10 かりそめの護衛騎士
町を出たころには、外も暗くなっていた。
馬車というものは、快適な乗り物だとばかりに思っていたが、あまりに荒々しく動くものだから、ソフィアは体中が痛くなってしまっていた。
ジラールはというと、涼しい顔をして外を眺めている。
こんなに居心地が悪くても、乗り続けていれば、いつかは慣れるのかしら。ソフィアはジラールに気づかれないよう、太ももの裏へ両手をこっそり差し込んだ。
少しすると、整備された道に移ったのか、揺れはずいぶんと穏やかになってきた。
遠のいていく故郷を見つめるソフィアへ、ジラールからそっとハンカチが差し出される。目元に触れると、いつからか涙が溢れ出していた。
「すみません、ありがとうございます」
慌てて頬を拭うと、ジラールはゆっくり頷いた。
「そのうえ、弟の話までお聞きいただき、本当にありがとうございました。ハンカチは洗ってお返ししますね」
「……弟さんは、いつから近衛兵を目指しておられるのですか?」
低く落ち着いた声で、彼はそう尋ねてくる。
「あの子がまだ幼いころ、トランキル王室を題材にした人形劇を見たことがあって。その時から、王族の方々を守る仕事に憧れているみたいなんです」
「しっかりとした、いい目をしていました。強い意志を持つ人間には、安心して背中を任せられます。試験は大変だと思いますが、ぜひとも頑張っていただきたい」
その朗らかな口ぶりから、彼の本心だということが伝わってきて、つい口元が緩んでしまう。
「それを聞けば、ケビンもきっと喜ぶと思います。多分ですけど、弟は病気の母を救えなかったことをずっと後悔していて。だからこそ、次は自分の力で誰かを守りたいんだと思います」
「ご母堂が。それは、……ご愁傷様です」
突如打ち明けられた悲しい話題に、彼は言葉を詰まらせる。
「あ、母のことは気にしないでください! 亡くなってしまった時は、みんなショックでしたけど、もう気持ちは落ち着きましたから」
ジラールは首を縦に振ったが、しばらく神妙な面持ちで考え込んだあと、ぽつりと語り始めた。
「弟さんにとって、親代わりでもあるあなたは、とても大切な存在でしょう。離れ離れにしてしまって、本当に申し訳ない」
そう告げると、ジラールはぐっと頭を下げ、そのまま静止する。
「やめてください! 卿はなにも悪くないです。それに、自分の意思でステファニー様の力になると決めたのですから。ほら、顔を上げていただけますか?」
慌てて彼の手を握ると、赤茶の瞳がこちらを見つめた。
「弟君の代わりに、私があなたを守ります」
その真剣な眼差しに、どくんと胸がはねる。
「ジラール卿……?」
いきなりの告白に、ソフィアは少なからず動揺していたが、それを気取られまいと、彼の手を包んでいる己の指の先にまで神経をとがらせた。
ああ。なぜ先ほどの私は、こんなにも軽々しく男の人に触れてしまったのかしら。
この状況では、こちらから手を離すわけにもいかない。ソフィアは早鐘のような心を隠し、ジラールに向かい合った。
「改めまして、近衛連隊付き少佐レオン・ジラール、本日よりソフィア嬢の護衛を仰せつかりました。どうぞよろしくお願いいたします」
「……はぁ。え? もしかして守るって、そういう意味ですか?」
「はい?」
「いいえ、なんでもありません!」
私の馬鹿! この人に他意はないことぐらい、少し考えればすぐに分かったことじゃない。
おばさんに余計なことを言われていたとはいえ、冷静になると、自分の勘違いが恥ずかしくなる。
「お顔が赤いようですが、大丈夫でしょうか。よろしければ馬車を停めますが」
「いえっお気遣いなく!」
勢いよく両手を振ったソフィアは、その時ようやく、ジラールから離れることができた。
「どうぞ、お話を続けてください!」
そう急き立てられ、ジラールは当惑しながらも、話を元に戻した。
「表向きはモンドヴォール公爵令嬢の護衛です。とはいえ、ステファニーはあくまで王太子の婚約者であって、正式な王族の一員ではないため、暫定的な侍衛となりますが」
ふと、違和感を覚える。この人はいま、ステファニー様のことを呼び捨てにしていたわよね。
平民の私にも敬称を用いてくださるほど、丁寧なお方なのに。いくら親しい間柄だとしても、他家の令嬢を名前で呼んだりするものなのかしら。
「詳しい話は公爵邸で聞いていただくことになりますが、婚約者選定の過程で色々と問題があり、ステファニーは安全のため、無用な外出を禁じられています。公爵邸ではモンドヴォールの騎士たちが守護を担当しますので、原則的に私がおそばで仕えるのは、屋敷の外へ出られる時のみとお考えください」
「ちょ、ちょっと待ってください。あの、ジラール卿。あなたは私が“ステファニー”様ではないことをご存知なのですよね」
「ええ、もちろん」
曇りなき眼がこちらを見つめている。『それがなにか?』という言葉が顔に書いてあるかのような、不思議そうな相好だった。
「なぜ、入れ替わりを知ったうえで、私たちに協力されるのですか。近衛兵であられる卿がこの事実をご存知ならば、王室の方々に報告する義務があるのではないですか?」
するとジラールは、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「あまり深くは詮索しないでください。ただ、ステファニーとは昔馴染みなので、少し目を瞑ってやっているだけです」
「昔馴染み」
「もうすぐモンドヴォール領に入ります!」
それ以上はよほど語りたくないのか、強引に言葉を重ねられた。
「このあたりまで、アンヌが迎えにくると聞いています。ここから屋敷までは歩いて向かうそうですから、馬車の中へ手荷物をお忘れになりませぬよう、お気をつけください」
ジラールが話し終わる前に、車体の動きがゆっくりと止まる。
ガラス窓へ目を向けると、蝋燭の明かりに照らされたアンヌの姿が、ぼんやりと夜の森に浮かび上がっていた。
彼女はこちらへ駆け寄り、手際よく扉を開けたかと思うと、次の瞬間には車内へ半身を突っ込んでくる。
「お待ちしておりました。お疲れだとは思いますが、暗いうちに屋敷へ向かいますからね」
アンヌは馬車から御者を降ろし、段取りを確認し始めたようだ。
荷物の山に手を伸ばしていると、ジラールがこちらへやってきた。
「ソフィア嬢、私はここでお別れとなります。また公爵邸でお会いしましょう。今後、人前ではステファニーと同じように、私のことを『レオン』とお呼びくださいね」
「承知いたしました。それと、遅くまでありがとうございました。おやすみなさい、『レオン』」
スカートの裾を持ち上げ、ひざを折ると、ジラールだけではなくアンヌまでもが驚きの表情でこちらを見つめてくる。
あら? おかしいわね。
貴族の挨拶はこうやるって聞いていたのだけれども。もしかして、なにか作法を間違えていたのかしら。
こちらの戸惑いに気づいたのか、彼は軽く首を振り、それからやわらかな笑みを浮かべた。
「とても素敵なカーテシーでしたよ。それではいい夢を、ソフィア嬢」
そうしてジラールは御者席に乗り込み、暗闇の中へ颯爽と消えていった。




