44 もう一人の婚約者①
舞踏会が始まるまで、すでに半刻を切っている。
侍女たちに身支度を整えられながら、ソフィアは王城の一室で、もう一人の婚約者候補であるクロエ・ラ・フリオンという人物に思いを巡らせていた。
フリオン侯爵家の長女として生まれたクロエは、待望の女児ということで、両親と兄の愛情を一身に受け、たいそう大切に育てられたそうだ。
鮮やかな赤のロングヘアは、強い巻き毛が特徴らしい。
自信家で高圧的なところがあり、複数人の子女を伴って行動することが多いというのが、資料に書かれた概要だった。
当然のように、彼女と面識はない。しかし、前世でステファニーが“稀代の悪女”と呼ばれていたように、彼女にも別の呼び名が存在していたことを、噂程度に聞いたことがある。
その二つ名は“悲劇の婚約者”。
過去の世界線では、ソフィアとステファニーが出会うよりも前のころ、王太子の婚約者に内定していたのは、実はクロエであった。
では、なぜ彼女に取って代わり、ステファニーが婚約者となったのか。それは、クロエが正式にお披露目される前に、この世を去ってしまったためである。
聞いたところによると、彼女は王太子妃となるべく王城へ日参し、勉学に励んでいたが、その帰路で暴漢に襲われ、帰らぬ人となったそうだ。
当時は未来の王太子妃に対する警備体制の甘さが、ずいぶんと話題になった。その後、再選考が行われることとなり、婚約者の座を射止めたのがステファニーだという。
そのような経緯もあってか、王太子妃教育は、原則的に在宅での学習に切り替えられ、ステファニーの無用な外出は禁じられた。
あまりの窮屈さが要因となり、身代わりを探すに至った可能性は否めない。
準備を終えたソフィアが部屋を出ると、制服姿のレオンが、近くで待ち構えていた。
「さあ、会場へ向かいましょう」
差し出された腕に手を回し、二人はゆっくりと歩き始める。
今夜の舞踏会のため、“モンドヴォール公爵令嬢”に用意されていたのは、柔らかい素材で作られた、淡い水色のドレスだった。
ステファニーよりも痩せ型の自分が、はたしてそれを着こなすことができるのかと案じていたが、編み上げの紐をきつく締めることで難なく解決したらしい。
会場では目立たぬように行動したいというのに、ふんわりとしたドレスは、歩くたびに衣擦れの音を立ててしまう。内心焦るソフィアに、レオンはぼそぼそと語りかけた。
「落ち着いてください。こういった場では、高位の女性から声をかけるのが慣わしです。ステファニーは公爵令嬢ですから、たいていの参加者よりも家格は上。気軽に話しかけられることも、そうそうないでしょう」
「そんなに上手くいきますかね……?」
「それにステファニーは、これまでほとんど社交の場に姿を現していません。ですから、あなたの挙動を見て、不審を抱く者はいないと思います」
気がつけば、大広間の入り口が目の前に迫っている。ソフィアは覚悟を決め、レオンにぎゅっと体を寄せた。
「精一杯頑張りますので、不手際があった際は、フォローをお願いします」
「ソフィア嬢なら大丈夫ですよ、きっと」
穏やかな笑みに目を奪われている間に、音を立てて扉が開かれた。
「ステファニー・ドゥ・ラ・モンドヴォール様ーぁ、ご到着なさいましたーぁ」
癖のある呼びかけを受け、会場中の視線がこちらへと移る。招待客は一様に微笑みをたたえているものの、彼女たちが“公爵令嬢”の品定めをしようとしているのは明らかだった。
「あれが、噂のステファニー様?」
どこからか、客人たちの囁き声が聞こえてくる。ステファニーが婚約者に内定しているという噂話は、どうやら貴族間でも周知のことらしい。
「ずいぶんと懐かしい瞳の色ですこと」
「顔立ちは公爵様に似ていらっしゃるのね」
「表舞台には出られてこなかったのに、いつ殿下から見初められたのかしら?」
さわさわと語られる言葉の中には、好意的でないものも時折混ざっている。
「他の貴族たちと交流を持つのも、立派な義務でしてよ。褒められたことではないわ」
「自由奔放なところは、亡き公爵夫人の影響を受けられているのでしょうね」
「シーっ! あの方の話題は、あまり出さないほうがよろしいかと」
ソフィアは動揺を悟られぬよう、胸を張って歩くことしかできなかった。
人山はレオンとソフィアを避けていき、二人の前には自然と道ができる。その先から、軽やかな笑い声が聞こえてきた。
「うふふっ。お褒めにあずかり恐悦至極に存じます、陛下!」
深くひざを折ったクロエの向かいには、満足げな面持ちのトランキル国王がたたずんでいる。
レオンは密かに目配せをして、ソフィアの手を引いた。
「ああ、レオンではないか。そなたが夜会に顔を見せるなど、珍しいこともあるものだ」
「ご機嫌麗しゅう存じます、陛下。幼馴染の晴れ舞台ですから、付き添い役を務めたにすぎません。さあ、“ステファニー”」
