第39話【決断】「逃げようか」〜9日目の深夜:見返りを求めない風の魔術師と、雷の抜け道〜
コアが砕けた瞬間、部屋の空気がふっと軽くなった。
壁を這っていた銀の蔦の気配が、音もなくほどけていく。息苦しいほど張り詰めていた監視の膜が消え、ハーヴィの執務室はようやく本来の静けさを取り戻した。
遠くで、ゴロゴロと重い地鳴りのような音が響く。
窓の外を見ると、分厚く黒い雨雲が帝都の空を覆い尽くし始めていた。
分厚い扉。天井まで届く本棚。古い紙とインクの匂い。
そして、マホガニーの机の上に積み上げられた魔術書と、古い結界資料。
そのすべてが、今はひどく現実味を帯びて見えた。
アリアは、砕けた銀の欠片を見下ろした。
小さな破片は、まだかすかに光っている。まるで、切り落とされた蔦の先が、最後の力で何かにしがみつこうとしているようだった。
「……整理しよう」
最初に口を開いたのは、ハルカだった。
彼は机に散らばった本を指先でなぞりながら、いつもの穏やかな声で言った。けれどその澄んだ空色の瞳は、少しも笑っていない。
「まず、マーレ先生が言っていたこと。シオンは『アリアちゃんを帝都に連れてくるな』と警告を残した」
「あぁ」
セシルが腕を組み、忌々しげに吐き捨てる。
「シオンの野郎は、皇宮で気づいたんだ。聖樹の力を、あの蛇野郎の術式が吸い取ってやがることに」
聖樹。
帝国の中央神殿に根を張り、古の結界を支えているという光の樹。
アリアは謁見の間の奥で見た、あの巨大な結界中枢を思い出した。透明な水晶のような幹。そこから国中へ伸びる、光の根。
本来なら、あの樹に聖力を流せば、帝国全土の結界が満たされるはずだった。
けれど、違った。アリアがほんの少し歌っただけで、その光は聖樹へ届く前に、銀の蔦へ吸われていった。
「……取られていた」
アリアは、ぽつりと呟いた。深い青の瞳が、確信に沈む。
「私の光、聖樹に届く前に、銀の蔦に取られていた」
その言葉に、セシルの紫の瞳が鋭くなる。ハルカは頷いた。
「聖樹が力を吸われているせいで、北の結界はどんどん弱まっている。魔獣の襲撃は増え、皇帝は恐怖に怯えている。そこへサーネルカは、自分の『銀の蔦』を差し出した」
「守ってやる、って顔してな」
セシルが低く笑う。
「自分で穴を開けて、自分で塞いで、金と権力を吸い上げてたわけだ」
アリアの胸が冷たくなる。
貴族たちはサーネルカを称えていた。彼の術式がなければ屋敷は守れないと。彼の防壁があれば、夜も安心して眠れると。
けれど、その完璧な防壁のために、古の結界は弱っていたのだとしたら。
守っているのではない。喰らっているのだ。
サーネルカの銀の蔦は、帝国を守るために聖樹へ絡みついたのではない。聖樹から力を奪うために、美しい補助術式の顔をして寄生していたのだ。
アリアは机の上のノヴァリア語の魔術書に視線を落とした。
古い紙面には、震えるような文字でこう記されている。
『――寄生型補強術式。既存の中枢に外部術式を接続し、主術式の出力を奪って自己維持するもの。長期使用は中枢の枯渇を招くため、禁術に分類される』
「ねえ」
アリアは顔を上げた。
「もしも、聖樹の力が完全に空っぽになって、力尽きてしまったら?」
セシルは即答した。
「寄生先が死ねば、寄生している術式も消える」
ハルカが、冷たい声で補足する。
「つまり、サーネルカの銀の蔦も維持できなくなる。皇宮も、貴族院も、上級貴族の屋敷も、エデンの外郭も。今まで彼の術式に頼っていた場所は、全部むき出しになる」
「それだけじゃねぇ」
セシルの紫の瞳に、怒りの雷光が走る。
「そもそも、古の結界を弱らせてた元凶があいつだってバレる。北部の魔獣被害も、村が消えた件も、全部あいつの術式が原因だったと知れたら――」
「サーネルカは終わりだ」
ハルカが空色の瞳を細めて、静かに言った。
「だから、アリアちゃんが必要だったんだ。枯れかけた聖樹に聖力を注がせるために。そして、自分の銀の蔦をこれからも帝国に使わせ続けるために」
三人の間に、重い沈黙が落ちた。
ピシャッ! と窓ガラスに強い雨粒が叩きつけられ始める。嵐が近づいていた。
