第40話 銀の奔流
第二瀑を越えた夜、ルカたちは上流側の岩棚で野営した。
雌の信号は日が落ちてからも少しずつ動いていたが、人間側はそこで追跡を止めた。
夜が明けると、ルカは真っ先にフィンのところへ向かった。
「まだ拾えてる?」
「はい。L-07、第三瀑の下です」
「もう次まで行ったのか」
ルカは岩峰の奥を見た。
昨日まで見上げていた第二瀑が、今は背後で音を立てている。正面では岩壁が左右から迫り、川は黒い岩の裏へ消えていた。
マーカスが装備をまとめる。
「行くぞ。水際は途中で切れてるから、左へ回る」
魚の位置は分かっている。
だが、そこへ行ける道があるとは限らなかった。
◇
第三瀑が見えたのは、昼を過ぎてからだった。
狭い岩峰の間から白い水が落ち、その下で川が大きく曲がっている。落水の両側には細い水路が走り、岩盤の割れ目へ吸い込まれる流れもあった。
ルカは水面を探した。
「いる?」
「L-07です。第三瀑の下、左岸寄りで反応しています」
フィンが示した先には、岩の陰になった暗い流れがあった。
雌の姿は見えない。
「上からなら見えるか?」
マーカスは岩壁を見上げた。
「向こうの棚だな。足場はある」
一同が移動を始めた、その時だった。
上流から、銀色のものが流れてきた。
最初は一匹だけだった。
白泡の脇を小さな魚が走り、川の曲がり角で姿を消す。
続いて二匹、三匹。
ルカが目を凝らしているうちに、上流側の水面が一斉に光った。
「うわ、何だあれ!」
銀白色の魚が群れになって下ってくる。
数十匹どころではない。
岩の間を埋めるように続き、曲がった川の向こうから次々と現れる。
「ラクギンだ」
ミンがカメラを向けた。
魚は二十センチほどのものが多く、細い体をひるがえすたびに白銀の光を返した。
群れは第三瀑へ向かっていた。
「落ちるぞ!」
ルカが身を乗り出す。
先頭の魚が段差へ達する。
一匹ずつ跳ねるのかと思ったが、違った。
銀色の群れが落水と一緒に崩れ、白泡へ呑み込まれていく。
次の群れも、その後ろから流れ込んだ。
滝そのものが銀色になったようだった。
◇
「上からこんなに来るのか」
ルカは下流へ目を向けた。
白泡から抜けたラクギンたちは、川の曲がり角まで一気に下っていく。だが、すべてが同じ速さではない。岩際へ寄って流れから外れる魚もいれば、中央を抜ける群れもあった。
リンが上流班からの記録を確認した。
「第三瀑の上でも、群れが続いています」
「何で一斉に?」
「上流側で水量が増えています。ラクギンは、そういう時にまとまって下ることがあります」
ルカが第三瀑を見た。
到着した時より、落水の幅が広がっている。
フィンも観測値を確かめた。
「水位が上がっていますね」
その言葉が終わる前に、受信機が鳴った。
「L-07が動きました。左岸側です」
ルカが振り返る。
「どこ?」
「第三瀑のすぐ下です」
暗い岩陰から、黒い頭が現れた。
あの雌だった。
落水から外れた流れへ体を寄せ、上流へ向かっている。
その正面から、ラクギンの群れが下ってきた。
「あっ、ぶつかる!」
ルカが声を上げる。
銀色の魚たちはロンユウの手前で左右へ分かれた。
大きな黒い魚体の横を抜け、その後ろで再び群れになる。
ロンユウは上へ。
ラクギンは下へ。
同じ水の中で、反対の方向へ進んでいた。
◇
水量が増すにつれ、雌の進み方が変わった。
さっきまで使っていた岩際では、水が横から強く当たるようになっていた。一度頭を入れてすぐ戻り、少し離れた岩の裏へ移る。
「いつもの左じゃないのか?」
ルカがつぶやく。
雌はさらに上流へ向かおうとしたが、落水の端で押し返された。
そのまま下流へ流されかけ、深い淵へ戻る。
ルカは魚が消えた場所を見た。
上流から下ってくるラクギンは、まだ銀色の帯になって滝を落ち続けている。
「待つのかな」
フィンは記録を確かめた。
「位置は変わっていません」
やがてラクギンの群れがまばらになり、第三瀑の落水も少し細くなった。
ルカは岩棚に腰を下ろした。
「魚の方が、水の変わり目をよく見てるな」
ミンが笑う。
「ルカもさっきから、ずっと見てるじゃない」
「俺はあいつを見てる」
そう答えたところで、淵の底に黒い影が動いた。
