ワッカムイマ
意を決したものの、どうにも気が進まない。
重い足取りでソタイの郷へやってきたタッコボは、黄金色の稲穂がほとんど刈り取られて、乾いた土がむきだしになっている田んぼで楽しそうに作業するボイの姿を見つけた。
稲の刈り取りをしているボイの手元には、あの日自分が真っ黒焦げにしてしまった例の鎌が握られていた。
だが、何かがおかしい。
ボイは信じられないような速度でザクザクと稲を刈り取っていくのだ。
ひと月も研いでいないのなら、とっくに刃先は赤錆びてボロボロになり、ナマクラになって引っかかっているはずだ。それなのに、あの焦げ鎌は驚くほど滑らかに稲を刈り倒していた。
しかも、怒られているどころか、ソタイルと何やら楽しそうに談笑しながら作業しているではないか。
『いやあ、ボイのその鎌は本当にすげえな。一体全体、どんな仕掛けなんだ?』
『ふふん、いいでしょ! 特別にお願いして、タッコボに『黒鉄に変える秘術』を使ってもらったんだよ』
『いいなぁ。なあボイ、俺の鎌にもその秘術をやってもらえないかね? ちょっとタッコボに頼んでみてくれよ』
『えー、どうしよっかな〜?』
(――はあぁっ!?!?!?)
あぜ道の物陰で聞いていたタッコボの頭の中は『?』で埋め尽くされた。
秘術って何だ。あの日、無理やり焦がされただけじゃないのか。
タッコボが激しく混乱していると、あっさりとソタイルに見つかってしまった。
『おお! タッコボじゃねえか! ちょうどいいところに来た! 頼むよ、俺の鎌にもボイにやったあの秘術をかけてくれねえか!』
『えっ……い、いや、あの……』
『頼むって! 見ろよ、この鎌の切れ味!』
タッコボはソタイルの後ろからひょっこり顔を出したボイの手元を凝視した。
鎌の刃先は、ひと月泥水と稲穂に晒されたはずなのに、赤錆ひとつ浮いていない。どころか、刃こぼれも摩耗もなく、濡れたように美しい黒い光沢を保っていた。
『おい、ボイ! ちょっとそれ見せろ!』
『あっ、ちょっと返してよ!』
ボイから鎌をひったくるように奪い取り、親指の腹で刃先をそっと撫でる。
滑らかで吸い付くような刃先。鉄がまるで別物に生まれ変わっている。
『この鎌……嘘だろ……!?』
目を見開いたタッコボは、踵を返すとタッコの郷へ向かって猛ダッシュで走り出した。
『ボイ! この鎌、ちょっと借りてくぞ!』
『ええっ! ちょっと、まだ収穫が残ってるのに〜!』
慌てて叫ぶボイの口元は、してやったりと不敵な弧を描いていた。
鍛冶場へ息を切らせて駆け戻ったタッコボは、槌を振るっていたタッコルの前へと飛び込んだ。
『親父ィ! これを……これを見てくれ!』
タッコ村の鍛冶場を取り仕切る棟梁であり、タッコボの父親であるタッコル。
白髪交じりの髭を蓄え、無駄口を一切叩かずにひたすら鉄と向き合う頑固な鍛冶職人である。数え切れないほどの鉄を打ち据え、硬く分厚くなったその掌と、鉄の僅かな温度変化すら見逃さない鋭い眼光は、郷の誰からも畏敬の念を集めている。
だが、差し出された鎌を受け取った瞬間、その熟練の職人の動きがピタリと止まった。
『……コボ、これはいったいどうしたんだ?』
『ボイのやつに言われてさ、熱した刃先に猪の脂皮を無理やり押し付けたんだよ。ただの黒焦げかと思ってたのに……何なんだよこれ! 一ヶ月使っても赤錆び一つ出ねえんだぞ!』
『ボイ……ソタイルの娘、ソタイマネボか』
『ああ、そうだよ! あのボイだよ!』
『また、あの娘か……』
タッコルは深く息を吐き出し、震える指先で黒光りする刃をそっと撫でた。
『親父、これ、そんなにすげえのか?』
『すげえどころの話じゃねえ。……昔、都の方から流れてきた渡来の鍛冶師に見せてもらったことがある。小刀なんだがな。本来はヤマトの大王に献上するような代物だ。そいつがまさに、これと同じ黒い光を放ってやがった。水も血も弾き、決して腐らぬ奇跡の鉄……『黒鉄』と呼んでいたよ』
『大王に献上だと!?』
『ああ。それを……あの娘は、泥を払う草刈り鎌なんぞに使いやがったのか……』
タッコルは呆れたように乾いた笑いを漏らし、鍛冶場の奥を見つめた。
『おいコボ。お前、あいつが他村の女子の身で、なぜこの鍛冶場を庭みたいにうろついてもお咎めなしなのか、不思議に思ったことはねえか?』
『え……? いや、ちびっ子の頃から当たり前にいたから気にしてなかったけど……』
この時代、火と金属を扱う鍛冶場は神聖な聖域だ。掟に厳しいタッコルが、他村の人間や子供――ましてや女子の立ち入りを許すなど、本来なら絶対にあり得ないことだった。
『お前が知らんのも無理はない。あいつがまだ三つの頃だ。ふらりと鍛冶場にやってきてな、『ここで使ってる炭は火力が足りない』と生意気に言い放ちやがったんだ』
『はぁ!? 三歳児が!?』
『ああ。わしらも黙っていられんで怒鳴りつけようとしたら、地面に小枝で妙な図面を描き始めた。……その通りに組んだのが、裏山にあるあの土の炭窯だ。空気の塞ぎ方から蒸し焼きの熱の籠め方まで、全部あの娘が指図したのだ。あの窯のおかげで、わしらは他所の村じゃ出せねえ高い火力を手に入れた』
タッコルは黒い鎌を両手で押し頂き、畏れ入ったように天を仰いだ。
『あの娘は、きっとワッカムイマ(天の神の御子)なのだ。火と鉄の神が、あの娘の口を借りて知恵を授けてくださっているに違いねえ。……ありがたいことだ』
神の御子だから立ち入りフリーパス。
まさかあれが『ただの理系知識による嫌がらせとドヤ顔』だとは夢にも思わず、タッコボはただただ不思議そうにタッコルを見つめているだけなのであった。
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