家族として
「パパってなんだよ……」
ボイは独りごちた。
いや、自分が悪いのである。
使主は確かに最初、「父上と呼びなさい」と言った。そこで、「パパと呼べですかっ」と心の声を出してしまったのがまずいけない。
そして、それを使主に拾われて、許されてしまった。しかも、その後、「では呼んでみよ」と言われた。
この時点ならまだ戻れた。「はい。父上」と言えばよかったのだ。それを混乱して、「はい。パパ」と呼んでしまった。
「あああああああああああ――――――」
何たること、何たる失態。頭をぶんぶん振りながら、後悔の叫びを吐き出すのであった。
そんなことをしながら大広間がある建物から、自分の高床式建物に戻る途中であったのだが、ふと、ここから少し西にある、ソタイの郷のことを思い出して、西の空を眺める。
冬の澄み切った空気のため、はるか遠くまで見通せるのだが、ソタイはさほど標高がないので、前玉から視線を通せるわけではない。
その代わり、横渟(現在の埼玉県比企郡吉見町)が良く見える。目を細めると、山のあちこちから、煮炊きだろうか、煙が上がっていて、山頂付近はすでに山肌が見えるようになっており、砦のようなものが作られているのが見える。
ボイは、ふぅーっと大きなため息をついて、高床式建物に入っていった。
ボイは最近、郷にいたころより、前世のことをよく思い出すようになっていた。
以前はソタイの郷とタッコの郷、たったこれだけの世界で生きていた。小杵が攻めてくると聞いて、やっとこの前玉まで足を延ばした程度の、狭い世界だ。
しかし、命からがら脱出し、川を下り少し遠くまで逃げた。
たどり着いた阿太知は、令和の時代でいう桶川か川越あたりだろうし、次に逗留した寄西は、今は加須市に合併された旧騎西町あたりだろう。
馬に揺られて冬の冷たい風を浴び、秩父や那須の山々を眺めているとふと実感したのだ。
この世界も、かつて自分が生きていた時代と確かに地続きなのだ、と。
そう認識した瞬間、前世のいろいろなことが、今まで以上によく思い出せるようになったのである。
(松山城だもんなぁ……)
横渟がある吉見丘陵は、後に難攻不落の名城が築かれた場所であった。
◆◆◆
その日の夕方、ボイはまた、少し緊張していた。夕餉の時間である。使用人の女に案内されたそこは、一昨日前玉に到着したときに、タッコボと相部屋で宿泊した平地式建物だった。
奥の中央、上座には使主が座り、使主の左手には奥さんと思われる人が座る。さらに、使主の右手には使主の息子さんらしい人が座っていた。
奥さんはボイが見ても高級そうに見える、翠色の衣を着ていた。髭の配管工の弟の色であるが、この時代でこの色の生地をボイは初めて見た。息子さんは麻だろうか、使主と似たような、なんだかんだ動きやすそうな生成りの衣を着ていた。
ボイは建物に入って、どうすればよいのか立ちすくんでいると、奥さん? がちょいちょいと手招きして、隣に座らせてくれた。
「よし、そろったな。まずは、すまんな。見てわかる通り、毛野が横渟まで進攻してきおる。共食の前に面通しと思ったが、時間がなくてこうなった。使古と禰米には昨日話してあるとおり、タッコの郷の麻禰だ。」
まずはボイの紹介らしい。
「麻禰です。よろしくお願いします。」
どうすればよいのかわからず、とりあえず、名前を言って、お辞儀をしてみた。
「あらあら、可愛いわね。」
隣にいる奥さんが、ころころ笑っている。
「こちらが、嫡男の使古、で、こちらが正室の禰米だ。」
「よろしくね。麻禰ちゃん。」
奥さんはにこにこしながらよろしくと言ってくれた。
「使古だ。よろしく頼む」
嫡男さんは、少し硬い感じで挨拶してくれた。
「よろしくお願いいたします。」
ボイはあらためて、二人にあいさつした。
すると、タイミングを見計らっていたのか、使用人の女たちが、高坏に食事を載せて持ってきてくれて、各人の前に配膳される。
少し硬めに蒸された米に、猪と里芋、蕪などの汁、川魚の塩焼きに干し菜がついている。小さな小鉢に醤が添えられていた。
「焼き魚定食か……」
「ん? どうした?」
「いえ、何でも」
高坏に乗る食事は、共食の宴では、なんだか座席によってメニューが違うようであり、タッコボのメニューが自分のものに比べて大層貧弱でかわいそうだなと思ったわけだが、こうやって家族で食べる食事は基本同じメニューのようだ。ただ、使主だけ、一品多い気がする。なんだろう、みんなも配膳されている胡桃と同じなわけだが、なんだか少しテカリがあるように見える。やはりそのあたりは差をつけるのかと思ってちらっと使主の高坏を見ていると、視線に気づいた使主は、
「麻禰。これが欲しいのか?」
と使主だけの特別メニューのような小鉢を見せてきた。
「あ、い、いえ……」
「遠慮するでないぞ!」
そう言うと、小鉢を持って自ら立ち上がり、ボイの傍らまでトコトコと歩いてきてボイの高坏に置いた。
「さあ、食うがよい!」
「あ、ありがとうございます」
どうしても、使主に何か言われると断ることができないボイである。
そうすると、目線の脇で、ちょっと顔をしかめている使古が見えてしまった。
(あれ? まずかったかな……?)
と思ったが、
「いいのよ麻禰ちゃん、こんな甘ったるいもの食べなくて」
ということだった。しかし、上座でニコニコ顔で見てくる使主が若干怖い。
長い物には巻かれろである。ひとつだけ、折箸で器用につまんで口に入れる。
「甘い……」
「ほら、甘ったるくて食べられたものじゃないでしょ。ね、麻禰ちゃん。無理しなくていいのよ」
(うわ、なんだこの板挟み……いきなりハードモードになっている。)
使主につくか、禰米につくか。どちらにしても地獄である。
ボイが少し固まっていると、使古がさっとボイから小鉢を取り上げて、自分の口にざらざらとすべて入れてしまった。
「あっ」
ボイはちょっと残念だったが、助かったとも思った。
使古はたくさん口にほおばったので、少しの間もごもごしていたが、ある程度飲み込んだところで、ボイをめぐって綱引きする両親をたしなめてくれた。
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