欲望の空
前玉からソタイに帰り、横になったボイであったが、どうも使主に言われたことが気になってなかなか寝付けないでいた。
使主に納める貢物を60%、70%に引き上げろというなら話は早い。使主は欲深な悪徳大名だというだけで済む。しかし、そうではない。大名にあたる使主は「自分の取り分は30%で良い」と言っているのだ。その上で、残りの郷のみんなに分配する分からさらに間引いて、ボイ自身のものにしろと言っている。
それと、不思議なことに米については何も言われていない。貢物としてよこせともなにも言ってこない。求めてくるのは鉄だけである。
実はボイはこの時代に転生してから、こうやって深く考えることはほとんどしてこなかった。
前世での知識を使い、田舎の郷で静かに暮らすのであれば今まで何一つ不自由することはなかったからだ。
確かに、竪穴住居は地面に穴を掘って茅葺の屋根を付けただけなので、前世のような清潔で暖かい部屋はない。コーラやポテトチップスのようなジャンクフードもない。
ただ、郷のみんなで協力して、狩りをした獲物は分け合い、田植えをして稲刈りをし、収穫もみんなで分け合う。鍛冶職人のいるタッコの郷とも米を融通し合い、タッコの郷としては無償で農機具の修理をする。
便利な世界ではないのだが、幸せではある。お腹いっぱいにはならないが、飢えを体験したこともない。
小杵のように郷の民や暮らしを虫けらのように扱うものもいるが、それでも団結して頑張ってきたのだ。
――あれ?
ボイは、少し自分の思考の中で引っ掛かりを感じた。
協力......分け合い?
お金......お金......
一万円札......鉄鋌?
ボイの頭の中に電気が走った。
ボイはたまらずに竪穴住居を飛び出した。ソタイの郷は郷の者も、土堀り衆も寝静まり、下弦の月のわずかな光にほのかに照らされ、ただしんと静まり返っていた。
しかし、タッコの郷の方角を見ると、夜にもかかわらず空は赤く染まり、もうもうと野だたらや炭焼きの煙が立ち上っているのが見える。
お、お金。インフレ、経済過熱、あ、大恐慌?え?第一次世界大戦?
ボイは生前の記憶をこれでもかというほど掘り起こす。
たまに耳に流れてきていたニュースや、大学の選択科目でうすーく教わっている経済学の講義内容が頭の中を駆け巡っていく。
インフレなの?バブルなの?貧富の差?え?え?
専門的なことはわからないが、何かとてつもないことが起こっている気がする。
先日タッコの郷に行ったときに見た、不釣り合いな高床式の倉庫、ヤマト風の服を着ている男、そして、タッコボの浮かない顔。
それらを、前世の記憶という台紙の上に張り付けていくと、とてつもなく恐ろしいこ光景が浮かび上がっている。
――これが、使主様の言っていたこと?
いま、まさにボイは理解した。
遊び半分でたたら製鉄を初め、急激な富を生み出してしまった。
そしてそれが、今まで物々交換で成立していた郷の形を根底から変えてしまっていることを。
だから、使主様はボイに「事前に生産量の大部分を間引け」と命じたのだ。急激な経済の変化にブレーキをかけるために。
「そ、それを分かれって?」
無理な話である。使主とて、経済学につての深い知識があるわけではない。
ただ、為政者の鋭い嗅覚で「民に急激な富を与えてしまうとそこに貧富の差がうまれ、外部から有象無象が入り込み、やがて新たな階級(支配構造)が生まれてしまう」という流れを感じ取っていただけなのだ。
そして、そうなる前に民を統制するために、神を騙ってでも郷をまとめるよう、ボイに忠告していただけなのだ。
ただ、現実は残酷である。ボイは、野だたらをタッコの郷に与えた。彼らは無限に価値のある鉄を生み出せる。熱して加工し、鉄製品を作るための素材である。しかし実際には、鉄鋌は「通貨」のように使われ、古代にはまさに鉄本位制ともいうべき経済が存在しているのだ。そこに、急激に、何もない所から「大量の通貨」が湧き出してしまった。震源地であるタッコの郷が、今まで静かに暮らしていた郷の者たちが、初めて巨大な富を得てしまい、その悪魔的な力に狂わされようとしている。
そう考えると、闇の中で赤々と照らされるタッコの空が、欲望を食らう巨大な怪物のように大層不気味に見えてしまい、ボイはただ、大きく目を見開いて見続けることしかできなかった。
◆◆◆
ボイがタッコの郷の空を見て呆然としていると、やがて夜の闇が東のほうから少しずつ青みを帯びてきた。
すると、土掘り衆のテントから男たちがのそのそと起き出してきた。親方であるニッネは、立ち尽くすボイを見つけると近づいてきて頭を下げた。
「おはようございます、ワッカムイマ様」
「あ、ネッニさんおはようございます……」
「昨日で工事が終わりましたんで、本日飯場を片付けて撤収いたします。お世話になりました」
「ええ、はい……」
上の空で相槌を打つボイをよそに、土掘り衆はあっという間にテントを片付け始めた。
そして、ボイが再びハッと我に返った時には、彼らはもう影も形もなく、ソタイの郷から去っていたのである。
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