親としての純粋で、正しい心配だった。
コウタは感情を一切動かさず、タブレットを手に取ると、管理画面の収支グラフを表示した。
「……父さん、今の俺たちの仕事は、ただ潜るだけじゃないんだ」
コウタは画面を指で弾き、カナのアパートに揃えた機材リストを見せた。
「素材の売却益を最大化するには、日々のD-tube投稿が欠かせない。あいつの部屋にはそのための高性能な編集ワークステーションと、録画用ドローンのドックが揃ってるんだ。俺が離れたら、機材のメンテナンスも動画の管理も止まる」
淡々と、しかし隙のない口調で事実を並べる。
「素材はギルドの加工業者に丸投げしてるけど、その手配もあそこが拠点じゃないと間に合わない。あのアパートは、俺たちにとっての『編集スタジオ兼、現場事務所』なんだよ。通いじゃ、今の利益率は維持できない」
父が何か言いかけるのを、コウタは遮るように、しかしどこか熱を孕んだ口調で続けた。
「あいつのあの態度は、視聴者が求めている『キャラクター』だ。俺が虐げられ、あいつが暴君として振る舞う。その対比が数字を生んでいる。これはビジネス上の役割分担なんだよ」
コウタはさらに言葉を重ね、親を納得させるための「美談」を紡ぎ出す。
「……確かに、あいつの厳しいところは目につくかもしれない。でも、本当は誰よりもすごい熱量でD-tubeに向き合ってるんだ。俺は、あの子のあの後ろ姿に引っ張られて、一緒にやってるんだよ。世間的には誤解されやすいけど、根はいい人なんだ。高みを目指す現場には、多少の摩擦は付きものなんだ。父さんも、仕事なら分かるだろ」
嘘だ、と内側の自分が囁く。
引っ張られているのではない。鎖で繋がれているだけだ。
「仕事」と「情熱」という言葉を盾に、父の親心を封じ込める。
提示された売却益の数字と、拠点の合理性。
そして息子の「信頼している」という言葉を前に、父は力なく頷くしかなかった。
コウタは無機質な礼を言って二階の自室へ逃げた。
ドアを閉め、鍵をかけた瞬間、肺からすべての酸素が抜けるような虚脱感に襲われた。
理屈なんて、どうでもよかった。
親を説得するために並べた数字も、拠点の合理性も、今のコウタにとっては、カナという毒から目を逸らすための「盾」に過ぎない。
震える指が、スマホの画面をタップする。
通知欄には、カナからのメッセージが狂ったように並んでいた。
『ねえ、今すぐストゼロ買ってきて。死ぬ。アンタがいないから、私死んじゃうんだけど』
その画面を見た瞬間、コウタの口角が、自分でも嫌悪するほどに歪んだ。
あのアパートが拠点として優秀だから帰るのではない。
あの女に「死ぬ」と言われ、自分が必要とされる、あの焼け焦げるような地獄の熱量を、身体が、魂が、激しく求めていた。
コウタが荷物をまとめ、一階に下りると、母がキッチンでタッパーを差し出してきた。
「コウタ、これ持っていきなさい。あっちじゃ野菜なんてまともに食べてないんでしょ」
渡されたタッパーの中には、色とりどりの野菜が盛り込まれた、栄養バランスの行き届いた料理が詰まっていた。
母の、濁りのない真っ当な親愛。
それは今のコウタにとって、あまりにも「正しすぎて」吐き気がするほど眩しいものだった。
「……ありがとう。心配かけて、ごめん」
実家の玄関先に停めた、アイアン・パイン製の軽トラ。
武骨な装甲に覆われたその姿は、静かな住宅街の中で異質な威圧感を放っていた。
「連絡、ちゃんとするから。また、仕事が落ち着いたら顔出すよ」
コウタは母から受け取った野菜盛りのタッパーを、助手席のシートに無造作に置いた。
「……行かなきゃ」
運転席に乗り込み、鍵を回す。
重厚なエンジン音が、実家の静寂を切り裂いた。
この車は、自分の所有物だ。
これさえあれば、一人で戦い、一人で稼ぎ、一人で生きていける。
昨日の単独攻略で、それは証明済みだ。
だが、ハンドルを握るコウタの指は、目に見えて震えていた。
バックミラーに、見送りに立ち尽くす母の姿が映る。
あそこに戻れば、温かい飯と、真っ当な未来が待っている。
だが、今のコウタの脳が求めているのは、そんな「薄味」の幸せではなかった。
ギアを入れ、アクセルを踏み込む。
軽トラは、実家の「正しさ」を置き去りにして、夜の闇へと滑り出した。
数十分のドライブ。
かつては「効率」だけを考えて走らせていたこの道が、今は地獄の底へと続く滑り台のように感じられる。
スマホの通知欄は、今もカナからの「死ぬ」「早く来い」という呪詛で埋め尽くされている。
その横には、さっきコンビニで買い込んだストロング系の缶と『よわよい』の袋。
「健康」と「毒」が並ぶ光景は、今のコウタの内面そのものだった。
「……ああ、分かってるよ」
誰に聞かせるでもない呟きが、エンジン音に掻き消された。
独りで完璧に戦える肉体。
一人で生きていける経済力。
そのすべてを持ってなお、自分を罵倒し、蝕み、焼き焦がす「あの女」がいなければ息ができない。
まもなく、カナの住む安アパートが見えてくる。
そこには、自分たちの偽りの栄光を支える編集機材と、コウタの帰還を狂ったように待つ「半身」がいる。
コウタはブレーキを踏み、アパートの駐車場に軽トラを滑り込ませた。
エンジンを切ると、不気味なほどの静寂が訪れる。
鞄の中のタッパーを掴み、レジ袋の酒を握りしめ、コウタは一度も振り返ることなく、階段を駆け上がった。




