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探釣師 ――まだ誰も知らない魚を求めて  作者: ヤマト


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19/52

第19話 候補

月影湿地〈ムーンシェイド〉から戻って三日後。


 ルカの端末に、国際探釣機構から通知が届いた。


『翌日 午前十時

 国際探釣機構本部・遠征統括局

 第三面談室へお越しください』


 その下に、本部内の案内図が添付されている。


「遠征統括局か」


 雷帝湖で調査計画が動いていることは聞いている。


 けれど、それと自分が呼ばれたことが繋がっているかは分からなかった。


「まあ、行けば分かるか」


◇


 翌朝、ルカはブルーリーチを出た。


 湖の多い地元を離れ、高速鉄道で数時間。


 車窓の向こうから水辺が減り、建物の密度が上がっていく。


 レグナードへ入る頃には、景色はすっかり変わっていた。


 高架線がいくつも交差し、その間を列車が行き来している。遠くには航空機が低く進み、駅の案内表示にはルカの知らない都市名がいくつも並んでいた。


 国際探釣機構本部がある街。


 ブルーリーチとは、同じ大陸の街とは思えない。


 駅を出て、本部へ向かう。


◇


 国際探釣機構本部は、ルカが想像していたより騒がしかった。


 大きなケースを二人がかりで運ぶ職員。


 濡れたままの防水バッグを抱えた探釣師。


 壁際では技術支援局の職員たちが、分解された通信機器を囲んでいた。


 大型表示には世界地図が開かれている。


 アルヴェリアの外にも、いくつもの観測点や遠征記録が散っていた。


 ルカは歩きながら、少しだけ足を緩めた。


 知っている水域の名前もある。


 知らない場所は、それ以上に多い。


 その中には、海を隔てた別大陸の記録もあった。


「……こんなにあるんだ」


 受付で用件を伝えると、遠征統括局の区画まで案内された。


 廊下の雰囲気も少し違う。


 壁には魚の写真より、地図が多かった。


 等高線や河川、湖岸に、避難地点や通信中継地点、医療搬送経路まで書き込まれている。


 水域へ入るためだけの図ではない。


 戻ってくるための図でもあった。


「ルカ・スケイルさん」


 案内していた職員が足を止めた。


「こちらです」


 扉が開く。


 中には男が一人いた。


 机いっぱいに資料を広げている。


 四十代後半くらいだろうか。


 短く整えた髪。


 派手さはない。


 けれど、机の横に掛けられた上着には、一枚の鱗章が留められていた。


「入れ」


 ルカが中へ入ると、職員が扉を閉めた。


 男は手元の資料から目を上げる。


「ルカ・スケイル」


 確認するというより、名前を読むような声だった。


「座れ」


 ルカは椅子へ腰を下ろした。


 机の端に置かれた名札を見る。


 ロベルト・ケイン。


 国際探釣機構・遠征統括局長。


 一鱗章。


 ルカは名札と男の顔を見比べた。


「あのロベルト・ケイン?」


 男の眉がわずかに動いた。


「どのロベルトだ」


「昔、極境とか高所の遠征に出てた」


「昔の話だ」


「やっぱり」


「それを聞きに来たのか?」


「違うでしょ」


「なら本題に入る」


 ロベルトは一枚の記録を机の中央へ置いた。


「オーウェン・ハートがお前の名前を挙げた」


 ルカは瞬きをした。


「オーウェンが?」


「ああ」


「何に?」


「まだ何にも」


「……何にも?」


「雷帝湖に連れていけとも、どこかの隊に入れろとも言われてない」


 ロベルトはもう一枚、資料を重ねる。


「今後、遠征統括局が組む案件で使える候補の一人として、一度見ておけと言われた」


 ルカは机の上を見る。


 石柱湖。


 砕岩大峡谷。


 それ以前に生態記録局へ提出された記録も並んでいた。


「ずいぶんあるな」


「お前が出した記録だろ」


「全部見るの?」


「必要なら」


 ロベルトが背もたれへ体を預けた。


「先に言っておく。今日は試験じゃない」


「じゃあ何?」


「確認だ」


「何の?」


「お前の名前を、今後の遠征計画に載せていいか」


 ルカは少しだけ姿勢を直した。


「遠征って、極境も?」


「極境だけじゃない」


 ロベルトは即座に答えた。


「大人数を動かす案件。長期間になる案件。撤退が難しい水域。医療や通信を別に組まなきゃ成立しない場所。そういう現場全部だ」


「なるほど」


「だから、魚が釣れるかだけは見ない」


 ロベルトが一枚の記録を指で叩く。


「例えば」


 視線がルカへ向いた。


「お前より、その魚を釣るのが上手い奴がいる」


「それで?」


「どうする」


「そいつに任せる」