そう言いながら、背中にそっと手を当ててくる。はやる胸をおさえつつ、ソフィアは丁寧に頭を下げた。
「王国の太陽であらせられる国王陛下に、ステファニー・ドゥ・ラ・モンドヴォールがご挨拶に参りました。ご壮健でなによりでございます」
王太子と同じ雪色の瞳が、こちらを射るように見つめている。しばらく沈黙が続き、反応に困っていたところに、王太子が早足で現れた。
「ずいぶんと遅いではないか、ルイス」
「お待たせして申し訳ございません。部屋を出る直前に、王后陛下から装飾品を変えるよう言われたものですから」
親子のやりとりにしては、少し堅苦しい口調で話し続ける二人のもとに、クロエが勢いよく飛び込んでいく。
「王国の若き太陽にご挨拶申し上げます、クロエ・ラ・フリオンでございます! 殿下の身になにかあったのではと、陛下とともに案じておりましたのよ」
げんなりする王太子を挟んで、彼女と国王は話し続けている。
すっかり蚊帳の外に追いやられたソフィアは、はたと気づく。クロエが纏っているドレスは、王太子の着用している純白の燕尾服と同じデザインをしているようだ。
艶やかな白の生地には、銀糸の刺繍が施され、キラキラと輝いている。控えめでありながら、きらびやかな揃いの装いは、まるで婚礼衣装のように見えた。
こちらの視線に気づいた王太子は、バツが悪そうな顔をしながら、つかつかと歩み寄ってくる。
「いくぞ、ステファニー」
「えっ! あの、どちらへ!?」
レオンから引き剥がされ、強引に手を引かれたソフィアは、小走りで王太子の後に続いた。
「そなたは阿呆なのか? 今夜は舞踏会。主賓が踊らねば、会は始められぬだろう」
ソフィアたちが大広間の中央に移動したタイミングで、ゆったりとした円舞曲の演奏が始まる。
さっと頭を下げた王太子に続き、ソフィアは急いで礼を返す。人々に見守られながら、二人は互いの手をとった。
「まあ。これは……」
あどなさを残しつつも、息の合ったなめらかな舞いに魅せられ、観客たちが思わず吐息を漏らす。
「馬子にもなんとやら、だな」
王太子は澄まし顔をしながら、ソフィアにだけ聞こえる程度の声で語りかけてくる。
どうして彼は、こうも意地の悪い言い方をするのかしら。ソフィアは繋いだ手に力を込めぬよう、必死に耐えていた。
前世の私であれば、この物言いに心を痛めていたかもしれない。けれども、あの頃の自分よりも若い王太子に傷つけられるほど、ソフィアも初心ではなかった。
「美しいドレスでしょう。私もそう思いますよ」
想定外であろう強気な発言に、彼の目が瞬く。
「あー……ちょっといいか、ステファニー。その、わざとではないのだ」
変わらぬテンポで踊り続けながら、王太子は小さく呟いた。
「はい? なにがです?」
「それはほら、あれだ。フリオンの娘と私の服が、似てしまっているだろう」
後ろめたげに返された言葉に、ソフィアはすぐ噛みついた。
「まさか、偶然だとでも言うのですか!?」
「いや、まあ……なんらかの手違いだろう。急ごしらえではあるが、そなたとも色を合わせたのだから、そう気を悪くするな」
そこで初めて気がつく。差し色になっている空色の小物類は、私のために用意されたものだったのか。
ちらちらとこちらの様子を窺う王太子が、なんだか可愛らしく見えた。
「そんなことで、へそを曲げたりしませんよ」
ソフィアが笑いかけたところ、彼は口を一文字に結び、顔を背ける。
そういえば、王太子とダンスを踊るのは、これが初めてだわ。さりげないリードのおかげで、こちらもずいぶんと上手く動くことができているような気がする。
けれども、そつのない動きは淡白で、物足りなくもあった。レオン様のダンスは、意外と情熱的だったのね。
そんなことを考えていたソフィアは、足もとに気を配るのを失念してしまっていた。
「いてっ」
王太子が声を上げるのと同じくして、ソフィアはヒールの下に、柔らかい感触を覚えていた。
「わ! 申し訳ありません、殿下!」
「他のことを考えるとは、ずいぶんと余裕があるようだな」
細めた眼に睨みつけられたソフィアは、慌てて本音をぶちまける。
「すみません! ダンスは不慣れなものですから、レッスンで学んだことを思い返しておりました!」
「は……?」
しばらく呆けていた王太子は、忍び笑いを抑え込みながら、嬉しそうに囁いた。
「馬鹿正直に話さずともよいものを」
王太子の突然の微笑みに、会場がざわめきたつ。ソフィア自身も、飾り気のない彼の笑顔を見たのは、ずいぶんと久しぶりだった。
大変長らくお待たせいたしました。
多忙のため、来年度の頭ごろまでは不定期での更新となります。春には第三章を始められるよう努めてまいりますので、今しばらくお待ちいただけますと幸いです。




