第48話【反逆ー2】ハルカ、鍵を回す。〜10日目の夜明け〜
全員が固唾を飲んで顛末を見守っている。
その時だった。
「よ〜し、書き換え完了!」
場違いなほど、のんびりした声が響いた。謁見の間の空気が止まる。
聖樹の根元。護衛の立ち位置に控えていたはずのハルカが、聖樹の根下にある石板に鍵を刺していた。
「あ、今から戻しますねぇ〜」
そしてその鍵を反転させて引き抜くと、ひらひらと古びた銀の鍵を振り出した。
「……貴様、その鍵は……」
サーネルカの顔色が変わった。
「そこで何をしている……!」
「何って、護衛だからね?」
ハルカは、いつものようににこりと笑った。
「御子様の近くにいるのは、自然だろう?」
その笑みは穏やかだった。けれど、空のような青い瞳は少しも笑っていなかった。
「アリアちゃんが歌っている間に、だいたい終わらせたよ」
「終わらせた……?」
サーネルカの声が引きつる。
ハルカは、聖樹の根元にある古い石板へ歩み寄った。普段なら誰も気に留めない、ただの装飾のように見える石板。だが、その中央には、鍵穴にも似た小さな溝が刻まれていた。
「えーと、あぁこれだね。最後は……こうかな」
ハルカは銀の鍵を石板へ差し込み、くるりと回した。
その瞬間。銀の蔦が、びくりと震えた。
「やめろ……!」
サーネルカの声が初めて乱れる。
「やめろ!!」
だが、もう遅かった。
銀の蔦の内側から、金紫の光が滲み出した。それは、アリアが歌で注いだ光だった。聖樹へ届くはずだった力。帝国の結界へ返されるはずだった祈り。それが、すべて銀の蔦の中に溜め込まれていたのだ。
「な……」
誰かが息を呑む。
銀の蔦は苦しむようにのたうち、抱え込んでいた光を聖樹へ吐き出していく。
枯れかけていた枝に再び若葉が戻り、しおれていた白い花がもう一度開く。今度は、枯れなかった。
貴族たちの顔から、血の気が引いていく。
「蔦が……御子の力を抱え込んでいた……?」
「では、さきほど聖樹が枯れたのは……」
「御子の力が足りなかったのではなく……」
ランカスター伯爵が、真っ青な顔で自分の胸元を押さえた。
彼の胸元に、銀の紋様が浮かんでいる。自邸の防壁と接続された、サーネルカの術式紋。それが、聖樹へ戻る光に引きずられるように、ぎしりと歪んでいた。
ハルカが、鍵から手を離さずに静かに言った。
「聖樹に力が届かなかったんじゃない」
その声は穏やかだった。
「届いた力を、途中で奪っていたものがあるだけだ」
サーネルカの口元が震える。
「黙れ……」
「古の結界が、ただ弱ったんじゃない」
ハルカの青い瞳が、冷たく細められた。
「お前の術式が絡みついて、力を吸い上げていたんだ」
「黙れぇッ!」
サーネルカが叫ぶ。だがその声に、以前の余裕はなかった。
「なぜお前がその鍵を持っている! 陛下! どうなっているのですか!」
玉座で、皇帝が低く呻いた。首筋に絡みついていた銀の蔦が、聖樹へ引き剥がされるように薄れていく。虚ろだった瞳に、ゆっくりと焦点が戻った。
「……私は……」
皇帝の手が、玉座の肘掛けを掴む。
「何を……」
「陛下!」
振り返るサーネルカの声には、明確な焦りがあった。
「久しぶり! サーネルカ!」
ハルカの背後から、別の声が響いた。
聖樹の影から、栗色の髪を持つ青年が歩み出る。シオンだった。
死んだはずの青年の登場に、謁見の間で悲鳴が上がる。
「シオン……!?」
サーネルカの顔が、さらに歪んだ。
「なぜ、貴様が……!」
「殺してくれてありがとっ!でも生きてんだなーこれが!死んだことにしてくれたおかげで、いろいろ動きやすかったよ」
シオンは薄く笑った。
「お前が陛下を蔦で縛っていたからな。ぼんやりした陛下から鍵を取るのは、思ったより簡単だった」
「貴様……!」
「聖樹に寄生し、結界を弱らせ、魔獣が入り込む隙を作る」
シオンの声が、謁見の間に冷たく響いた。
「魔獣が流れ込めば、人は怯える。貴族は自分の屋敷を守りたがる。皇宮は新しい防壁を求める。そこでお前は、自分の銀の蔦を売りつけた」
ざわざわと貴族たちが揺れる。
「まさか」
「そんな…」
その時だった。
「おやおやァ? これは奇妙なことですなァ!」
突如、謁見の間に、わざとらしいほど大きな声が響き渡った。紫のローブを翻し、近衛兵たちを従えて前へ進み出たのは、部隊の隊長であるマーレだった。
彼は白々しく目を丸くし、天井の銀の蔦を指差して大声で叫んだ。