 答えると、ロベルトが少しだけ間を置いた。


「迷わないな」


「その方がいいなら」


「自分で釣りたくないのか?」


「釣りたいよ」


「なら?」


「でも、俺がやるよりそいつがやった方が魚をちゃんと捕れるなら、そっちの方がいいでしょ」


「それで納得できる?」


「近くで見れるなら」


 ロベルトが初めて、ほんの少しだけ笑った。


「なるほど」


 次の資料へ手を伸ばす。


「じゃあもう一つ」


「まだあるんだ」


「まだ見たことのない魚が目の前にいる」


 ルカの目が少し上がった。


「隊長が撤退を決めた」


 ロベルトは続ける。


「どうする?」


 ルカはすぐには答えなかった。


 机の端に置かれた地図を見る。


 知らない水域ばかりだ。


 そのどこかに、見たことのない魚がいる。


「……見たい」


「聞いてるのは感想じゃない」


「分かってる」


 ルカはロベルトを見る。


「戻る」


「魚がそこにいても?」


「戻る」


「本当に?」


「……たぶん、何回か振り返るけど」


 ロベルトが黙った。


「でも戻るよ」


「どうして」


「次に行けなくなるから」


 ロベルトの視線が止まった。


 ルカは続ける。


「そこで無理して終わったら、もう他の魚に会えないでしょ」


 数秒して、ロベルトが資料を閉じた。


「それならいい」


「そっか」


「見たくない奴を遠征に入れても意味がない」


 ロベルトは机の上に肘を置く。


「魚を見たい。先へ行きたい。確かめたい。そういう奴じゃなきゃ、そもそも遠征なんか続かない」


 少し間を置く。


「問題は、それを止められるかだ」


 ルカは小さく頷いた。


「分かった」


「もう一つ」


「まだあるんだ」


「雷帝湖の調査が動いてることは知ってるな?」


「聞いてる」


「動いてるのは雷帝湖だけじゃない」


 ルカの視線が上がった。


「他の極境も?」


「ああ。今、いくつかの調査が並行して動いてる」


「じゃあ、次はどこ?」


「まだ決まってない」


「じゃあ、どうやって決めるの?」


「決めるというより――」


 ロベルトは机の上の資料へ目を落とした。


「準備が整ったところから動く」


 ロベルトは指を折る。


「現地の許可。季節。水位。天候。人員。輸送。通信。医療。保全条件。調査目的」


 最後に手を下ろした。


「全部が同時に揃うことなんて、ほとんどない」


「待つ場所もある。先に進める場所もある。途中で止める場所もある」


 ルカは少し考えた。


「じゃあ、先に動く場所はその時で変わるんだ」


「そういうことだ」


 ロベルトは資料を一枚閉じた。


「水域には、水域の都合がある」


 ルカは少し笑った。


「そりゃそうか。こっちの都合だけじゃ決められないもんな」


 ロベルトは椅子から立った。


「今日は終わりだ」


「で、どうだった?」


「何が」


「俺」


 ロベルトはルカを見る。


「候補には残す」


「何の?」


「今後、遠征統括局が組む案件だ」


「全部呼ばれるってこと?」


「違う。名前を挙げてもいいってだけだ」


「なるほど」


「案件ごとに必要な奴は変わる。お前が合わなければ呼ばない」


「分かった」


「呼ばれたとしても、行けるとは限らない」


「それでもいいよ」


 即答だった。


「呼ばれなかったら、自分で魚探すし」


 ロベルトが短く息を吐いた。


「オーウェンが名前を出した理由は、少し分かった」


「何て言ってた?」


「本人に聞け」


「教えてくれてもいいじゃん」


「帰れ」


 ルカが少し笑った。


「分かった」


 扉へ向かう。


 手を掛けたところで、背後から声がした。


「ルカ」


「ん?」


「遠征に呼ばれるのを待つな」


 ルカが振り返る。


 ロベルトはもう次の資料を開いていた。


「それだけだ」


 ルカは一度だけ頷いた。


「じゃあ、また」


 扉を閉める。


 廊下へ出ると、さっきまでより人の流れが増えていた。


 地図を抱えた職員が横を通り過ぎる。


 別の職員は機材ケースを抱えて走っている。


 大型表示には、世界各地の水域が並んでいた。


 どこか一つだけが動いているわけじゃない。


 世界中で、いくつもの調査が進んでいる。


 ルカは少しだけ立ち止まった。


「面白そうじゃん」


 そのまま出口へ歩き出した。


◇


 ルカが去ってしばらくして。


 ロベルトの端末が鳴った。


『局長、合同会議の準備が整いました』


「ああ。今行く」


 ロベルトは机の上の資料をまとめた。


 いくつもの極境水域に関する報告書が重なっている。


 それを抱え、部屋を出た。

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