第3話 見られている
尾ビレの欠けた小魚は、それから十分待っても戻ってこなかった。
ルカは水際を離れず、白い砂、石の隙間、水草の根元から流れの先まで一通り探した。
それでも見つからない。
「流された可能性は?」
ルカが聞く。
フィンは水路の先を見る。
「この流れなら、下流へ出ればどこかのカメラに入ると思います」
「映ってない?」
「今のところは」
ルカは水面へ視線を戻した。
魚の群れはもう落ち着いている。
さっきまでの騒ぎが嘘みたいだった。
「……光ったよな」
フィンが顔を上げる。
「見えました?」
「一瞬だけ」
白い砂の上を走った光。
目を向けた時には消えていた。
ルカはその辺りを眺める。
水底には小石がいくつか転がっている。
濡れた石なら光ることはある。
水面が揺れれば、光も動く。
それだけなら珍しくない。
「反射かな」
ルカは水底の小石と、水面から差す光を見比べた。
「石なら、場所は動かないよな」
フィンもその辺りへ視線を向ける。
ルカは答えを待たず、もう一度水面を見た。
その時、森が暗くなった。
雲が太陽に重なった。
水面に落ちていた木漏れ日が消える。
白かった砂も、少し青みを帯びた。
ルカは空を見上げる。
「曇ったな」
「雨は降らないと思います」
二人はそのまま観察を続けた。十分、二十分と時間が過ぎる間に、魚の群れは何度か場所を変え、流れに押され、虫を追った。一匹が群れを離れてもすぐ戻り、異変は起きない。
ルカは石に腰を下ろした。
まだ水を見ている。
やがて雲の端が明るくなった。
一本の光が森へ落ちる。
水面が輝いた。
ルカが目を細める。
太陽が出た。
数秒後だった。
群れの端にいた一匹が、急に止まった。
「フィン」
返事を待たず、ルカが立つ。
小魚が向きを変える。
その横で別の二匹も離れた。
まだ群れは崩れていない。
白い砂の上を、細く鋭い光が一瞬だけ走った。
次の瞬間、小魚の群れが大きく割れた。
「今の!」
フィンも見ていた。
一匹が群れの外へ飛び出す。
ほかの魚とは逆方向。
一匹だけ。
ルカの目がそれを追う。
銀色の小魚が水草のない浅い方へ走る。
その後ろ。
何も見えない。
だが、もう一度だけ光った。
小魚が跳ねた。
水面に小さな波紋が立つ。
そして――
いなくなった。
ルカは息を止めた。
フィンがカメラを見る。
「今の個体」
「消えたな」
「はい」
ルカは水面から目を離さない。
群れは少し先でまとまり直していた。
「最初から追いかけてない」
ルカは手を動かした。
まとまった群れ。
そこから一匹が外れる。
「群れごと追っ払ってるんじゃない」
フィンも水を見る。
ルカは白砂の上を指差した。
「あの光が走って、ばらけた。そのあと、外れた一匹が消えた」
「光が原因だと?」
「まだ分かんない」
ルカは少し考える。
「でも、さっき曇ってた間は起きなかった」
フィンの目が動く。
すぐ端末へ記録する。
「日照条件……」
「もう一回試せないかな」
「どうやって?」
ルカは木や岩、水路を見回し、最後にフィンの大きなバックパックへ目を止めた。
「なんか布ない?」
フィンが嫌そうな顔をした。
「ありますけど」
「あるんだ」
「調査用です」
「ほんと何でも入ってるな」
◇
二人は水路の一部へ影を作った。
フィンが持っていた薄い遮光布を、岸の枝と三脚の間に張っただけだ。
幅は数メートル。
そこだけ、水底から強い光が消えている。
ルカは少し離れてしゃがんだ。
「魚、来た」
小魚の群れが上流から流れてくる。
影へ入る。
そのまま通る。
何も起きない。
しばらくして別の群れ。
それも通過した。
「もうちょい待とう」
三度目。
また何も起きない。
フィンが時刻を記録する。
ルカは布の外、太陽の当たる場所を見た。小魚が一匹、二匹、三匹と影を抜けたところで、きらっ、と光が走る。
ルカの体が動いた。
「出た」
光は遮光した場所ではない。
そのすぐ先。
日が当たっている水底を横切った。
魚が散る。
「……光が必要なのか」
「光が必要、という可能性は上がりました」
ルカが笑う。
「それ」
「何です?」
「今の言い方は好き」
フィンは無視した。
ルカは水際へ移動する。
光った辺りを見る。
何もない。
「石じゃないな」
「どうしてです?」
「場所が変わってる」
最初に見た場所より上流。
さっきの場所より岸寄り。
光る位置が動いている。
しかも流れに沿っていない。
ルカは水面を眺めた。
「何かが光ってる」
フィンは返事をしなかった。
否定もしなかった。
ルカは口元を上げる。
「いるな」
「まだ姿は確認できていません」
「分かってるって」
ルカは立ち上がった。
今度は釣具を手にした。
「じゃ、試す」
「何をです?」
「食うかどうか」
「姿も分かってないのに?」
「だから釣るんだろ」
ルカは、群れている小魚とほぼ同じ大きさのルアーを一つ選んだ。銀色で、派手な模様はない。
フィンが覗き込む。
「それにした理由は?」
「さっき消えたやつに近いから」
ルカは水路を見る。
光った場所ではない。
小魚が群れから離れやすい、流れの境目。
そこへルアーを投げる。透明な水へ沈んでいくルアーを、ルカは少し動かして止め、流れに乗せてからまた動かした。
反応はない。
角度を変え、次は水草の際も通したが、それでも何も起きなかった。
「いない?」
フィンが聞く。
「さあ」
ルカは少し細いルアーへ替え、投げては動かし、止める。速度も上げてみたが、それでも反応はない。
ルカの眉が寄った。
「場所が違うのかな」
「移動した可能性もあります」
「あるな」
二人は場所を変えた。
先ほど光が出たところ。
小魚が何度も通っている。
ルカは三度投げ直したが、何も起きなかった。
ルカが水面を見たまま呟く。
「小魚は食ってるのに、こっちは追ってこない」
さっき一匹が消えた。
少なくとも何かがここで捕食している可能性は高い。
「なのに、これには来ない」
ルアーを見下ろす。大きさも色も泳ぐ層も、大きく外しているようには思えない。
フィンが水路を見ながら言った。
「警戒しているようには見えます。ただ、対象は映っていません」
フィンは魚の向きと周囲の水面を続けて記録する。
ルカはルアーを見た。
次に、糸を見る。
水面を見る。
フィンを見る。
そして自分の足元を見る。
澄んだ水。
ルカの影が、水底までくっきり落ちていた。
少し離れたところを泳いでいた小魚が、ルカの影へ近づく。
途中で曲がった。
別の一匹も、岸際から離れていく。
ルカは動かなかった。
「……フィン」
「はい」
「俺、どこまで見えてる?」
「何の話です?」
「水の中から」
フィンが水面を見る。
少し考えた。
「相当見えると思います」
「だよな」
ルカはしゃがんだ。
水面近くまで顔を下げる。
こちらからは、石も砂も魚も底まで見える。
なら――向こうからも同じだ。
ルカはゆっくり顔を上げた。
「そっか」
「何か分かりました?」
ルカはルアーを手に取った。
「見えないんじゃない」
フィンが首を傾げる。
ルカは透明な水を見た。
そのどこかにいる、姿の分からない何かへ向けるように。
「見られてるんだ。俺が」




