35 ソフィアの計画
と、思っていたはずなのに。
「姉さーん。レオン兄ちゃんが遊びにきてくれてるよー」
なぜ私の家で、ジラール卿がお茶を飲んでいるのだろう。こめかみを押さえると、ケビンは得意げに胸を張りながら、姉だけに届く声で囁いた。
「大丈夫、エリアス兄さんには内緒にしておくからさ!」
そういう心配をしているわけではないのだけれども!
ケビンは姉の色恋に気を遣ったのか、寝室へ引っ込んでしまった。諦めてソフィアが腰を下ろしたところ、ジラールは意を決し、こちらに向かい合う。
「単刀直入に申し上げます。私に力を貸してください」
「……まずはどういったご用件か、お伺いしても?」
「もちろんです。ソフィア嬢は、第一王子ルイス様のことはご存知でしょうか」
王太子の名がいきなり飛び出してきて、ソフィアは身構えてしまう。
「ええ。トランキル王国の民で、王太子殿下を知らない者など、いませんからね……」
歯切れの悪い答えに、ジラールは首を傾げつつ話を続けた。
「王太子は国をあげて、婚約者を選定しようとしているところです。表向きは」
「表向き、ですか?」
「はい。実際はすでに、候補者が二人にまで絞られています。お一人目はフリオン侯爵家の御息女、クロエ嬢。そしてもう一人がモンドヴォール公爵家のステファニーです。そのモンドヴォール公爵令嬢というのが、先日、私があなたと見間違えてしまった相手になります」
話題に上がる登場人物が増えるにつれ、次第に不穏な空気が流れ始める。
「確かあの時も、ジラール卿は私のことを、『ステファニー』と呼んでらっしゃいましたね」
「その節は大変失礼いたしました。モンドヴォール領はジラールの土地と隣接していて、私とステファニーは幼少のころから、兄妹のように育ってきたのです。あのおてんば娘は、公爵たちに甘やかされてきたので、少々自由が過ぎるというか……端的にいうと、わがままなんです」
「はあ……?」
ステファニーに対して、そのような印象を抱いたことはなかったが、この頃だと彼女はまだ十四歳のはずだ。だとすれば、私が出会った頃のステファニーとは、性格が違っていたとしてもおかしくはないのかもしれない。
「あいつも、自分が王太子の婚約者候補になったと知らされた時は、それなりに喜んでいました。ですが、いざ蓋を開けてみると、自分よりも家格の劣る侯爵家が台頭していることに不満があったみたいで。この度、候補者の邸宅へ殿下をお招きし、それぞれ選定を行う予定だったのですが、ステファニーは、その……雲隠れをしてしまって」
あまりの驚きに、空いた口が塞がらなくなる。
私の知っているステファニーは、別の意味では破天荒だったかもしれないが、王族との約束を反故にするような、無責任な人物ではなかったはずだ。
「いくら納得できなかったとしても、逃げ出したりしますかね? 自分が姿を消せば、周りにどれほどの影響を与えるかを、その方もご存知だと思うのですが」
「お恥ずかしい話ですが、そこまでは考えていないのでしょう。以前から我を通すために、家を飛び出すことがたびたびあったようなので、今も軽い気持ちでそうしているのだと思います。公爵から聞いたところによると、『見合いに臨む気はない』とだけ書き置きを残し、忽然と姿を消したとか。とはいえ、身近な者たちも連れているようなので、拉致監禁といった類ではないでしょう」
ということは、アンヌもステファニーと共に、行方をくらませているのだろう。相変わらず、何を考えているのかよく分からない人たちだわ。
ジラールは、半目でじっとりと前を見据えるソフィアへ、遠慮がちに続ける。
「ですが、王家との約束において、そのようなことが許されるはずもありません。見合いの場に息女を出さなければ、公爵家の威信に関わります。現公爵には、私自身よくしてもらってきましたから、なにか手助けはできないかと思案していた際に、ソフィア嬢のことを思い出しまして」
