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探釣師 ――まだ誰も知らない魚を求めて  作者: ヤマト


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30/52

第30話 雷角魚

 翌日の午後。


 雷帝湖に、また雷雨が来た。


 雷鳴が山の向こうへ離れていく。


 観測所では、誰も急がなかった。


 シエナが気象情報と周辺の落雷状況を確認する。


 ナディアは湖水の状態を見る。


 フィンは過去二回の記録を開いていた。


「時間帯に入ります」


 フィンが言った。


 オーウェンが立つ。


「行くぞ」


◇


 湖へ出ると、魚はすでに動き始めていた。


 フラッシュシャイナーの群れが水面近くを走る。


 その下を別の魚影が横切った。


 遠くで一度、水面が割れる。


 だがルカはロッドを持たなかった。


「まだ投げないのか?」


 ギルが聞く。


「まだ違う」


 ルカはフラッシュシャイナーを見ていた。


 サイラスも同じ方向を見る。


「何を待ってる」


「でかいのが上がってくるまで」


 ジョナスがソナーを追う。


 中型。


 大型。


 いくつも反応が入る。


 だが、これまで見てきたあの太い反応はない。


 ギルの足元には、大型ネットと保持具がすでに準備されていた。


 ダリオが固定具と補助ロープを確認する。


「こっちはいつでもいける」


 ルカは群れから目を離さない。


 突然。


 フラッシュシャイナーが崩れた。


 一斉に散る。


 大型魚が下を通った。


 群れはすぐ戻る。


「ストームトラウトか」


 サイラスが言う。


 ルカは首を振った。


「今の逃げ方、覚えとく」


 もう一度。


 別の方向から捕食魚が入る。


 銀色の群れが横へ逃げる。


 外へ出た数匹が一気に加速した。


 すぐ群れへ戻る。


 ルカは黙って見ていた。


「ジョナス」


「まだだ」


 時間が進む。


 フィンが記録する。


 ナディアが水面を見る。


「前回と近い状態には入ってる」


 その時。


 ジョナスの声が変わった。


「来た」


 深部。


 太い反応。


 ゆっくり上がってくる。


 ルカがロッドを取った。


「方向は?」


「正面より少し右」


 ノーランが岸を見る。


「ここなら動ける」


 オーウェンが言う。


「無理に追わない。入る範囲でやれ」


「分かった」


 巨大反応が中層へ入る。


 その上。


 フラッシュシャイナーの群れが動いた。


 水面下を大きな影が通る。


 ルカが息を止めた。


 頭の前。


 二本の影。


「いる」


 フィンが記録機材を向ける。


 ルカはルアーを結んだ。


 フラッシュシャイナーに近い大きさ。


 銀色。


 サイラスが見る。


「どう通す?」


「まず普通に」


 ルカが投げた。


 一投目。


 群れの外側へ入れる。


 巻く。


 ルアーが群れから離れる。


 巨大な影が一度向いた。


 だが追わない。


 そのまま沈んだ。


「見た?」


「見てた」


 ルカが回収する。


 二投目。


 今度は少し深く通す。


 捕食魚が入っている層。


 ルアーを速く引く。


 巨大反応が近づいた。


「後ろ!」


 ジョナスが叫ぶ。


 ルカが巻く。


 大きな影がつく。


 あと少し。


 だが。


 魚は急に向きを変えた。


「離れた!」


 ルカは止めた。


 追わない。


 ルアーを回収する。


 サイラスが湖を見る。


「速さじゃないな」


「うん」


 ルカは答えた。


 だが、すぐには投げなかった。


 フラッシュシャイナーを見る。


 また捕食魚が入る。


 群れが割れた。


 一匹が外へ飛び出す。


 短く加速。


 止まる。


 急に角度を変える。


 もう一度だけ走る。


 別の一匹も同じだった。


 一直線には逃げない。


 短く走る。


 止まる。


 方向を変える。


 その瞬間だけ、追っていた魚がわずかに遅れる。


 ルカの目が細くなる。


「……これか」


 ルカは逃げる小魚の群れを見た。


「ずっと全速じゃない。切り返す場所が同じだ」


 フィンも群れの動線を追う。


 ルカはロッドを握り直した。


「ずっと速くない」


 ルアーを見る。


「走って、止まって、ずらす」


 サイラスは何も言わず湖を見た。


 ジョナスが反応を追う。


「まだいる。少し下」


 ルカが構えた。


 三投目。


 フラッシュシャイナーの群れより少し先へ落とす。


 巻く。


 短く速く。


 止める。


 ルアーが沈みかける。


 横へ鋭く動かす。


 もう一度だけ走らせる。


 水面下の影が向いた。


「来る!」


 ルカは動きを変えない。


 短く走る。


 止まる。


 ずらす。


 次の瞬間。


 湖面が爆発した。


 ドンッ。


 ロッドが根元から曲がった。


「来た!」


 ラインが一気に沖へ走る。


 ドラグが鳴り続ける。


「でかっ……!」


 ルカが腰を落とす。


「無理に止めるな!」


 オーウェンが言う。


 魚は沖へ走った。


 次に横。


 水面近くへ上がる。


 巨大な背。


 その前方。


