土地収用委員会
澄み切った高い空の下、都幾川の水面が冷たい陽光を弾いてきらきらと輝いている。
水路計画を実行に移すため、ボイとタッコボは郷の男を数名連れ、予定地となるチウラクの郷を訪れていた。
『ちゃんとご挨拶しておかないとね。大丈夫かな……』
今日のボイはヤマトの正装ではなく、動きやすい郷の普段着である。
水路の建設――。
これまでは良くも悪くも、ソタイの郷かタッコの郷という『身内』の領地内で色々なことをしてきた。だが今回は違う。他所の郷の土地に直接手を入れることになるのだ。
ボイはこの手の問題には敏感であった。前世の記憶でも、空港や道路といった巨大インフラ建設に必ずと言っていいほどつきまとうのが、地元住民の猛烈な反対運動である。
そこに住む人々が「勝手に土地を掘り返すな!」と思いっきり反対してきたらどうしようと、内心ヒヤヒヤしていたのである。
郷の入り口で待っていると、中から柔和な顔をした男が出迎えてくれた。
『ようこそお越しくださいました』
『……あれ?』
(なんか、歓迎されてる……?)
そのまま郷の奥へと案内されながら、ボイは周囲の景色を興味深く観察していた。
チウラクの郷は、川の砂や砂利が長い年月をかけてこんもりと堆積してできた『自然堤防』と呼ばれる微高地にあった。
川のすぐ近くだからさぞかし稲作が盛んなのだろうと思いきや、そうではない。
水田というものは、ソタイの郷のような河岸段丘があって清水が利用できれば、その高低差を利用して小川からの水を引き込むことで容易に作ることができる。しかし、自然堤防の土地にはそうした都合の良い湧き水がない。
仮に川の伏流水があったとしても、川の水面とほぼ同じ高さとなってしまう。それではひとたび洪水が起きれば稲が泥につかって育たなくなるし、なにより稲作には『水を張る時期』と『水を抜いて土を乾かす時期』があるため、水はけをコントロールする高低差がないと生産量が上がらないのだ。
そういった地理的条件もあり、チウラクの郷は稲作ではなく、水はけの良い土地を好む雑穀の栽培と、川魚の漁で生計を立てているようだった。
やがて一行は、族長のものと思しき一際大きな竪穴式住居に招き入れられた。
『使主様のお使いから、すべて聞いております。我々もお手伝いいたしますので、なんなりとご命令くだされ』
完全に拍子抜けであった。それなりにシビアな用地買収交渉になると身構えていたのだが、どうやら事前に使主がしっかりと手を回してくれていたらしい。
『ありがとうございます。では、さっそく水路を作ってしまっても問題ないのですね?』
『もちろんでございます。予定地のあたりは水も枯れ、作物も育たぬ荒れ地。皆様のお役に立てていただけるのであれば、かえってありがたいのです』
『そうですか、それは良かった。ありがとうございます』
『無論、仮に豊かな土地であったとしても、我々はワッカムイマ様の神命とあらば、命を賭して従う所存にございます』
『ええ……あ、ああ、はい』
また出た、『ワッカムイマ』である。
自分の知らないところで、しかも一度も自分から名乗ったことのない大層な神様の名前がすっかり定着してしまっている。
いったいなんなんだ?
以前もちょいちょい言われていたけれど、タッコルあたりの戯言だろうと思っていたので気にも留めていなかったのだ。
帰り道。浮かない表情で歩いているボイに、タッコボが話しかけた。
『うまくいきそうだな、よかったな』
『うん。まあね』
ボイはそっけなく返事をして、それっきり黙ってしまった。
なにかこう、素直に喜ぶことができない。なんだかよくわからない居心地の悪さを抱えたまま、彼女はすっかり刈り取りが終わった田んぼのあぜ道を、とぼとぼと歩いていった。
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