市野川下り
ボイ達一行を乗せた舟はチウラクの水路から市野川に入り、さらに下って行く。
水の流れと、川上方面から吹いてくる季節風により、舟は加速する。
川の水に冷やされた風が、からだの熱を容赦なく奪っていく。
大串さんが布の端切れを渡してくれたので、ボイは冷たい川の水で濡らして絞り、まだ目を覚まさないタッコボの頭を冷やしていた。
「大丈夫かな......」
ボイは心配そうにタッコボの顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですよ。ちゃんと手加減しているので......ねっ」
そういって、大串さんは、タッコボを搬送しそのまま舟に乗り込み船頭を務めてくれている男たちの方に視線を送った。
そういえば、彼らが丸太で後頭部を殴ったからタッコボは気絶しているんだった。
男たちはちょっとばつが悪そうに少し薄暗くなってきた空に向けて目を泳がせている。
「申し訳ございません。タッコボ殿をお連れするように彼らには指示を出したのですが、まさか丸太で殴って気絶させて運んでくるとは......私の落ち度でございます」
「い、いやしかしあの状態ではああでもないとお連れ......」
「黙りなさい!」
男の一人が言い訳しようとすると、大串さんはいつもより数段低い、しかしビリビリと響くような大きな声で彼らを叱りつけた。
はっとして見つめるボイの顔を見て、一瞬『しまった』という顔をして、すぐにいつもの調子に戻って言葉をつづけた。
「現にいま、タッコボ殿は気を失っているではないですか。私はそうしろと言いましたか?」
大串さんは目をぱちぱちさせながら、甲高い声で男に尋ねた。
「いえ、大変申し訳ございません」
大串さん、結構厳しいところあるんだな……と、ボイはゼミのレポートの提出日を忘れていて、教授にしこたま怒られたときのことを思い出し、身震いしてしまった。
そんな大串さんの声が聞こえたのか、タッコボが『うんうん』とうめき声をあげて、目を覚ました。
『あれ、ボイ?ここは?あれ?郷のみんなは?』
『全部終わったよ』
『全部?郷はどうなったんだ?』
『どこまで覚えているかな?男の人たちがわらわらと郷に向かって逃げ始めたでしょ?小杵の軍が私たちの方に迫ってきたよね。それで、大串さんたちに助けられたわけ』
『そ、そうなのか!で、郷は?郷はどうなっている?』
タッコボの質問には大串さんが答える。
『タッコの郷は小杵殿の手に落ちました。ですが、小杵殿の軍勢が郷に入ったところで、全員が服従の意思を示したため、戦は終わったそうです。タッコル殿やソタイル殿も無事ですぞ』
『そうか、ならよかった』
タッコボは安堵の表情を見せた。
(あれ? なんで大串さん、そんなことまで知ってるの? ずっと一緒にいたよね?)
ボイが少し納得できない表情をしていると、タッコボは大串さんに深々と頭を下げた。
『この度は、お助けいただき、誠にありがとうございますっ!このご恩は決して忘れません!』
すると、大串さんは目線を船頭の男たちにむけた
『いえ、私は、マネボ殿をお助けしただけですよ。タッコボ殿はあちらにおられる方々が運んできてくれました』
『ああ、そうでしたかっ!』
そういうとタッコボは船頭の男達に向き改めて深く頭を下げる。
『この度は、お助けいただき、誠にありがとうございますっ!』
しかし、船頭の男たちは、なんとなくばつが悪そうに視線を逸らすだけであった。
◆◆◆
舟はそのまま市野川を下り続け、途中で川の左岸に小高い丘が見えてきたあたりで、船頭さんが舟を留めた。現在でいう、桶川市周辺である。
『ささ、こちらです』
タッコボが目を覚ましてから大串さんは郷の言葉で話してくれている。通常なら律儀な人だなぁと心の中で考えるような状況なのであるが、日が暮れ始めて、さらに冷たさを増した風が容赦なくボイの身体から熱を奪っていたので、あまり余裕がなく、到着したということの安堵感しかなかった。
案内されたのは河岸段丘のなかでもすこし小高くなっているところにある館である。薄暗い中目を凝らすと、付近には建設中の陵(現在の古墳)だろうか?杭を打ち測量しながら慎重に土と砂利を層状に重ねている様子が見える。
大串さんによれば、この近辺を統治している阿太知氏の館だそうだ。厳重に木の柵で囲われた縄張りの入り口には、武装した男たちが数人、にらみつけるように立っている。入り口以外にも外周に沿って等間隔に人が立っているのが見える。ずいぶんと厳重なものである。ボイにはそれがまるで、市ヶ谷の自衛隊駐屯地や横須賀の米軍基地のように見えた。
