外されて、巻き込まれて
「毛野が、前玉に攻めてきます」
また戦争だ。
タッコの郷が攻められ、命からがら逃げ出し、ようやく前玉にたどり着いてやっと少し落ち着いてきたかと思った矢先にこれである。
沢山の男たちが土埃をあげて大広間に向かって走っていくのが見える。ボイも大広間に行こうと走り出そうとしたが、大串さんに手をつかまれて止められた。
「いけません。姫様はこちらへ」
「え、でも……」
「大変言いにくいのですが、今の麻禰様に出来ることはないのですよ」
そう言われてしまっては仕方がない。確かに、ボイには何もできることはなかった。タッコボや護衛さんも呼ばれて大広間の方に行ってしまった。取り残されたボイは、致し方なく、自分の高床式建物に戻ることにした。
建物の入り口で警備している人が、いつもは長い棒をもって警備しているのだが、今日は鉾をもっている。
ちょっと怖いので、ボイは会釈するとすぐに建物の中に入っていった。
――――。
少しすると、夕餉の時間となった。ボイは使用人の女に言われて、いつもの平地式建物に向かった。
中には、禰米だけがおり、使主と使古はいなかった。
「父上と、兄上は?」
ボイはここではちゃんと使古のことを兄上と呼んでいる。いくら中身が大学院生だとしても、実年齢が十歳なので、兄上と言わないとさすがに角が立ちそうだからだ。
「使主様と使古殿は、軍議に行ってるわ。だから今日は、私と麻禰ちゃんの二人だけ」
「わかりました……大丈夫かな……」
ボイは不安でいっぱいだった。タッコの郷で、本気で攻めてくる小杵になすすべなく味方が総崩れとなり、猛烈な勢いで自分の方に向かってくる敵兵の顔を思い出した。思い出すだけで怖くなって、ボイはうつむいてしまう。
「麻禰ちゃん。大丈夫よ。使主様が何とかしてくれる。それに、もし館に攻め入られるようなことがあれば、私のところにきてね。何とかするから」
「何とか、ですか……」
どうするのだろう。ほとんど日の光に当たらない真っ白い肌。荷物すら自ら持つことがないため、筋肉などつきようもない身体。禰米に何ができるというのか。筋斗雲でもあれば逃げ出せるのかもしれないが、そんな物があるはずはないのである。
夕餉も終わり、禰米が出ていくのを見送った後、ふと平地式建物の奥を見る。そこには、前玉に逃げてきて、最初に目にした論語の一節が書かれている「民無信不立(民信なくば立たず)」である。朝餉か夕餉か定かではないが、食事中に見ていたら、使主から「かっこいいだろ。わしの座右の銘なのだ」と言われたのを思い出した。その時は、『中二病か? 別にかっこよくはないぞ』と思ったものだ。
しかし、なるほど、民からの信頼……。タッコ、ソタイの代表として使主と会見していた時のことを少し思い出し、
「ふぅーっ」
とため息をついて、建物を後にする。
先ほど夕餉の迎えが来た時もそうだが、館の中の移動ですら、警備の者がぞろぞろついてくる。少しだけ鬱陶しいが、これも仕方ない。食事が終わると、あたりは暗くなっていた。最近、めっきり雨が降らないので、星がとてもよく見える。西の方角にある横渟に視線を移すと、この距離でも煌々とかがり火が焚かれているのが分かる。あそこから攻めてくるのか……そう考えると、さらに怖くなってきた。こんな時にタッコボがいればと思って周りを見渡すが、タッコボの姿はどこにもなかったので、仕方なく足早に、自分の高床式建物に戻るしかなかったのである。
◆◆◆
翌朝は早朝から男たちの足音や怒号がバタバタバタバタと聞こえ、ボイは目を覚ました。
高床式建物の中から外をのぞくと、たくさんの男たちが武器や鎧をつけて動いている。
「あっ」
遠目にはタッコボの姿があった。タッコボも鎧をつけていた。昨日訓練として、ばしんばしんとすいか割りみたいにタッコボを叩いていたガキたちもいる。
そんなガキの一人を、鎧をつけている男が走ってきて抱きかかえている。あのガキの父親かなんかだろうか?できれば手加減というものを教育しておいてほしいものだ。
そんな風に見ていると、タッコボとガキどもを置いて、大人たちは館の入り口の方に歩いて行った。
館の中を歩く男たちは、ボイが寝泊まりしている高床式建物から少し距離をとって歩いているのだが、それでも今日はやけに話し声が聞こえてくる。横渟や毛野というキーワードに交じり、阿太知や寄西というキーワードも聞こえてくる。援軍でも出してくれるのだろうか? どういう作戦でどうなっているのかはボイには何もわからない。
