第35話 天龍瀑
グランドフィッシャーレイクの調査を終えて数日。
ルカの端末に、国際探釣機構から新しい通知が届いた。
画面に表示された名前を見て、手が止まる。
**《天龍瀑・調査参加打診》**
所在地――シェンラ大陸西部・天龍山系。
「天龍瀑?」
七大極境の一つ。
名前は知っている。
だが、自分に参加打診が来るとは思っていなかった。
内容を開く。
現地の九瀑釣査隊が、今回の調査に加わる探釣師を追加で求めている。
候補者はルカだけではない。
その中に、自分の名前が入っていた。
参加予定者の欄を下へ送る。
見覚えのある名前があった。
フィン・テイル。
「フィンも行くんだ」
その直後、端末が鳴った。
本人からだった。
『連絡、届きました?』
「今見てる」
『僕は生態記録局から正式同行です』
「何を調べるの?」
少しして、フィンから一本の映像が送られてきた。
◇
大きな黒い魚が、滝壺の深い場所を回っていた。
その奥にも魚影がある。
黒褐色の背。
太い胴。
大きな鱗。
派手な模様はなく、一匹だけなら山地にいる大型のコイにも見える。
だが、魚たちが向いている先には巨大な滝があった。
白い落水が岩壁を叩き、滝壺の水面を絶えず揺らしている。
一匹が白泡へ近づいた。
強い流れに押され、少し下がる。
そのまま逃げるかと思ったが、魚は深みへ戻っただけだった。
しばらくすると、また滝へ頭を向ける。
「この魚?」
『瀑龍鯉〈ロンユウ〉です』
映像の中では、ほかの個体も同じように滝の下へ集まっている。
『ここ数日で成熟した個体が増えています』
成熟したロンユウが、ある時期になると上流へ戻る。
《帰龍》。
その現象自体は、すでに知られていた。
天龍瀑を長年調査してきたリン・シャオロンたちが、上流への移動や経路の一部を記録している。
フィンから追跡図が届いた。
下流から伸びた記録が、途中で途切れている。
さらに上には、別の時期に得られた記録が点々と残っていた。
ルカは二つの間を見る。
「ここ、つながってない」
『上へ行くほど、追跡が難しくなります』
魚は水の中を上っていく。
人間は、同じ場所を通れない。
滝を回り、岩壁を越え、また上流側で水辺へ入る。
そのための経路を、フロンティア釣査隊が長い時間をかけて延ばしてきた。
今回、上部まで追跡班と機材を通せる見通しが立った。
そこへ、ロンユウが集まり始めた。
「だから今なんだ」
『はい。帰龍が本格的に始まる前です』
ルカはもう一度映像を見る。
黒い魚たちは、まだ滝の下にいた。
◇
資料を進める。
一枚の写真が画面いっぱいに広がった。
ルカの指が止まる。
雲海の中から、巨大な岩峰が突き出している。
周囲にも切り立った峰が並んでいた。
だが中央の一峰だけが、明らかに大きい。
黒灰色の岩壁。
その途中から、白い滝が落ちている。
さらに高い場所にも別の落水が見えた。
水は岩壁の裏へ消え、離れた高さからまた現れている。
その上は雲だった。
「これが天龍瀑?」
『はい』
同じ水系が、巨大岩峰を縫うように上から下まで続いている。
大きな滝だけで九つ。
ただし、全部を一度に見ることはできない。
岩峰そのものが水路を隠し、雲や水煙が中腹を覆っている。
ルカは写真の上を指で拡大した。
「頂上、見えないな」
『そこに天湖があります』
「湖?」
別の画像が開く。
巨大岩峰の頂部。
鋭い岩稜に囲まれた内側に、青緑色の水面がわずかに見えていた。
次の画像では雲に隠れている。
別角度では岩稜そのものが邪魔をして、湖の一部しか見えない。
上空から撮られた映像でも同じだった。
雲が切れた一瞬だけ、水面が現れる。
その直後には霧が流れ込み、何も見えなくなった。
『天湖があることは確認されています。過去に到達した記録もあります』
だが、簡単に入れる場所ではない。
頂部には安定して降りられる場所がほとんどなく、岩峰の周囲では風も巻く。
雲と霧、水煙が重なるため、上空から湖全体を継続して見ることもできない。
ルカは最初の遠景写真へ戻った。
下には、ロンユウが集まる滝壺。
その上へ、何度も水が現れては消えている。
さらに上。
雲に隠れた頂上。
その向こうに天湖がある。
「ロンユウは、あそこまで行くの?」
『上部でも確認されています』
だが、下にいる一匹を天湖まで追い続けた記録はない。
ルカは黒いロンユウの映像と、巨大岩峰の写真を見比べた。
「人も、ここ登るんだよな」
『魚と同じ道では行けませんけどね』
人間側の経路が重ねて表示された。
水路を外れ、岩壁の側へ大きく回り込んでいる。
途中にはロープを使う区間もあった。
ルカは少しだけ画面へ顔を近づける。
「……ここ通るの?」
『そうなります』
ルカは写真を閉じなかった。
◇
参加打診の最後に、今回の調査目的が記されていた。
滝下で個体を識別し、その後の移動を追う。
これまで途中で切れていた記録を、上流までつなぐ。
ルカは地図の一番上を見る。
《天湖》。
「今回は、どこまで追う?」
フィンはすぐに答えた。
『最後までです』
ルカは黒いロンユウの映像へ戻った。
まだ滝の下にいる。
その魚が、この先どの水を通り、どこまで上っていくのか。
もう一度、巨大岩峰を見る。
中腹から先は雲の中だった。
「行きたい」
参加条件を確認して、回答を送った。
◇
その夜。
現地の固定カメラには、昼より多くのロンユウが映っていた。
黒い魚体が滝壺の深みに重なる。
一匹が白泡へ近づく。
その後ろから、もう一匹。
強い流れに押し戻されても、魚たちは下流へ離れない。
深みに戻り、また滝へ頭を向ける。
《帰龍》は、まだ始まっていない。
だが、魚たちはもう上を向いていた。




