川原と葦原
冬の凍てつく寒さがひと段落し、雪解けの水で川の水位が増してきたとある日の夜明け前、ボイは数十名の男たちと前玉の館の裏出口に整列していた。
中央にいるのは馬に乗る大串さん。据え付けられたボイ用特製鞍にはボイが乗っている。
その周りには、いつもの護衛さんが四名でとり囲んでくれている。
さらにその前には、ひときわ大きな馬に乗る使主とさらにその前には翳という団扇みたいなのをもった少年と、飾矛をもった少年がいる。
その後ろには馬に乗ったタッコボの姿があった。タッコボの野郎いつの間にやら生意気にも馬に乗れるようになったようである。
それらの前後を、十人ずつの兵が固めて、最後尾には、2頭の荷物を積んだ馬と、荷物を背負う男たちがいる。
総勢、40人の大所帯である。
そんな大所帯の、まさに中央に、何故かボイがいるのである。
「なんだこれ?」
と、ボイは口に出してしまった。
「あきらめてください。麻禰様ももうとても大切なお方なのですから」
いや、自分なんて、確かにワッカムイマとか言って持ち上げられたり、先日の戦いで、偽巫女の恰好で鼓舞してはいたが、まあそんなものである。
確かにひ弱な子供の身体なので、こうやって保護してくれないととてもじゃないがヤマトなんて、奈良だよね? 行けるわけないのでまあ助かるんだけど。
しかしなんかね、まるでアメリカ大統領じゃないかこれ? 日米首脳会談でテレビでやってたぞこういうの。
そんなことを考えていると、いつの間にやら行列は出発していた。
「大串さん、ずっとこうやって馬で行くの?」
特製の鞍はなんだかんだ、ふわふわな毛皮をつけてくれているので、柔らかくて全然苦ではないのだが、
「いえ、前も一度お邪魔した寄西殿の館に向かい、そこから舟に乗りますよ。そうそう、あそこで飾矛をもっておられる方は寄西の者、寄西の男衾殿なのです。」
「へー。そうなんだね。隣の方は?」
「あちらの翳を持たれている方は、小玉の務見殿ですね。」
「こだま? あ、かっ飛ばしたかもね」
「そうです。そうです。あの戦いにも来られておりました、かの者も、戦場におられたかと」
「そうなんだね。じゃあ、頑張ってくれてたんだね。ありがたいね」
「はははは。やはり、麻禰様は人の上に立つお方ですなぁ」
「え、どういうこと」
「はて、なぜでしょうなぁ」
こんな感じで、ゆるゆると会話をしながら、ポクポクと馬に揺られているとだんだん東の空が茜色に染まってきた。
一度お邪魔した寄西の館が見えてきたのであった。
◆◆◆
寄西の館では使主と大串さんが寄西さんにご挨拶だけしたら、すぐに出立するそうだ。大串さんによると、このあたりもどこに毛野の目があるかわからないので、出来るだけ早く舟に乗りたいということだった。
少しだけ時間があるみたいなので、ボイは男衾くんと務見くんにご挨拶をすることにした。
一人で行くのはちょっと怖いので、タッコボを連れて行くことにした。なんか嫌がっていたが連れて行った。
「こんにちは」
「あ、これは麻禰様。いかがなされました?」
男衾くんが返事をしてくれた。
「男衾くんはここの館の人なの?」
「はい、そうなります」
「前に一度ここに泊めてもらったんだよ。ありがとうね」
「いえ、麻禰様にご宿泊いただき、父も大変喜んでおられました」
「そう。務見くんも、毛野との戦いで、頑張ってくれてありがとう」
「とんでもございません。すべて麻禰様のお声がけのおかげです」
「そんなことないよ。じゃあ、これからもよろしくね」
「「ははっ」」
二人が揃って深く頭を垂れる。
なんとなく、かみ合わない会話だったなあと、ボイは考えながらタッコボを連れて、大串さんの馬の近くに戻っていった。
◆◆◆
一行は寄西の館で馬を預けて、徒歩で館にほど近い、利根川の支流にやってきた。
そこには、寄西が手配した大型の舟が五艘、停められており、船頭さんたちも待機していた。
そこに、大串さんの指示で、各々舟に乗り込んでいく。
1号舟が男衾くんと務見くんの2名。
2号舟が兵士さん十名。
3号舟がボイ、タッコボ、使主、大串さん、四名の護衛さん。
4号舟が兵士さん十名。
5号舟が荷役さん十名。
という形になった。
春が近いとはいえ、少しひんやりする風を受けながら、一直線に並んだ船団はすいすいと、海を目指して進んでいく。
ボイは傍らにいるタッコボに話しかける。
「タッコボはいつ馬の練習したの?」
「前玉にきてから、ずっと大串さんに教えてもらっていたよ。必要なんだって言われたけど、もしかしてこれですか?」
「ええ、そうです。そうなんですが、笠原氏の者としては、馬ぐらい乗っていただかないといろいろと差しさわりがありますので」
「差しさわり?」
「そうですね。大変居心地悪かったとは思いますが、先ほどまでのように、多古殿には馬上にいていただかないと示しがつきません故」
「そうなんですか? なんか、寄西殿や小玉殿に申し訳なかったのですが」
「身分が違います」
「身分ですか? 俺は郷のものですが」
「いえ、貴方は笠原の者です。」
「そうですか……」
ボイが話しかけたのに、いつの間にかタッコボと大串さんで会話をし始めてしまった。しかも使主まで静かに頷いているので、ボイはつまらなくなって周りを見た。
ここはどの辺なんだろう?
利根川といっていたが、確かこの時代の利根川は、いろいろ枝分かれしながら東京湾に注いでいたはずだ。現代なら、そろそろだんだんとビルが増えてきて、武蔵野線や外環道をくぐって東京に入るころだろうか。でも、右も左も、川岸は砂利の川原と葦原しかない。
ごくごくたまに、集落みたいなのがぽつぽつ見えはするがその他には何にもない。
ただ、秩父の山が遠くなり、その向こうの富士山は相変わらず白い雪をかぶっているだけだ。
段々と、太陽が西の空に傾き、あたりが薄暗くなってきたところで、川の枝分かれが激しくなり、ついに、潮の香が漂ってきた。海である。タッコボが目を丸くしている。そうか、タッコボは海が初めてなんだね。
船頭さんが、日が暮れる前に湊へ入ろうと焦りながら櫓をこいでいた。
海に出ると、大きく左の方角に舵を切って、砂州に沿って進む。千葉の方に行くのだろうか?
「本日は舟橋というところに行きますよ?」
大串さんから、妙に聞きなれた地名が出てきた。
「船橋ですか?」
「え? 麻禰様ご存じなのですか?」
もちろんボイは船橋ぐらいは知っている。梨(とか非公認の梨の妖精)が名物のところである。
「見えてきました。意富比のヤシロのかがり火です。今日はあそこまで行きます」
入り江の砂州に舟が寄せられた。迎えだろうか、数人の男が走ってきて、舟の傍らから砂州が途切れるまで板を敷いてくれた。
かがり火が焚かれている場所まで歩くと、小高い丘の麓に、月明かりに照らされて、丸太の防柵に囲まれた巨大な館が建ち並んでいるのが見えてきた。
あれが、今夜の宿となる『舟橋の湊館』ということだった。
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