↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
探釣師 ――まだ誰も知らない魚を求めて  作者: ヤマト


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
23/53

第23話 雷帝湖

 大陸間便を降りても、雷帝湖はまだ遠かった。


 ノルディア側の拠点で荷物を積み替え、一行は高原用の輸送車へ乗り込んだ。


 街を離れるにつれて、窓の外から建物が消えていく。


 広がっているのは、黒灰色の岩地と低い稜線だった。


 空が広い。


 道はその中を何度も曲がりながら、グラント高原の奥へ続いている。


 ルカはしばらく窓の外を見ていた。


「飛行機降りてからも長いな」


「まだ着いてませんからね」


 隣のフィンが答える。


「分かってる」


 少しして、ルカが前方を見る。


「湖、まだ見えない?」


「もう少しだ」


 オーウェンが前の席から答えた。


 さらに車両が進む。


 岩の斜面が近づき、視界が一度狭くなった。


 最後の尾根を回り込んだ、その瞬間だった。


 視界のほとんどが水になった。


「……でか」


 ルカが窓へ顔を寄せる。


 高原の巨大な盆地を、灰青色の湖が埋めていた。


 対岸は遠い。


 水面の向こうに山々が重なり、その裾まで湖が続いている。


 岸には黒い岩場が延び、その間に観測塔や桟橋が小さく点在していた。


 雷帝湖〈サンダー・クレーター〉。


 七大極境の一つ。


 名前は昔から知っている。


 雷の多い湖だということも。


 レグナードの会議資料なら、地図の上に収まる一つの湖だった。


 だが、実際にここまで来ると、その感覚は消えた。


「ここ全部、雷帝湖?」


「ああ」


 オーウェンが答える。


「まだ奥がある」


「これで?」


「見りゃ分かる」


 ルカはもう一度窓の外を見る。


「面白そう」


「着いて五分で言うことか?」


「魚まだ見てないから、これからもっと面白いかもしれないだろ」


 オーウェンが少し笑った。


     ◇


 観測所前で輸送車を降りると、湿った風が湖から吹いてきた。


 長時間車内にいた後だけに、目の前の水面が余計に広く見える。


 五十代ほどの男が待っていた。


「予定どおり来たな」


「珍しいだろ」


 オーウェンが答える。


「輸送が優秀だっただけだ」


「お前じゃないのは分かってる」


 二人はその程度で済ませた。


「状況は?」


「昨日から大きな変化なし。水位も安定。東側の固定機だけ通信が少し悪い」


「使える?」


「今のところはな」


 オーウェンが頷く。


 男の視線がルカたちへ移った。


 フィンが小声で言う。


「ドクター・エヴァン・ロークです。雷帝湖生態観測所の主任研究員です」


「この人が」


 エヴァンがルカを見る。


「ルカ・スケイル?」


「そう」


「魚を見るなら荷物置いた方が早いぞ」


 ルカの顔が変わった。


「もう行ける?」


「基準観測からだ」


 オーウェンが言う。


「釣りじゃないぞ」


「分かってる」


 返事は早かった。


     ◇


 湖岸へ下りる。


 近くで見る水は思ったより澄んでいた。


 灰色の砂礫の中を、黒い帯が斜めに走っている。


「何だこれ」


 ルカがしゃがむ。


 黒い砂や小石、鈍く光る岩が帯状に続いている。


 その中で何かが動いた。


「魚いる」


 黒鉄色の小魚が、底へ張りつくように泳いでいた。


 数匹が黒い礫の上を動き、灰色の砂へ出かけた一匹もすぐ帯の中へ戻る。


「フィン」


「撮ってます」


「早いな」


「ルカさんが言うと思いましたから」


「何て魚?」


 フィンが倍率を上げる。


「マグネイトです」


「マグネイト」


 ルカは底へ目を戻した。


 一匹が黒い礫をつつき、また少し進む。


 だが、やはり黒い帯から大きく外れない。


「ここ好きなんだ」


「そういう分布は記録されています」


「何で?」


「そこはこれからです」


「まだ分かってない?」


「分かっていることもあります。でも、見たばかりで全部答えを聞きます?」


 ルカが少し考える。


「……それはもったいないな」


「ですよね」


 ルカは笑った。


 黒い帯の縁で、小石が一つ転がった。


「ん? 今のも魚?」


 ルカが目を凝らすと、黒灰色の小魚が礫の陰から飛び出し、水に運ばれてきた小さな甲殻類を拾った。すぐ隣の石のそばで止まる。


 不規則な斑が礫に紛れ、動かなければ見失いそうだった。


「クロゴロですね」


 フィンが機材を向ける。


「クロゴロ。マグネイトと同じとこにいるんだな」


