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探釣師 ――まだ誰も知らない魚を求めて  作者: ヤマト


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第4話 見ないで釣る

「見られてるんだ。俺が」


ルカはそう言ったあと、しばらく水面を見ていた。


透明な水の底には白い砂が広がり、その上を魚の影が走っている。こちらからは何もかも見える。


なら、水の中からも同じだ。


フィンが端末を持ち上げた。


「確かめますか?」


「どうやって?」


「僕たちが見えない状態で、同じ場所へルアーを通します」


ルカがフィンを見る。


「二人とも?」


「僕が立っていても同じでしょう」


フィンは岸辺に設置したカメラを指した。


「観察はこれでできます」


ルカは周囲を見回した。


岸の後ろに大きな岩がある。


少し離れたところには、低い茂みと倒木。


「じゃあ俺は岩の裏」


「僕は向こうから映像を見ます」


「投げられないだろ」


「そこは考えてください」


「急に雑だな」


フィンは端末を持って倒木の陰へ移動した。


水際に残ったのは、小型カメラだけだった。


ルカも竿を持って岩の裏へ回る。


水面が見えなくなる。


「……ほんとに何も見えないぞ」


少し離れたところからフィンの声が返る。


「こちらも直接は見ていません。カメラだけです」


「釣りにくいって」


「そこを考えてください」


ルカが岩の陰から顔を出した。


「ちょっと楽しんでるだろ」


「見えてますよ」


「はいはい」


ルカはまた引っ込んだ。


     ◇


最初の問題は、投げることだった。


岩の裏からでは水路が見えない。


ルカは一度外へ出て立ち位置を確認し、竿を振った。ルアーが水へ落ちると、すぐ岩の後ろへ戻る。


「どう?」


「入りました」


フィンは倒木の陰で端末を見ている。


「どこ?」


「狙った位置より二メートルほど下流です」


「外してるじゃん」


「はい」


「言い方」


ルカは糸を巻き取り、もう一度投げて岩陰へ隠れる。


「今度は?」


「一メートル上流」


「近づいた」


さらに投げ直す。


「ほぼ狙った位置です」


ルカが笑う。


「よし」


「でも、水面が見えない状態でどう動かすんです?」


その言葉に、ルカの手が止まった。


「……そこだな」


見えるのは竿先と糸、それに自分の手元だけだ。


ルアーそのものは見えない。


水の流れも、魚も見えない。


ルカは竿先を低く構え、ゆっくり巻いた。


少しすると、竿先がわずかに水路の方へ引かれる。


「今どこ?」


「流れの境目です」


フィンが答える。


ルカは巻く手を止めた。


竿先を引いていた力が、少し弱くなる。


「ここを抜けると軽くなるんだな」


「小魚は近くにいます」


「何匹?」


「七……九匹。少し増えました」


ルカは水面を見ないまま、竿先を小さく動かした。


一度。


止める。


もう一度。


水中では、ルアーが短く横へ動いているはずだった。


「群れが少し下がりました」


ルカの手が止まる。


「俺のルアーに反応してる?」


 フィンは魚影とルアーの位置を同じ画角に収めた。


「次の動きも続けてください」


 ルカはまた動かすが、何も起きない。巻き取って二度投げ直しても、反応はなかった。


ルカが岩の裏から声を上げる。


「隠れても食わないな」


「少なくとも、姿が見えていることだけが原因ではなさそうです」


「でも、さっきより小魚は逃げてない?」


フィンが端末を確認する。


「岸に立っていた時よりは」


ルカは考えた。姿を隠すだけでは足りない。


岩陰から竿先、その先で水面へ伸びる細い糸を見る。


「……これも見えてる?」


ルカが糸をつまんだ。


フィンがカメラ映像を拡大する。


「水面の上にかなり出ています」


「じゃあ、なるべく出さない」


ルカは岩の横、岸から少し下がった低い場所へ立ち位置を変え、そこから竿先だけを水面近くへ出した。


自分の体は岩に隠れる。


ラインも水面から高く浮かない。


「どう?」


「姿は映っていません」


「竿は?」


「先端だけです」


「よし」


ルカはもう一度投げた。


     ◇


しばらくして、別の問題が分かった。


小魚がいない。


ルアーだけを通しても、何も起きない。


ルカは岩の裏でしゃがみ込んだ。


「フィン」


「はい」


「今、群れどこ?」


「少し上流です」


「どっちへ動いてる?」


「下流へ」


ルカが竿を持ち直した。


「あとどれくらいでこっち来る?」