ただ、話している男たちの声のトーンからどうも戦いに向かうような高揚感が感じられないとボイは思った。そして、そんな感じで会話している男たちは、ボイの視線に気づくと顔を隠して足早に去っていくのである。
朝餉からの帰り道、大串さんを見つけたので話しかけてみた。
「大串さん、今どんな感じになってるの?」
そう聞くと、大串さんはいつもの表情で、目をパチパチさせながら、
「心配することはございませんよ。使主様は野戦に出で、荒川の手前で食い止めることにしたようです。南から、阿太知殿も援軍に駆けつけてくれます。ご安心くだされ。ただ……」
「ただ?」
「いえ、なんでもございません大丈夫です。使主様、使古様も兵を鼓舞しておりますれば……」
「そう。ありがとう大串さん」
「いえいえ……」
大串さんは突然強くなってきた空っ風に吹き飛ばされそうになりながら、ひょこひょこと去っていった。そんな背中を見つめながらボイはひとりごちた。
「士気か……」
昨日まで、あんなにも煮炊きの煙が上がっていた横渟が、今日はやけにひっそりとしていた。
ただ、その麓の水田や葦原には、蠢くものがたくさんいるのが見える。ボイはそれをじっと見つめて、やがて目をそらし、温かい高床式建物に入っていった。
◆◆◆
ボイが一人、高床式建物にいると、夕餉の時間がきた。またしても、館の縄張り内を大名行列のように移動するのだ。
荒川が見下ろせるところを少し遠回りしてみると、川を挟んだ両岸で毛野軍と使主軍がにらみ合っている。
なお、この時代の荒川は、横渟がある現代の埼玉県比企郡吉見町付近ではなく、前玉がある埼玉県行田市付近、現代の元荒川付近を流れていた。
そのため、前玉からでもこうして様子を見ることができるのであるが、逆に言えば、すぐ近くにすでに毛野軍が迫っているということでもあった。
ボイは少し前に、大串さんに毛野のことを教えてもらっていた。
毛野は(現代の)群馬県南部を支配している豪族なのだが、ちょいちょい山が大噴火し、稲作がほとんどできない土地になってしまったらしく、牧場をたくさん作って馬を増産しているため、主戦力は騎馬隊なのだそうだ。
そして、めちゃくちゃ強いらしいのだ。ボイはついつい「モンゴルですかっ?元寇ですかっ?」と聞いてしまったが、大串さんは首をひねるだけで有効な回答は得られなかった。
そりゃそうだ。元寇はこの時代からするとずーっと未来のお話なのだ。
再び川に視線を移すと、毛野軍は整然と陣をつくり、渡河に向けて準備をしているようだが、使主軍は柵もまばらで、一部の部隊は川岸に張り付かずに待機している。
どう見てもバラバラである。その中で、使主であろうか、ひときわ大きな馬に乗り黒い兜をかぶり、全軍をまとめている武将が見える。
使主軍の士気の低さも心配であるが、そもそも兵力についても、毛野軍が圧倒的に上回っているように見える。しかも、使主軍が歩兵中心であるのに対して、毛野軍は騎馬隊中心の編成をしている。
「大丈夫かな……」
そう、ボイがつぶやくと
「厳しいでしょうな……」
なぜか大串さんが横にいて、話に乗ってきた。
「敵は明朝には動くと思われますが……味方は見ての通り、戦う前から腰が引けておりますな。火の計には強風が不可欠。明日の昼過ぎに風が吹くまで持ち堪えれば我らの勝ち。」
大串さんはボイの目を見て言葉を続ける。
「万が一、風が吹く前に川を渡られれば、我らの負け。前玉は敵の手に落ちます」
「え、それって……というか、そんなこと、私にしゃべっちゃっていいの?」
そう言うと、大串さんはにっこりし、
「もちろんです。麻禰様は笠原の姫でございます故」
と言い残して去っていく。
負ける……負ける……あそこが抜かれたら。河を渡られたら負ける。前玉もタッコの郷みたいになってしまうのか……
ボイは、去っていく大串さんを呼び止めて、質問を重ねる。
「あのっ、そしたら、使主様はどうなるの?」
振り返った大串は、冷たい顔をして言い放った。
「生かしておいてはくれんでしょうな。使主様も、使古様も」
ボイはそれを聞いて、目の前が真っ暗になり、足の力が抜けて、その場にへたり込んでしまったのである。
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本作はただいま第一部完結に向けて、一気投稿をしております。
次回は本日19:00更新となります。
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