「どちらもこの辺りで記録されています。でも、動き方は違いますね」


 ルカはもう一度礫を見た。クロゴロが短く泳ぎ、別の石の陰に収まった。


 その時。


 沖で、水面が弾けた。


 ルカが顔を上げる。


 もう一度。


 今度は一か所ではない。


 銀色の魚が次々と水面から飛び出した。


「うわっ!」


 銀色の小魚が光を反射しながら連続して跳ね、湖面の一角で飛沫が立て続けに弾ける。


「何だあれ!」


 ルカは立ち上がった。


 走らない。


 その場から群れを追う。


「フラッシュシャイナーです」


 フィンも機材を向けている。


「フラッシュシャイナー」


 銀色の群れが水中で一斉に向きを変えた。


 光が走る。


「何で跳ねた?」


 フィンが記録画面を見る。


 答えるより先に、群れの後ろで水面が大きく押し上げられた。


「……何かいる」


 ルカの声が低くなる。


 銀色の魚が左右へ割れた。


 水面下を黒い影が横切る。


 太い。


 長い。


「追っていい?」


 ルカがオーウェンを見る。


 オーウェンは湖面を確認した。


「岸から見るだけだ」


「分かった」


 ルカはすぐ水へ視線を戻した。


 黒い影は群れの下を通過していく。


 次の瞬間。


 水面近くへ、ぬるりと背が出た。


 長い魚体。


 黒褐色の背。


 水を押し分けるように曲がり、そのまま深く沈んでいく。


「今のも魚?」


「雷渦鰻〈ボルテクスイール〉です」


 フィンが答えた。


「どれくらいある?」


「あの個体なら一・五メートル以上はありそうです」


「普通にいるの?」


 エヴァンが横から答える。


「雷帝湖では記録のある魚だ」


 ルカは影が消えた場所を見る。


「一・五メートルが普通に出てくる湖か」


「普通という言い方は雑ですけどね」


 フィンが言う。


「でもいるんだろ?」


「います」


 ルカの口元が上がる。


 フラッシュシャイナーは少し離れた場所で再びまとまり始めていた。


 ボルテクスイールの影はもうない。


 静かになった。


 そう思った時だった。


 さらに沖。


 さっきボルテクスイールが消えた場所より、ずっと先。


 水面がゆっくり持ち上がった。


「……ん?」


 ルカの表情が変わる。


 大きい。


 波ではない。


 何かが水面のすぐ下を通ったように、一筋だけ盛り上がりが走った。


 フラッシュシャイナーの群れが一斉に方向を変える。


 銀色の光が岸側へ走った。


 ルカは目を細める。


「今の、ボルテクスイール?」


 フィンも記録画面を見るが、魚影は残っていない。


 エヴァンも沖を見ている。


「俺にも見えなかった」


「でも何かいたよな」


「水は動いた」


 エヴァンはそれ以上言わない。


 ルカがオーウェンを見る。


「もう少し見に行ける?」


「今日は基準観測だ」


「沖じゃなくて、見えるところまで」


「配置が決まったらな」


 ルカは一度だけ沖を見る。


「分かった」


 追わなかった。


     ◇


 観測が始まった。


 ナディアが採水器を下ろし、ジョナスの水中ドローンが湖底へ入る。


 サイラスは複数地点の観測位置を確認し、フィンはマグネイトとフラッシュシャイナーの記録を続けていた。


 ルカは魚影を追いながら、黒い帯にも目を向ける。


「これ、ずっと沖まで続いてる?」


 エヴァンが答える。


「雷脈だ」


「雷脈?」


「ここの呼び方だ」


「雷と関係ある?」


「ある」


 ルカが続きを待つ。


 エヴァンは歩き出した。


「今日は場所を覚えろ」


 ルカは黒い帯を見る。


 マグネイトがその上を泳いでいる。


 聞くより、まだ見るものの方が多そうだった。


「魚多いな、この湖」


「まだ入口ですよ」


 フィンが言う。


 ルカは沖を見る。


「それであれもいるし」


「さっきの水面ですか?」


「うん」


「記録には残します」


「また動くかな」


 その時、シエナが空を見上げた。


「雲、育ってます」


 全員の視線が山の向こうへ向く。


 白い雲が、縦へ大きく膨らんでいた。


 朝より高い。


 底の一部は灰色になっている。


 エヴァンがその雲を見る。


「少し早いな」


「雷?」


 ルカが聞く。


「まだだ」


 少し間があった。


 遠くで低い音が響いた。


 ルカが山を見る。


 湖面はまだ静かだった。


 マグネイトも、フラッシュシャイナーも、それまでと変わらず泳いでいる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。