笠原使主
都幾川の戦いの二日前。ボイとソタイルは前玉にある、笠原使主の館(前玉の館)にいた。
案内された広間で、二人は御陵の館で小杵に強要されたのと同じように、床に額を擦り付けるほど深く平伏した。
あの御陵の館は、大陸渡来の珍しい品々が飾られ、富と権力をひけらかすようなギラギラとした威圧感があった。
だが、この前玉の館に飾り気など一切ない。ただ、空間を取り囲む柱の一本一本が、見上げるほど太く、重厚だった。
「――面を上げよ。ここではそのように平伏せずともよい」
上座から降ってきたのは、威圧感のない、だが腹の底に響くような落ち着いた声だった。
おそるおそるソタイルが顔を上げると、そこには立派な顎髭を蓄え、鋭くも知的な目を向けた男――武蔵の最大勢力、笠原使主が座っていた。
(へぇ……。小杵のジジイとは大違い。見栄より実利を重んじる、話が早そうなトップだね)
ボイは内心で使主を値踏みしながら、顔を上げた。
「小杵の元へ行ったと聞いておったが。わざわざ儂のところへ来たということは、よほどのっぴきならない事情があるのだろう」
「は、はい……。実は、小杵様より、このボイを側女として差し出せと要求されまして……」
「ほう」
使主は興味深そうにボイを一瞥した。
「それは気の毒だが、ソタイの郷は小杵の御陵とは目と鼻の先。たかが村一つのために、儂が兵を動かして小杵と事を構えるわけにはいかんぞ。帰れ」
冷静で筋の通った断り文句。それに対し、ボイはにこっと笑うと、
「親父殿、あれを」
「おう……」
ソタイルが背中から麻袋を床に下ろす。ズドンッ! と館の床がたわむほど重たい音がした。中からゴロンと転がり出たのは、鈍く黒光りする鉄鋌だった。
「それは?」
使主は冷めた目でみつめた。
「こちらはタッコの郷で、川の砂から作った鉄でございます。我々の手で、これだけの鉄鋌をつくりました。そして……」
ボイは、タッコボが打ち上げた『黒鉄の兜』を麻袋の奥から取り出した。
これには、さしもの使主も目を剥いた。
「……見事だな」
「こちらもタッコの郷で作られたものです。つきましては、この技術と引き換えに、援軍をお願いしたく……」
使主は兜から目を離し、少し思案するように顎髭を撫でた。
「よいのだな。貴殿らは、もう少し今の静かな暮らしを続けたいのかと思っておったが……表舞台に出る覚悟を決めた、それでよいのだな」
「はい……」
「あいわかった。二日後の昼に、御陵の館を攻めればよいのだな」
「えっ……なんでそれを」
ボイは思わず間の抜けた声を上げた。まだ何も、一言も伝えていない。
「おぬしら、郷の暮らしは誰にも見られていないとでも思ったのか? もう少し、広く世を見た方がよいぞ」
「は、ははぁっ……!」
ボイ達は、昔のそのままの暮らしを続けていた。それは、自分たちの手でひっそりと守ってきた『独立した平和』だと思っていたのだが……そうではなかったのだ。
最初から、この巨大な権力者の掌の上で泳がされていただけに過ぎない。
二人は、ただただ、平伏するばかりだった。
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