『すごいなここは、前玉の館(使主の館)と似ているけどずいぶんと厳重なんだな』
タッコボも感じるところがあるようだ。タッコボにしても今までに何度か前玉の館に行ったことはあった。あったのだが、その時も入り口で待たされるようなことはなく、すぐに中に入れてくれていた。
また、このように入り口におっかない人たちが立っていることはなく、大学の正門の守衛のおじさんのような雰囲気であった。
そんなおっかない館なのだが、目の前に到着すると大串さんだけ中に入っていき、他の者は入り口で待たされた。
その間、船頭をしてくれていた男達が周りについていてくれた。ふと見ると人数が増えている。なんとなく、タッコボを丸太で気絶させて両手両足を持って運んでいた男のうちの、舟に乗らなかった2名に似ている。彼らは多くは語らないがそういうことなのであろう。
やがて、一行は、縄張りの中のとある建物に案内される。それは、現代では平地式建物と言われるもので、高床式のように床を高く浮かせず、地面すれすれに板を敷く様式の建物であった。そこに壁が立てられ、その上に屋根が置かれる。一見すると、まるで昭和の時代に大流行した『文化住宅』の平屋のようでもあった。
『マネボ殿、タッコボ殿、どうぞこちらへ』
すでに建物の中にいた大串さんが、ボイとタッコボを招き入れる。
中央に置かれている大きな土器で作られた炭櫃には、炭があかあかと熱をはなっており、建物の中はほんのり暖かくなっていた。
『すごいなこれ』
タッコボは建物の中をきょろきょろ見渡している。前玉の館は確かにすごい、使主と会見する建物は、柱の太さも、屋根の大きさもこの建物とは比べ物にならない。ただそれは、あくまで使主と会見し、我々は平伏する場所に過ぎない。また、ソタイルに聞いた話だと、小杵の御陵の館では筵も敷かれていない地面に、額を強くこすりつけて会見をしていたのだそうだ。我々にとってヤマトの館とは、寛げるように用意される場所ではないのだ。
したがって、自分たちのような郷の者の逗留に、このような建物が用意されることは、感覚的にかなり違和感があるものなのだ。
そうこうしているうちに、数人の女が盆に粥と菜を乗せて運んできて、ボイとタッコボの前に配膳した。
『ささ、召し上がってくだされ』
大串さんが、ボイ達に食べるように促してきた
『いいんですか?こんな......』
余りの厚遇に、ボイが不安になって尋ねると
『かまいません。マネボ殿とタッコボ殿はこの館の客人でございます故』
『そうですか......』
遠慮したものの、ボイはとてもお腹が空いていた。そして、炭櫃の暖かさで、手足は感覚を取り戻してきたとはいえ、からだの芯は冷え切っている。
『いただこうよ、タッコボ』
『そうだな』
もう限界である。ボイは、温かい粥を冷えた体の中に流し込んだ。小口に切った芋と猪肉の汁に雑穀を入れた粥である。ほんのすこし口に含んだだけで、温かさと栄養が全身に染み渡っていくのを感じる。少し強めに効かせてくれている塩が、凍える身体を芯から温めてくれる。
『おいしい......』
ボイは、心の底から感じた。前世でも、こんなにおいしいものを食べた記憶がなかった。確かに、この時代には味噌や醤油、ましてやクリームソースなんてものは存在しない。ただ、前世で食べたどんなものよりも、この粥はおいしかった。おいしいおいしい。
椀のなかの粥が残り少なくなってきたとき、ついに舟をこぎ始めてしまった。
それもそのはずである。昨日、使主と会見して鉄の管理について厳しく指摘され、ソタイで眠れない夜を過ごし、戦で死を覚悟したところをすんでのところで助けられ、寒風にさらされる冬の川を追手から逃れるように下ってきたのだ。大学院生としての前世の記憶を持つボイであっても、からだはまだわずか十歳の少女なのだ。
『あ、あぶねえ』
落としそうになった椀をタッコボに奪われると、ボイはタッコボに身を寄せて、眠りについてしまった。
『しょうがねえなぁ』
タッコボはボイを横に寝かせて、置かれていた綿が入った暖かそうな布を掛けてやった。
部屋の中には、パチパチと炭の爆ぜる音と、ボイの寝息だけが聞こえていた。
参考情報:阿太知は埼玉県桶川市にある、原山古墳の近くに拠点を置くと設定した、架空の豪族です。原山古墳周辺には、この地域を束ねる有力な豪族がいたと想定されています。近くにある三ツ木城は室町時代には原型があったとされていますので、原山古墳を築いた豪族がいたとしたら、三ツ木城あたりに館を構えていたのではないでしょうか?
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