 二本の太い突起。


 今度ははっきり見えた。


「二本!」


 フィンが声を上げる。


 魚が潜る。


 ロッドがさらに絞られる。


「右へ行く!」


 ノーランが岸沿いを見る。


「ルカ、三歩下がれる!」


 ルカが動く。


 ラインが岩へ寄る。


「ダリオ!」


「見えてる!」


 ダリオが補助ロープを引き、足元の機材をまとめて導線を空ける。


 シエナが周囲へ声を飛ばす。


「後ろ空けて!」


 ナディアとジョナスが下がる。


 サイラスは魚の進路を見ていた。


「次、沖へ返す」


 魚が反転する。


 ルカがロッドを横へ倒した。


「今!」


 サイラスの声と同時に、魚が岩から離れた。


 ラインが沖へ出る。


「抜けた!」


 ルカが巻く。


 魚は止まらない。


 長い。


 太い。


 水中で向きを変えるたび、二本の突起が見える。


 ギルが大型ネットを取った。


 魚が岸際まで来る。


 次の瞬間。


 強く尾を振り、また沖へ走った。


「うわっ!」


 ルカの腕が伸ばされる。


「持ってかれるな!」


 オーウェンが横に入る。


 ルカは足を踏み直す。


 止めない。


 走らせる。


 止まったところで巻く。


 少しずつ距離を詰める。


 魚の動きが変わった。


 大きく走らなくなる。


「ギル」


「分かってる」


 ギルが大型ネットを水へ入れた。


 魚体全部を入れるためではない。


 頭部の向きを取り、岸際で暴れさせないためだ。


 一度。


 魚が頭を振って外れる。


「まだ!」


 ギルは追わない。


 ルカが魚を回す。


 サイラスが反対側を見る。


「次、左から入る」


 ルカがロッドを倒す。


 魚が向きを変えた。


「今!」


 ギルがネットで頭部を取る。


「ダリオ!」


「保持具入れる!」


 ダリオが準備していた大型魚用の保持具を水へ送る。


 ギルが魚体の向きを安定させる。


 オーウェンとサイラスが補助へ入った。


 保持具が胴を支える。


「入った!」


 魚体を水中に残したまま、頭部と胴を安定させた。


 ルカはようやく力を抜いた。


 腕が震えていた。


◇


 魚は水中で保持された。


 全身が見える。


 暗い青灰色の背。


 淡い腹。


 細かな鱗。


 太い尾。


 そして頭部から前へ伸びる、二本の厚い突起。


 ルカはしゃがみ込んだ。


「これ……」


 フィンが記録機材を構える。


 ナディアとエヴァンも近づく。


「生体確認」


 フィンの声が少しだけ強くなった。


「頭部に二本の角状突起」


 ギルが魚体を支える。


「計るぞ」


 計測具を当てる。


 フィンが数値を見る。


 一瞬、黙った。


「二・八メートル」


 ルカは頭部から尾まで視線を走らせた。


 エヴァンは二本の突起を観察する。


「これが何のためにあるかは、まだ分からないな」


 ナディアが言う。


「水圧や振動、流れを感じる器官の可能性はある。でも今は仮説」


「電気?」


 ルカが聞く。


「それも証拠はない」


 サイラスが魚を見る。


「分からないものは残しておけ」


 フィンが記録へ入力する。


 過去の報告。


 今回の生体確認。


 二本の角状突起。


 二・八メートル。


 捕獲地点。


 時刻。


 雷雨との時間関係。


 一つずつ記録になっていく。


「名前は?」


 ルカが聞いた。


 エヴァンが答えた。


「古い観測記録に、呼び名だけ残っている」


「何て?」


「サンダーホーン」


 ルカが魚を見る。


「正式な名前じゃなかった?」


「生体確認がなかったからな」


 フィンも記録を確認する。


 しばらく魚体を見てから、入力した。


「生体確認名――雷角魚」


 その横へ通称が入る。


 雷角魚〈サンダーホーン〉。


 ルカがもう一度魚を見る。


「サンダーホーン」


 魚が尾を動かす。


 ギルが言った。


「戻すぞ」


 全員が位置につく。


 保持を緩める。


 まだ動かない。


 ギルが魚体を支えたまま待つ。


 尾が一度動く。


 もう一度。


 力が戻る。


「離す」


 手が離れた。


 雷角魚〈サンダーホーン〉はゆっくり前へ進んだ。


 次の瞬間。


 大きな尾が水を押した。


 暗い魚体が沖へ向かう。


 深く。


 さらに深く。


 やがて見えなくなった。


 ルカはしばらく水面を見ていた。


「結局、普段どこにいるかは分かんなかったな」


 フィンが答える。


「分かったこともあります」


「何?」


「上がってくる可能性が高い時間です」


 ルカは湖を見る。


 青白いモヤは、もう薄くなっていた。


 その向こうで、フラッシュシャイナーが銀色に光る。


 雷雨のあとに動き始める、雷帝湖の食物連鎖。


 その中で、深い場所にいた巨大魚まで上がってくる時間がある。


 全部が分かったわけではない。


 それでも、見えなかったものが一つ見えた。


 オーウェンが荷物をまとめ始める。


「戻るぞ」


 ルカが立ち上がる。


「次は?」


 オーウェンが振り返った。


「帰ってから考えろ」


 ルカは湖へ向き直った。


 水面には、もう二本の角は見えなかった。

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