80 それぞれの決断①
ソフィアは羽根ペンをこめかみに当てながら、便箋に向き合っていた。
机の上には、ジラール邸に届いた何通かの手紙が広がっている。
久しぶりにできた空き時間に、まとめて返事を書こうとしていたのだった。
外はよく晴れていて、庭の池には青い空と白雲が映り込んでいる。
水面に浮かんだ睡蓮も、見頃を迎えようとしていた。今も青空の隙間には、薄紅や淡黄、澄んだ白色の浮き花が、たくさん顔をのぞかせている。
庭を眺めていたところ、からりとした風が吹き込んできた。
ソフィアは手紙の束を押さえ込んだまま、慌てて小窓を閉じる。
「さあて。なにを書こうかしら」
右手をどけ、家族から届いていた便りを抜き出す。
文末には、ケビンの『僕も応援に行きたかったなー!』という伝言が添えられている。
前回の手紙で、ソフィアは剣術大会を見にいくと、みんなに伝えていたのだった。
改めて大会のことを思い返し、苦々しく笑う。
「本当に、大変な一日だったわ」
思わずポツリと呟く。あの日はレオンへの処置が終わったあとも、苦難が待ち受けていた。
王太子による公開演技は、おおむね好評だったらしい。控え室で待機していたソフィアたちの耳にも、観客の楽しげな歓声が聞こえてきた。
王太子としての務めを、無事に果たすことができたのだろう。
しばらくすると、王太子は控え室に戻ってきた。腰に携えた剣の、握りの部分には、“ステファニー”が贈ったハンカチーフが結びつけられている。
どうやら、“臣下たちの前で女性の影をちらつかせる”という、当初の目的も達成できたらしい。
「本日は、大変お疲れ様でございました」
ソフィアが恭しく頭を下げたところ、王太子はこちらをじっと睨めつけた。
「殿下、どうかなさいましたか?」
「覚悟はできているか? なぜこんなことになったのか、きっちり説明してもらうぞ、ステファニー!」
話を聞く前から、彼の声は怒気をはらんでいる。
そして質問の嵐と、怒涛の説教が始まった。ニコラス神官と公爵様が止めに入ってくれなければ、夜中まで小言が続いていたかもしれない。
思い出しただけでも、げっそりとしてしまう。本当に長い諭言だったわ、あれは!
ソフィアは気を取り直すと、ケビンに宛てて『いつか一緒に、王立競技場へ行きましょう』としたためた。
みんなには楽しかったことだけを、たくさん伝えていこう。
しばらく筆を走らせていたソフィアは、再び手を止める。そういえば、母親からはレオンの怪我の具合を尋ねられていたのだった。
おそらく、みんなが身を潜めている地域にまで、前回覇者のレオン・ジラールが、怪我を理由に記念試合を辞退した話が広まっているのだろう。
「ええと……『レオン様の怪我は、すっかり良くなりました』」
大会から数日経った今では、レオンも護衛の任に戻っている。
とはいえ、事件の直後は絶対安静を命じられていたにも関わらず、すぐに警備役へ戻ろうとするものだから、みながレオンを引き留めるのに必死だった。
それこそ、使用人たちが代わる代わるやってきては、彼の寝台を監視するほどに。
手紙を書き終わったソフィアは、ふぅ、と一息つく。
レオンが毒に侵されていた時、ソフィアは無我夢中で魔力操作を行った。それが、あの時の自分にできる、最大限のことだったからだ。
けれども、毒を完全に除去できたのは、運がよかっただけだろう。
冷静に振り返ると、治療が間に合わずに最悪の事態を迎えていた可能性のほうが、ずっと高かったはずだ。
あの日から何度も、ソフィアは悪夢にうなされていた。
魔力をうまく操作できずに、毒を取りこぼしてしまっていたら。彼のそばに駆け寄った時、すでに手遅れだったら。
無力なソフィアは、だんだんと冷たくなっていくレオンを、泣きながら抱きしめることしかできなかった。
「私も、人を救けられる力を身につけないと」
スタンドにペンを戻し、独りごちる。
あの一日を経て、ソフィアは治癒魔法を習得することを決心した。
マルクスは納得していないものの、こちらの熱意に負けたのか、基本的な魔術を身につけたあとであれば、治癒魔法を教えてもいいと約束してくれた。
話を聞く限り、聖魔法の分野であっても、マルクスはある程度の術を扱えるらしい。
「術を行使している場面さえ見ることができれば、聖魔法のやり方は、大体分かるからね」
彼はケロリと言い放つ。つくづくあの魔導士長は、天才なのだと思い知らされた。
とにかく、まずは魔術の訓練を頑張らなくちゃ。神官様も、魔力操作の腕を磨くことは、聖魔法の上達にも繋がるとお話しされていたし。
それに、治癒魔法を順番に学んでいけば。もしかすると、兄の記憶を戻す手立てが見つかるかもしれない。
母親から届いた手紙には、エリアス兄さんはまだ、ソフィアのことを思い出せていないと記されていたのだった。
新たな決意を胸に、ソフィアはすみれ色のかわいらしい封筒を手にとる。こちらは、フリオン家から届いた便りだった。
クロエの手紙には、溢れんばかりの賛美の台詞のなかに、兄が負傷させたレオンを気遣う言葉と、リリーの成長具合を見せるために、一度ジラール邸を訪れたい旨がしたためられていた。
たしかに、リリーさんがあれからどうなったのか、とても気になる。
近いうちにここへきてもらえるよう、レオン様とも日程を調整しなければならないわ。
珍しいことにレオンは今、ソフィアの護衛を他の騎士たちに任せて、マルクスの部屋へと向かっていた。どうやら、二人きりで話したいことがあるらしい。
一体、なにを語り合っているのだろう。もしかすると、この封筒に同封されていた、テオドールからの手紙が関係しているのかもしれない。
ソフィアはクロエから依頼された通りに、レオンへ手紙を手渡しただけで、侯爵令息がどのようなメッセージを書き込んでいたのかは、全く把握していなかった。