フィンが端末を見る。


「このままなら……三十秒くらいです」


「じゃあまだ投げない」


「待つんですか?」


「魚がいない場所に投げても意味ないだろ」


ルカはルアーを手のひらへ戻した。


二十秒。


フィンの声。


「近づいています」


ルカは立つ。


まだ水は見ない。


「あと?」


「十秒」


竿を構える。


「五」


ルカが振った。


ルアーが岩の向こうへ飛ぶ。


着水音。


「入った?」


「群れの少し先です」


ルカはすぐ姿を隠した。


糸へ指を添える。


「小魚は?」


「近づいています」


ルカはルアーを動かさない。


流れに任せる。


「まだ?」


「あと少し」


糸から伝わる水の重さ。


流れが強くなる。


ルカはほんの少しだけ竿先を動かした。


「今、群れと並びました」


「ばらけた?」


「いいえ」


ルカの口元が上がる。


「じゃあ本物っぽく見えてる」


ルアーを小魚の群れの中へ混ぜる。目ではなく、フィンの声と流れの重さ、糸の角度だけで位置を合わせた。


「群れが流れの境目へ入ります」


ルカは巻く手を止めた。


そこだった。


何度か小魚が消えた場所。


光が走った場所ではない。


その少し手前。


群れが通る場所。


「フィン」


「はい」


「小魚だけ見てて」


「見ています」


数秒。


「まだ普通です」


ルカは動かさない。


ルアーを群れと一緒に流れへ乗せる。


「……来ました」


フィンの声が低くなる。


「群れの後ろが乱れ始めています」


ルカは竿を握ったまま待つ。


「光は?」


「まだ。……一匹、二匹」


少し間を置いて、


「三匹、群れから外れました」


その瞬間。


フィンの端末の中で、鋭い光が弾けた。


「光った!」


「今だ」


ルカが竿先を短く二度動かした。


一度。


二度。


水中のルアーが、群れについていけなくなった小魚のように横へよろめく。


そこで止める。


ほかの魚は逃げていく。


ルアーだけが、群れから取り残される。


逃げる方向を失った一匹。


ルカは、それを作った。


「ルアー、群れから外れました」


フィンの声。


「そのままでいい」


ルカは動かさない。


数秒。


竿先が、ほんの少し水路の方へ引かれた。


ルカの目が細くなる。


「今、触った」


「映像には何も見えません」


ルカはまだ竿を立てない。


つついただけかもしれない。


逃げかけた小魚が、力尽きたように。


ルカは竿先をほんの少しだけ動かし、すぐ止めた。


その瞬間。


竿先がぐっと水面の方へ引き込まれた。


「食った」


ルカが竿を鋭く立てる。


強烈な重さが腕へ乗った。


「来た!」


竿が深く曲がる。


岩の向こうで水面が爆ぜた。


ルカはそのまま岩陰から飛び出した。


「ルカさん!」


フィンも倒木の陰から立ち上がる。


「もう食った!」


ルカが水際へ走る。


「隠れる必要ないだろ!」


糸が右へ走った。


ルカは竿を左へ倒す。


「どこだ!」


透明な水。


底まで見える。


糸の先に何かがいる。


確かにいる。


なのに――


魚の姿が見えない。


白い砂の上を、影とも光ともつかないものが走った。


「右です!」


フィンが叫ぶ。


ルカも追う。


「分かってる!」


何かが急に反転した。


糸が下流へ走る。


水面が盛り上がる。


その中で白い光が弾けた。


「いた!」


ルカが目を凝らす。一瞬だけ、細長い銀白色の輪郭が見えた。そう思った次の瞬間には、水の中へ溶けていた。


「……なんだあれ」


魚が走る。


竿がさらに曲がる。


ルカは足場を変えた。


今度ははっきり水面を見る。


隠れない。


相手の走る方向を追う。


だが見えるのは、糸の先を横切る光ばかりだった。


魚は右へ、左へ、さらに底へと走り、突然何もない場所から水しぶきが上がる。


「姿、見えました?」


フィンがカメラを持って近づく。


「一瞬だけ!」


「どんな?」


「分かんない!」


ルカが笑った。


「全然見えない!」


その声とは逆に、竿を持つ腕には力が入っていた。


何かが浅い方へ走る。


水底の白砂に、細長い影が落ちた。


ルカの目が追う。


影の少し上で、水そのものが歪んだように揺れた。その中に、翼のような青白い光がほんの一瞬だけ大きく開いた。


「……今の」


フィンも言葉を失った。


次の瞬間、光は閉じた。


輪郭も消える。


だが糸は張ったままだ。


ルカは竿を握り直した。


目を輝かせる。


「やっと見えた」

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