「あのう! まさかとは思いますが、私にステファニー様の代わりをしてほしいとか、そんなことを考えられていたりしないですよね!?」
早口で尋ねると、ジラールはばつが悪そうな顔でうな垂れた。
「いや、そのまさかです」
最悪だ。ステファニーに見つかる前に、このような話を持ち込まれてしまうだなんて。
ジラールは苦悩しているソフィアに向かって、深々と頭を下げた。
「私たちを助けていただけませんか。ただ“見合い相手のステファニー”として、席についていただくだけでいいのです。それで婚約の話が流れたとしても、問題ないですし」
「そんな責任重大なこと、私にはとても……ちょっと待ってください。婚約が破談になってもいいと、そうおっしゃったのですか?」
きっぱり断るつもりだったソフィアも、思いがけない言葉を受けて、つい聞き返してしまう。
「はい。見合いへの参加を自ら拒否したのですから、クロエ嬢が婚約者に選ばれたとしても、あいつに文句は言えないでしょう」
「でも、モンドヴォール公爵閣下はお怒りになられるのでは? やはり、家門から王太子妃を輩出したいと願っているのでしょうし」
「いえ、公爵は地位に固執されるような方ではないですし、ソフィア嬢に感謝こそすれども、非難するようなことはありませんよ」
ソフィアは動機が高まるのを感じていた。
もし意図的に、ステファニーを婚約者候補から外すことができれば、この先、彼女が私を求めることはなくなるのではないだろうか。
「突然の提案にお困りでしょう。まだ時間はありますから、ひとまず考えてみてください」
ジラールはソフィアが表情を変えたことに気づきながらも、こちらを急かすことなく、もの柔らかに言葉を紡いでいく。
「殿下が公爵邸へいらっしゃるのは、この週末です。承諾していただけるのであれば、私がソフィア嬢をモンドヴォール邸へお連れします。明日の夕刻、改めてこちらへ顔を出しますので、その際にお返事をいただければ」
それから丁寧にお辞儀をして、彼は去っていった。
ソフィアは放心しながらも、机の上を片付け始める。
二度と身代わりをしないと誓ったのに、なんて馬鹿なことを考えているのだろう。けれども、ステファニーとアンヌが公爵邸を不在にしている今が、またとない機会に思えた。
ただ、第一王子とステファニーの婚約話を白紙に戻すには、自分自身が公爵令嬢のフリをして、王太子と相見える必要がある。
数々の冷遇は忘れられるわけもない。すでに未練はないと思っていたが、もう一度彼と対峙しなければならないと考えると、胸の奥がずきりと痛んだ。
「お客様はお帰りになられたの?」
ソフィアが夕飯を作り始めた頃に、仮眠を終えた母親が二階から降りてきた。
「母さん! 調子はどう?」
「ええ、だいぶ落ち着いたわ」
そうは言いながらも、近づいてきた母親は、ずいぶんとやつれた顔をしている。
このごろの母は、なかなか自宅へ戻らない父に代わり、三人の子どもの養育費を稼ぐため、いくつか仕事を掛け持ちで担っていた。そして、無理を押して働き続けたために、肺病を患い、命を失うことになる。
「ねえ。ずいぶんとしんどそうだけど、本当にただの風邪なの? 別の先生に見てもらったほうがいいんじゃない?」
ソフィアが手を取って語りかけると、その真剣な眼差しに、母はこらえきれず吹き出した。
「ソフィアは心配性ねえ! 大丈夫よ。でも、早く体を治して、仕事に戻らないとね」
そう言いながら、内職を始めようとする母親を見て、ソフィアは考える。
私が今、お金を稼いでこられたら。別の先生に診てもらって、あの時よりも早く、母の病気を見つけることができるかもしれない。
あるいは病が悪化する前に、より高度な治療を受けられる可能性もある。
“過去”の出来事を変えることによって、母親の命を救うことができるのだとすれば、もはや選択肢は一つしかない。
「母さんのことは、私が助けるから」
「なあに、ソフィア?」
「ううん。ただの独り言!」
ソフィアの心は定まった。もう一度だけ、身代わり役を引き受けてみよう。