「結界を『守る』はずの防衛局長官殿の術式が! あろうことか、聖樹の力を『吸い上げて』パンパンに膨れ上がっているではありませんか! 一体なぜ、こんなところに泥棒の管が繋がっているんでしょうなぁ!?」
「き、貴様……マーレ……!」
サーネルカの顔が屈辱で歪む。
マーレはサーネルカの睨みなどどこ吹く風で、今度は玉座の皇帝に向かって、わざとらしく恭しく頭を下げた。
「陛下! ならびに列席の貴族の方々! 私にはさっぱり分かりませぬ! 長官殿は、国家の要である聖樹から力を横領し、一体何に利用しようと企んでおられたのでしょうか!?」
その声は、広間にいる全員に「サーネルカが国を裏切って力を盗んでいた」という事実を、これ以上ないほど明確に決定づけた。
ハルカとシオンが広げた証拠に、帝国軍の隊長であるマーレが「公式の太鼓判」を押したのだ。
ランカスター伯爵の顔から、血の気が引いた。
「北部で村が消えた時、真っ先に術式を送ったのは貴様だった……」
彼は、サーネルカをまっすぐ見据えた。
「災厄を防いだんじゃない。災厄を商売にしたんだよ」
「我々は……ただ守られていたのではない」
震える声が、謁見の間に落ちる。
「食われていたのではないのか……?」
その一言が、貴族たちの間を冷たい波のように広がっていった。扇が落ちる音。誰かが息を呑む音。サーネルカを崇めていた者たちの顔から、血の気が引いていく。
「違う!」
サーネルカが叫ぶ。
「私は帝国を――!」
「皇命の名を借りれば、御子ひとり差し出させるのも簡単だったか?」
シオンの言葉に、皇帝の瞳が大きく揺れた。
やがて、皇帝は震える手で額を押さえた。
「……私は……そんな命令を……」
かすれた声。だが次の瞬間、皇帝は血走った目でサーネルカを見た。
「近衛兵!」
皇帝の声が、謁見の間に轟いた。
近衛兵たちが一斉に槍を構える。
完全に追い詰められたサーネルカの顔が、悪鬼のように歪んだ。
「違う……違う違う違う……!」
彼の白い指が、震えながらアリアへ向く。
「私のもとに来い、アリア! お前のその力は、私が管理せねばならないのだ!!」
「……嫌です」
アリアは荒い息をしながら、それでも顔を上げた。声は掠れていた。けれど、一歩も引かなかった。
「私は……ノヴァリアに行きたい! だから、あなたの番には絶対にならない!!」
その言葉を聞いた瞬間。
サーネルカの動きが、ピタリと止まった。
「……ノヴァリア、だと?」
黄色く濁った瞳が、焦点の合わない狂気を帯びて見開かれる。
「なぜだ……。なぜ、お前たちは……」
「え……?」
「前の『聖なる御子』も、まったく同じことを言っていた……!! 海の向こうだの、王のいない国だの、くだらない夢ばかりをほざいて……!!」
アリアの心臓が、大きく跳ねた。
エデンで読み耽った、あの古い旅行記。
擦り切れた最後のページに書かれていた、血を吐くようなノヴァリア語の文字。
『――私は、私のままに生きる。誰にも、奪わせない』
「……まさか」
アリアの震える唇から、声が漏れた。
あの本を残した、顔も知らない前の御子。優しかったリサが、決して語ろうとしなかった彼女の末路。
「前の御子様を……彼女を、どうしたの!?」
アリアの声が、怒りで震える。
「答えなさい!! 彼女をどうしたのよ!!!」
これまでの怯えていたアリアからは想像もつかない、激しい怒号だった。
その怒りに呼応するように、アリアの全身から青い光が強く発光する。
サーネルカは、自分の思い通りにならないその光を見て、ついに完全に理性を吹き飛ばした。
「え?死んだよ?…あは、アーッハハハハ!! あいつもだ! あいつも私を拒み、夢ごと自分を壊した!!」
ドロドロとした黒い魔力が、サーネルカの全身から噴き出す。
「おおおおおお前もか!! お前も私を拒むというなら……!!」
アリアは荒い息をしながら、それでも顔を上げた。
声は掠れていた。けれど、逃げなかった。
涙を浮かべながら、はっきりと叫んだ。
「――私は、私のままに生きる!! あなたなんかに、絶対に奪わせない!!」
それは、死んでいった前の御子から受け取った、祈りのバトンだった。
「黙れぇぇぇッ!!!」
サーネルカの袖口から、殺意に満ちた銀の蔦が噴き出した。
それは空中で一本の矢となり、一直線にアリアへ向かう。
セシルが動く。ハルカが走り出す。
だが。
間に合わなかった。
ドスッ。
鈍い音が、謁見の間に響いた。
銀の蔦で編まれた矢が、アリアの細い胸を深々と貫いた。
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