第11話 岩と流れ
朝の拠点では、すでに何人かが調査準備を始めていた。
ダリオは通信機の電源を確認し、シエナは水位計を見ている。
「昨日より少し下がってる。午前中は問題なさそう」
ノーランも川沿いの進路確認から戻ってきた。
「昨日見た壁沿いから入れる。その先も途中までは確認した」
「今日は魚見るんだよな?」
ルカが竿を手に取る。
「魚と、魚がいる場所だ」
オーウェンが答えた。
「必要なら釣る」
フィンも端末を開く。
「区画ごとに確認します。全部捕る必要はありません」
「分かった」
ルカはもう川を見ていた。
◇
最初に入ったのは、昨日クリフグライダーを見た岩壁沿いだった。
強い流れが岩壁へ斜めにぶつかっている。
その狭い帯を、細身の魚が何匹も滑るように進んでいた。
「いるな」
ルカが目で追う。
フィンが位置を記録する。
「この壁沿いにまとまっていますね」
ルカは魚の動きを追った。
一匹が流れに押される。
だが離されない。
体を傾け、そのまま壁沿いへ戻った。
「流れに逆らってないな」
「そう見えます」
「釣る?」
オーウェンが首を振る。
「ここは観察だけでいい。先へ行くぞ」
「分かった」
ルカはもう一度だけクリフグライダーを見てから、その場を離れた。
◇
次の場所では、川の中央に大きな岩が突き出していた。
本流が岩へぶつかり、左右へ分かれる。
だが、その真後ろだけ水の向きが違う。
「戻ってる」
ルカが言う。
水面の泡が下流へ流れず、岩の裏をぐるりと回っている。
「反転流だ」
オーウェンが答えた。
ルカが覗き込む。
「なんかいる」
暗い魚影が一匹。
流れの中を泳ぎ回るわけでもなく、岩の裏へ張りつくように留まっている。
「ロックエディです」
フィンが言った。
「巨岩裏の巻き返しでよく確認される既知種です」
「ここにも記録ある?」
フィンが端末を見る。
「この地点の捕獲記録はありません」
オーウェンがルカへ竿を向けた。
「一匹確認する」
「俺が?」
「ああ」
ルカはルアーを本流へ入れた。
流されたルアーが巨岩の横を通り、反転流へ巻き込まれる。
魚影が動いた。
竿先が沈む。
「来た!」
ロックエディは本流へ出ず、巻き返しの中を大きく回った。
ルカは巻き急がず、魚が流れから外れたところで寄せる。
「ギル」
「ああ」
ギルが保持網へ入れた。
フィンがすぐ魚体を確認する。
暗い灰褐色の体は背が高く、尾柄が太い。
測定と撮影を行い、捕獲地点、流速、水温まで順に記録していく。
「ほんと細かいな」
「必要な記録です」
確認を終えると、ロックエディを流れへ戻した。
魚は一度本流へ押されたあと、自分から巨岩裏へ戻っていった。
「やっぱそこ戻るんだな」
ルカが呟く。
フィンはその動きまで記録した。
◇
さらに下流へ進むと、流れが浅くなり、底一面に丸い礫が広がっていた。
「昨日のやつ、この辺だった」
ルカが足元を見る。
「礫に消えた魚」
しばらく何も動かない。
ルカが一歩進む。
ぱっと数匹の魚が散った。
「あ!」
直後、一匹が体を震わせる。
頭から胴、尾まで順に礫の隙間へ沈み、最後には跡形もなくなった。
「グラベルダイバーです」
フィンが言う。
「やっぱ魚だった」
「昨日見たものと同じ特徴です。少なくとも、この礫帯にいることは確認できます」
ルカがしゃがむ。
「中どうなってるんだろ」
「礫を動かすなよ」
ノーランが言う。
「魚場壊すから」
「分かってる。見るだけ」
少し離れた礫の脇で、別の小魚が尾を振った。
細かな砂が舞い、その姿が一瞬でぼやける。
「また違うやつ」
「いますね」
フィンは位置だけ記録した。
ルカは、礫へ潜った場所と砂に紛れた魚のいた場所を見比べた。
◇
昼前。
川幅が少し広がった。
岩壁に挟まれていた流れが、一気に開ける。
その中央を白い波が走っている。
「いた」
ルカがすぐに気づいた。
赤い魚影。
昨日見た魚だ。
白波の切れ目を、赤い線が次々と走る。
「レッドストリークです」
フィンが言う。
「昨日の赤いやつだな」
「ええ。特徴は一致しています」
ルカが竿を構えた。
「これ釣りたい」
オーウェンが流れを見る。
「一匹だけだ」
「よし」
一投目。
ルアーの後ろを一匹が追う。
だが、すぐに離れた。
「速いな」
ルカはすぐには投げ直さなかった。
魚ではなく、水面を見る。
白波の脇に、一瞬だけ流れがまっすぐ伸びる筋がある。
「あそこか」
二投目。
その筋へ入れる。
ルアーが流れに乗った。
赤い影が横から入る。
竿が曲がった。
「来た!」
レッドストリークが水面近くを走る。
赤い体側が何度も光る。
岩へ潜るのではなく、開けた流れをそのまま使って逃げる。
「こいつ、ずっと走る!」
「その流れから外せ」
オーウェンが言う。
ルカは竿の角度を変え、白波の脇へ魚を寄せていく。
数度の走りのあと、ギルが保持網へ入れた。
細長い魚体。
鮮やかな赤い帯が頭から尾へ伸びている。
「きれいだな」
ルカが覗き込む。
フィンはすでに記録を始めていた。
◇
午後。
調査区画を一つずつ抜ける。
岩壁沿いを使うクリフグライダー。
巨岩裏の反転流に留まるロックエディ。
礫へ潜るグラベルダイバー。
開けた速流を走るレッドストリーク。
朝から歩いた距離はそれほど長くない。
それでも、魚がいる場所はまるで違っていた。
「昨日、上から見た時は全部同じ川だったのにな」
ルカが言う。
オーウェンは川を見たまま答える。
「そう見えたか」
ルカも振り返った。
さっきまで赤い魚が走っていた流れ。
その上流にはロックエディのいた巨岩。
さらに向こうにはクリフグライダーの壁がある。
「今は違って見える」
「なら十分だ」
◇
さらに進むと、川の音が少し遠くなった。
流れが緩んだわけではない。
目の前の水面だけが、不自然なほど静かだった。
「ここ……」
ルカが足を止める。
左右を高い岩壁に囲まれた大きな淵。
手前は灰色だが、その先は黒い。
底が見えない。
フィンが地図を見る。
「この深場、記録がほとんどありません」
「ここまで来てた?」
ノーランが首を振る。
「昨日はここまで入ってない」
ルカが一歩近づく。
「今日やる?」
シエナが時刻を見る。
「今日はここまで」
オーウェンも淵を見る。
「深場を見るなら、最初から時間を取る」
「じゃあ明日?」
「ああ」
ルカは黒い水面から目を離さない。
「何いるかな」
「それを調べるんでしょう」
フィンが言う。
「そうだった」
ルカは笑った。
大淵の奥には、まだ何も見えない。
見えないからこそ、ルカはしばらくそこから目を離さなかった。