これからの未来を変えられるのは、きっと私だけなのだから。
「昨日のお話、受けさせていただきます」
ジラールの訪問を戸口で待ち続けていたソフィアは、出会い頭にそう告げた。
「本当ですか!」
「ただし! 条件を三つ、要求いたします。それが難しいようであれば、今回の話はお受けできません」
「もちろん、出来うる限りのことはさせていただくつもりです。条件とは?」
硬い表情のジラールに、ソフィアは人差し指を立てて見せる。
「まず一つ。労働に見合った賃金を要求します」
母を大きな病院へ連れて行くためには、まとまったお金が必要となる。今はまだ蓄えがあるが、今後の生活のことも考えると、ある程度の資金を準備しておきたいところだった。
「ええ、それは当然の権利です。相応の対価をご用意させていただきます。では、二つ目の条件は?」
「私がステファニー様の代わりを務めるのは、この一度きりにしてください。事あるごとに頼りにされては、こちらも困りますから」
青年はふむ、と呟き、しばらく経ってから大きく頷いた。
「おっしゃる通りですね。今回限りのお約束ということで、差し支えありません」
「ですので、できれば見合いの後も、ご令嬢には私の存在を伝えないでいただければと」
「ご希望とあらば、そのようにさせていただきましょう」
「ありがとうございます。そして、最後のお願いなのですが、モンドヴォール公爵とは、事前に話をする機会を設けていただけませんか。私の素性を明かして、諸々ご納得いただいたうえでの代役でなければ、後でトラブルに発展するかもしれないですし」
ソフィアが公爵に会おうと考えたのは、他にも理由がある。
かつての世界で、ステファニーは幼馴染まで巻き込んでいたにもかかわらず、父親には決して入れ替わりが見破られぬよう、気を配っていた。
どういった親子関係であったのか、ソフィアも詳しくは把握していないものの、同じ過ちを繰り返さないためにも、前回は直接関わることのなかった公爵との接触を試みようと考えたのだ。
ふと顔を上げると、ジラールが真顔でこちらを見つめている。
「あの、なにか問題でもありますか?」
おそるおそる問いかけたソフィアに、彼はさらりと答えた。
「いえ、それだけでいいのかと。無理難題をふっかけられると思っていたので。ほら、『秘密を明かされたくなければ』と、継続的に金銭を求める者もいますし」
「酷い! 私、そんなふうに見えますか!?」
その短い叫びに、ジラールはいたずらっぽい笑みをくしゃりと浮かべる。彼が素の表情を見せたのは、これが初めてだった。
「いや、失礼しました。あくまで一般論の話です。そのような方だと思っているわけではありませんから」
肩を震わせていたジラールも、一つ深呼吸をすると、いつも通りの実直な青年に戻った。
「公爵とは面会の場を設けるとして、今日のところは、一旦領地へ戻らせてもらいます。ところで、事情が事情なだけに、そちらのご家族には仔細をお話しすることができません。ただ、見合いに向けての準備も必要になることから、少なくとも三日ほどはお時間をいただきたいのですが、その間泊まりがけできていただくことはできますでしょうか」
「三日間、ですか……」
さすがに泊まりとなると、あのお節介な兄をはじめ、母になんと説明すればいいのだろうか。
思いあぐねていたところ、友人宅から帰ってきた弟が、こちらへ駆け寄ってくる。
「レオン兄ちゃん! 今日もきたのかよー、ちゃんと働いてんのか?」
「ああ。仕事を終えた後に、お邪魔させてもらっているからね」
「いいなあ。俺にも近衛兵の仕事を見せてほしいよ」
弟の言葉を聞き、ソフィアはひらめいた。
「私からもお願いします。この子を仕事場へ連れて行ってもらえませんか? とはいえ、ここから王城までは距離がありますし、ジラール卿の邸宅の近くにでも、二人で宿をとりますから!」
ソフィアの突然の提案に、ジラールは目を丸くさせた。




