第15話 記録に残る魚
ドラグが鳴り続ける。
ロックブレイカーは、ルカの正面には走らなかった。
竿を大きく曲げたまま、巨岩帯へ戻ろうとする。
「左!」
オーウェンの声。
ルカが竿の角度を変える。
魚の向きがわずかにずれた。
だが止まらない。
ラインが水面を切り、岩の際へ近づいていく。
「そのままだと擦る!」
ノーランが下流側から叫ぶ。
ルカは横へ一歩、さらにもう一歩と移動した。
魚を力で止めるのではなく、自分の位置を変える。
ラインの角度が開く。
ロックブレイカーが岩の手前で向きを変えた。
「外れた!」
「まだだ!」
オーウェンが言う。
魚はそのまま深みへ入った。
竿がさらに沈む。
「重っ……!」
ルカは踏ん張る。
「止めるな!」
「え?」
「出せ!」
オーウェンの声に、ルカがドラグを見る。
ラインが引き出されていく。
無理に巻かない。
ロックブレイカーは深みの中を大きく回った。
その間に、ノーランが下流へ移動する。
「こっち空いてる!」
ギルは保持場所で大型網を準備している。
シエナは水位と足場を見ながらルカの移動先を確認する。
「右、一歩なら行ける!」
「分かった!」
ルカが動く。
ロックブレイカーも動く。
巨岩帯から少しずつ離れていく。
◇
魚が再び走った。
今度は上流。
「戻る!」
ルカが竿を立てかける。
「立てすぎるな!」
オーウェンが言う。
ルカは角度を落とす。
ロックブレイカーの進行方向とラインが一直線にならないよう、横へずらす。
魚が一度止まった。
その瞬間だけ、ルカはハンドルを二度ほど回す。
だが、すぐにまた走り出した。
「全然寄らない」
「寄せるな」
「でも捕るんだろ?」
「今は岩から離せばいい」
ルカは前を見る。
さっきまで魚がいた巨岩帯は、もう少し遠い。
「そっか」
無理に近づけなくていい。
まず、巨岩帯から出す。
ロックブレイカーがもう一度深みへ入る。
今度は先ほどより短い。
浮いてくる。
水面の下。
巨大な影が見えた。
「でか……」
ギルが声を漏らす。
ルカが初めて、全身に近い姿を見る。
三メートルを超えているように見える太い体。
暗い赤褐色の背。
くすんだ銅色の体側。
頭の前には、黒灰色の槌状の構造が横へ張り出している。
その表面には古い擦れ跡や欠けたような傷、新しい明るい擦過痕も見えた。
「頭、傷だらけだ」
ルカが言う。
「見るのは後だ!」
オーウェンの声。
「今は捕れ!」
「分かった!」
魚が再び沈む。
◇
ファイトが続く。
だが最初ほど走らなくなった。
ロックブレイカーが水面近くへ出る時間が少しずつ長くなる。
「ギル」
「まだ」
ギルは網を構えたまま動かない。
魚が近づく。
頭が水面下へ見える。
ギルが一歩入る。
だがロックブレイカーが反転した。
「今じゃない!」
網を引く。
魚が横へ走る。
ルカがその動きに合わせる。
「次、こっち来る!」
ノーランが水際を空けた。
シエナが周囲を見る。
「足場そのまま! 下がらなくていい!」
オーウェンが魚の動きを読む。
「ルカ、巻ける分だけ巻け!」
ルカがハンドルを二度回したところで、魚がこちらを向いた。
「今!」
ギルが大型保持網を沈める。
ロックブレイカーの頭部が入る。
続いて太い胴、胸鰭、尾まで網の中へ収まった。
魚が大きく身をひねる。
「入った!」
ギルが叫ぶ。
「上げるな!」
オーウェンが即座に言う。
保持網は水中のまま。
複数の固定点へロープを取る。
ノーランが岩へ回り、補助ロープを固定する。
ルカはラインの張りを緩めた。
「捕れた……?」
「捕れた」
オーウェンが答えた。
ルカはようやく息を吐いた。
◇
ロックブレイカーは水中に保持されたまま、状態を確認された。
ギルが魚体の姿勢を保つ。
ダリオが水中カメラを寄せる。
フィンが記録を始めた。
「三メートルは超えています」
ルカが魚を見る。
「やっぱりそんなにあるんだ」
「正確な値は映像と計測記録を合わせます」
魚体は想像していた以上に厚い。
頭部だけではない。
胸から尾まで太く、強い流れの中でも形が崩れない。
槌状の頭部表面には、大小の擦過痕がいくつもある。
新しいものだけではない。
古く色の変わった痕も残っていた。
ルカは槌状の頭部に残る古い痕と、新しい明るい擦過痕を見比べた。
「新しいのと古いの、両方ある」
フィンは映像へ残す。
「原因は分けて記録します」
胸鰭や口、眼、体表、尾まで、撮影位置を変えながら記録していく。
オーウェンが魚の状態を見る。
「長くやるな」
「はい」
フィンが答える。
ルカはロックブレイカーの頭を見る。
そのまま記録写真の頭部と、岩の破断面を見比べた。
「捕れたのに、岩のことはまだ残ったな」
フィンは頷く。
「捕獲記録と行動の理由は別です」
ルカは画面を閉じなかった。
ルカは魚を見る。
ロックブレイカーは保持網の中で、ゆっくり胸鰭を動かしている。
「じゃあ、まだ調べることあるな」
「たくさんあります」
◇
記録を終える。
「外すぞ」
ギルがフックを外す。
魚体に異常がないか、呼吸や姿勢、鰭の動きを順に確認する。
「問題ない」
オーウェンが頷いた。
「放せ」
固定を外し、保持網を開く。
ロックブレイカーはすぐには出なかった。
巨体が水中でゆっくり向きを変える。
やがて尾を二度ほど大きく振り、網から離れていった。
「行った」
ルカが見送る。
ロックブレイカーは深みへ向かった。
一度、巨岩帯の手前で止まる。
ルカたちは何も言わず見ていた。
巨大魚は岩の間へ入る。
槌状の頭が見えなくなり、太い胴が岩の間へ入り、最後に大きな尾が消えた。
◇
拠点へ戻ると、フィンが今回の記録を整理した。
既知魚の分布。
新たに確認した魚場。
大淵の魚類記録。
未記録種候補、深岩打魚〈ディープノッカー〉。
そして、
砕岩槌〈ロックブレイカー〉。
「いっぱい増えたな」
ルカが端末を覗く。
「今回の目的は魚類調査ですから」
「そうだった」
「忘れてたんですか」
「途中から、あいつばっか見てた」
フィンが少し呆れた顔をする。
ルカは記録をもう一度見た。
まだ調べていない区画。
記録の薄い流れ。
深さしか分かっていない淵。
地図には空白がいくつも残っている。
「また来たら、違う魚いるかな」
「いるかもしれません」
ルカは峡谷へ顔を向けた。
壁際。
急流。
礫場。
大淵。
巨岩帯。
この数日だけでも、それぞれ違う魚がいた。
その奥には、まだ見ていない流れが続いている。
遠くの白波を、一つの魚影が横切った。
「あ」
ルカが目で追う。
だが、岩陰へ消える方が早かった。
何の魚だったのかは分からない。
ルカは少し笑った。
「まだいるな」
峡谷の流れは、その先へ続いていた。