ルカはすぐ立ち上がった。
◇
雌が再び第三瀑へ入った。
今度は、さっき押し戻された岩際へ向かわなかった。
少し中央へ寄り、水が岩に当たって斜めに返る場所へ進む。
そこから尾を振った。
黒い背が一瞬だけ水面へ現れる。
青銀色の鱗が光った。
「……前より青いところが広くない?」
ルカは双眼鏡を上げた。
第二瀑の下で再捕獲した時、青い鱗は背から体側へまだらに混じっていた。
今は黒褐色の間に、青銀色が連なって見える。
ただし、水面越しだった。何枚増えたのかまでは分からない。
「ミン、撮れた?」
「撮ってる!」
魚が落水の裏へ入った。
次に現れたのは、第三瀑の上流側だった。
「越えた!」
ルカが叫ぶ。
フィンの受信機にも上側の反応が入った。
雌はそのまま、岩峰の奥へ進んでいく。
青銀色を帯びた背が、午後の光の中で一度だけ見えた。
◇
ルカたちが第三瀑の上へ出た時、空は夕方の色に変わり始めていた。
正面の水路は短く、奥でまた大きな落水音が響いている。
第四瀑だった。
「もう次か」
ルカが見上げる。
第三瀑と違い、第四瀑の落水は岩壁の途中で大きな張り出しにぶつかっていた。
白い水が左右へ弾け、その下で再び一つになる。
「雌は?」
「L-07、第四瀑の下まで進んでいます」
フィンが水面を示した。
黒い魚体は、落水の手前を何度か横切っていた。
ルカは双眼鏡を向ける。
その時、雌がこれまで進んできた左岸から離れた。
「あれ?」
中央へ寄り、岩の張り出しの下へ入る。
頭上では、落水が岩にぶつかって二つに割れていた。
雌は、その片側から下へ返ってくる水を避け、岩の真下を進んでいる。
「そこ、上に抜けてるのか?」
ルカが身を乗り出す。
マーカスは対岸の岩壁を見上げた。
「あの張り出しの裏だな。こっちからは見えん」
雌の背が、白い水の下へ消えた。
◇
受信機の反応は、しばらく第四瀑の下に留まっていた。
ルカは何度も双眼鏡を動かしたが、落水の裏は見えない。
「押し戻された?」
「まだ下側で拾っています」
フィンが答える。
その直後、黒い頭が白泡の横へ現れた。
さっきより高い。
「あっ、いた!」
雌は岩の張り出しに沿って泳いでいた。
上から落ちる水へ正面から入るのではなく、岩に当たって横へ逃げる流れへ体を寄せている。
一度、魚体が下へずれた。
ルカが息を詰める。
だが雌は落ちなかった。岩の裏へ戻り、再び上を向く。
尾が大きく振られた。
黒い背が白泡の上へ出る。
今度は青銀色の部分まで見えた。
「行け……!」
ルカがつぶやいた。
雌は落水の上流側へ体を抜いた。
そのまま岩の陰へ消える。
「L-07、上側で拾いました!」
フィンが受信機を掲げた。
反応は第四瀑の上を、ゆっくり奥へ動いている。
「越えた!」
ルカは双眼鏡を下ろした。
第三瀑では、水量が落ち着くのを待った。
第四瀑では、左岸にこだわらず、落水が岩で分かれる場所を選んだ。
同じL-07でも、いつも左岸を選ぶわけではないらしい。
◇
「上へ回れる?」
ルカがマーカスを見る。
マーカスは第四瀑の横にある岩棚へ目を向けた。
途中で足場が崩れている。
「今からは無理だな。向こうへ回るには、もう少し明るさが要る」
「魚は行っちゃったけど」
「受信は続いてる。ここで無理して記録を切るな」
ルカは口を閉じた。
フィンが上流側の反応を確かめる。
「まだ拾えています。大きくは移動していません」
ミンが撮影した映像を再生した。
第三瀑を越える時の黒い背。
第四瀑で落水の横へ現れた魚体。
どちらにも青銀色が混じっている。
ルカは第二瀑の下で撮った写真と見比べた。
「やっぱり、広がってるように見える」
「同じ位置で比較できる写真を選ぼう」
ミンが画面を拡大する。
黒褐色の鱗はまだ多い。
だが、昨日見つけた青銀色が、少しずつ魚の背を覆い始めていた。
ルカは第四瀑の上を見た。
そこから先は、また岩の裏へ水が消えている。
あの雌を最初に釣った時には、黒い魚だった。
今も黒い部分の方が多い。
それでも、二つの滝を越える間に、確かに姿が変わっていた。
「明日は、もっと近くで見たいな」
ルカは映像を閉じず、青銀色の背をもう一度見た。




