第48話 まだ知らない町
翌朝、ルカが階段を下りると、フィンは食卓で地図を広げていた。
「おはよう!」
「あ、おはようございます。朝ごはん、もうすぐですよ」
「地図見ながら食べんの?」
「片づけます!」
フィンが地図を畳むと、挟んであった紙片が一枚落ちた。
「何これ?」
「今日、行きたい場所です」
「いっぱい書いてあるじゃん!」
「昨日、父さんと母さんにも聞いたら、久しぶりに寄りたいところを思い出して」
父親が新聞から顔を上げた。
「朝から張り切ってるぞ。昨日も寝る前まで地図を見てた」
「父さん!」
母親が笑いながら朝食を運んできた。
「町は逃げないんだから、先に食べなさい」
◇
市場には、朝の買い物客が集まっていた。
荷車を押す人の間を、焼きたてのパンの匂いが流れてくる。川から運ばれた魚を店先に並べる店もあった。
「昨日と全然違うな!」
「朝は賑やかなんです。あ、こっちです」
フィンが案内した先で、店主が薄いパンに肉と野菜を包んでいた。
「うまそう!」
「昔、父さんと市場に来た時によく食べたんですよ」
「買おうぜ!」
「さっき朝ごはん食べましたよね?」
「半分こ!」
フィンは少し迷ったが、結局、一つ買った。
二人は川沿いの石段に腰を下ろした。ルカがかじると、皮がぱりっと割れ、香草の香りが広がった。
「うまっ! フィン、もう一つ買わない?」
「先に半分って言ったの、ルカさんでしょう!」
◇
市場を離れ、時計塔のある広場を抜けると、フィンは川へ下りる細い道を指さした。
「こっちです」
「おっ、魚いそう!」
ルカは先に駆け下りた。
川は石橋の下で少し広がり、浅瀬には丸い石が並んでいた。流れの緩いところを、小魚が数匹行き来している。
「あ、いた!」
「ルカさん、あまり近づくと逃げますよ」
フィンも隣にしゃがむ。
「ここ、学校の帰りによく来てたんです」
「昨日の観察帳に描いてた?」
「ええ。この川で描いた魚もありますよ」
ルカが水面に顔を寄せた。
「あっ、石の下に入った!」
「また出てきますよ」
「どっちから?」
「そこまでは分かりません」
二人は同じ石を見つめた。
やがて、ルカが覗いていた側とは反対から、小魚が顔を出した。
「そっちかよ!」
フィンが笑う。
「もう一回入った! 今度は当てる!」
「何を競ってるんですか?」
「出てくる方! 俺、左!」
「……じゃあ、僕は右で」
しばらくして、魚が右側から出てきた。
「フィン、当たった!」
「やった!」
「次は負けない!」
「別に勝負じゃ――」
「もう一匹いた!」
フィンは言いかけたまま、ルカの指さす先を覗き込んだ。
◇
気づけば日が高くなっていた。
「……そろそろお昼にしませんか?」
「さっきのパン、もう一個!」
「今日は別のを食べてもらいたいんです。昨日、話したでしょう?」
「あっ、明日のお楽しみってやつ!」
フィンが連れていったのは、家から少し歩いたところにある食堂だった。
「父さんと母さんと、よく来たんです」
席に着くなり、フィンは壁の献立を指した。
「川魚の香草焼き、二つお願いします」
「もう決まってたのか!」
「これを食べてほしかったんですよ」
しばらくして運ばれてきた皿には、皮をこんがり焼いた川魚と、ほくほくの芋が添えられていた。香草と焦げた皮の匂いが立ちのぼる。
ルカは魚の身をほぐし、一口食べた。
「……うまっ! 皮、ぱりぱりだ!」
「でしょう?」
「フィン、これ目当てで帰ってきたんじゃない?」
「ルカさんに食べてほしかったんです!」
そう言いながら、フィンも嬉しそうに魚を頬張った。
食堂を出た後も、二人は川沿いを歩いた。橋を渡ればフィンが昔通った本屋があり、その先には昨日、行きそびれた通りが続いている。
「本屋、寄る?」
「……寄ったら帰れなくなりますよ」
「じゃあ帰る前に!」
「帰る前も同じでしょう」
ルカが笑った。
◇
夕方、二人は川辺の腰掛けで足を休めた。
フィンは鞄から、昨日買った地域魚類誌を取り出した。
「もう読むの?」
「さっきの川にいた魚、載ってないかなと思って」
「見せて!」
二人で頁をめくる。ルカが興味を持った魚の生息域を、フィンが巻末の地図で確かめた。
「遠いなあ」
「列車だけでは行けない場所ですね」
「行ったことある人、いるのかな」
「記録を探せば分かると思います」
ルカは図鑑を閉じず、ほかの頁も覗いた。
「これも見たい。こっちも!」
「ルカさん、頁をめくるのが速いです!」
フィンは笑い、本を支え直した。
「……いつか、自分たちで行き先を決めて、釣査の計画を立ててみたいですね」
「俺たちで?」
「はい。今は調査ごとに参加する形ですけど。自分たちの釣査隊があったら、こういう本を見ながら次の水域を考えられるのかなって」
「それ、いいな!」
「まだ先の話ですよ。僕には記録局の仕事もありますし」
「分かってるって!」
ルカは巻末の地図を開き直した。
「じゃあさ、どこが気になる?」
「今ですか?」
「考えるだけならいいだろ!」
「……そうですね」
フィンは本の端を押さえ、ルカの隣で地図を覗いた。
帰る時間を思い出したのは、川向こうの時計が鳴ってからだった。
◇
翌朝、駅まで見送りに来た両親に、ルカは頭を下げた。
「ありがとうございました! ご飯、すげえうまかった!」
「また遊びにいらっしゃい」
母親が笑い、父親はフィンの荷物を渡した。
「次はもう少し、ゆっくり帰ってきなさい」
「うん。そうする」
「ルカくんも、また一緒に来てくれたら嬉しいよ」
「もちろん!」
列車が動き出すと、ルカは窓から手を振った。
両親の姿が見えなくなり、フィンは座席に腰を下ろした。
「来てくれて、ありがとうございました」
「また来るよ!」
「次は本屋で半日使わないようにしましょうね」
「フィンが先に入ったんだろ!」
「そうでしたっけ?」
ルカが笑った。
フィンは鞄から昨日買った地域魚類誌を取り出した。
「もう読むの?」
「昨日、途中までだったので」
「じゃあ俺、あの探釣記!」
ルカも鞄を開いた。
「……あれ?」
「どうしました?」
「買ってない!」
「昨日、迷ってましたもんね」
「あー! 帰る前にもう一回寄ればよかった!」
フィンは自分の本を閉じた。
「……僕の本でよければ、一緒に読みます?」
「いいの?」
「はい」
二人は一冊の本を間に広げた。
列車はリードウェルを離れ、川に沿って走り続けた。