国を救うためだと言われて、アリアは帝都へ連れてこられた。
歌えと言われた。祈れと言われた。帝国のために、結界のために、民のために。
その言葉の全部が、白くて綺麗で、正しい顔をしていた。
けれど現実は違う。
アリアの聖力は、国を救うためではなく、サーネルカという一人の男の術式を延命させるために使われようとしていた。
「……なら、どうして?」
アリアは二人の顔を交互に見つめた。
「もし私の力が必要なら、どうして今日、すぐに私に歌わせなかったの? 四小節で止めるなんて不自然だわ。今すぐ聖樹を満たせば、彼の術式はもっと強くなるはずなのに」
その疑問に、セシルとハルカは同時に息を呑んだ。
セシルが眉間を寄せ、机の上に積まれていた資料を乱暴にめくる。フォイエルシュタイン家の系譜。魔力特性に関する記録。歴代当主の魔力量。分家の術式研究者たちの一覧。
やがて、セシルの指が一枚の古い記録の上で止まった。
「……魔力量だ」
「え?」
「サーネルカは頭は回る。術式理論も化け物じみてる。だが、本人が持ってる魔力量は少ねぇ」
セシルは紙面を睨みつけたまま続けた。
「フォイエルシュタインの血を引きながら、戦場で大魔術を振るうには足りなかった。だからあいつは、自分の魔力で押し切るんじゃなく、外から力を集めて流す術式を作った」
「……自分の不足を、仕組みで埋めた」
アリアが呟くと、ハルカの空色の瞳が鋭く光った。
「そうか」
「ハルカ?」
「ただ聖樹に力を注がせるだけじゃ足りないんだ」
ハルカはゆっくりと息を吐いた。
「聖樹へ聖力を流せば、銀の蔦はしばらく維持できる。でも、それだけではサーネルカ自身は変わらない。魔力量が少ないままだ。だから、彼はもっと『直接的な経路』を欲しがっている」
セシルの顔色が変わった。
「……番契約か」
その言葉が落ちた瞬間、アリアの胸が小さく跳ねた。
番。サーネルカが口にした時、身体の奥が冷たく凍った言葉。
ハルカは頷く。
「アリアちゃんと番の契約を結べば、二人の命と力の経路は強く繋がる。彼は、君の聖力を聖樹経由ではなく、自分自身へ直接流し込もうとしているんじゃないかな」
「あいつはいつも言っていた。自分に力があれば完璧だったのにってな」
「そんな……」
アリアの声が震えた。
「それじゃ、私は……」
「君を、聖力の源として自分に繋ぐつもりなんだ」
ハルカの声は静かだった。静かだからこそ、残酷だった。
「仮誓約は、そのための下準備だと思う。君の聖力の流れを測る。銀の蔦に慣らす。本契約の前に、逃げられないように君の経路へ印をつける」
セシルの手が、机の角を掴む。みし、と嫌な音がした。
「……今日、四小節で止めたのもそのためか」
ハルカは頷いた。
「おそらくね。大量に流させるためじゃない。確認したかったんだ。聖樹がアリアちゃんの聖力に反応するか。銀の蔦がどれほど吸えるか。彼女の力が、自分の術式に適合するか」
「試したのね」
アリアは唇を噛んだ。
「私が歌えるかどうかじゃない。私の光が、あの人の術式に流れるかどうかを」
「そういうことになる」
ハルカの声が、低く沈んだ。
「そして結果は、彼にとって都合がよかった」
アリアは、胸元を押さえた。
身体の内側に、見えない蔦が這い込んでくるような気がした。
番契約。それは、本来なら力を分け合うものなのだと聞いていた。命を繋ぎ、互いを支え合うものなのだと。
けれどサーネルカにとっては違う。愛でも、信頼でも、約束でもない。
アリアという巨大な聖力源を、自分に直結させるための、ただの『接続口』。
「……十八歳の誕生日」
アリアは震える声で呟いた。
「私が十八歳になる明後日。天冠大祭の夜に本契約をすると言っていた」
セシルの紫の瞳が、凍るように細くなる。
「御子の力が一番安定する年齢まで待ってたってことか」
「そして、天冠大祭の日は帝国中の結界が中央神殿へ接続される」
ハルカが、別の資料を開きながら言った。
「その夜に本契約を結べば、アリアちゃんの聖力は、番契約と儀式の二重の経路で流れる。聖樹へ。銀の蔦へ。そして、おそらくサーネルカ自身へ」
すべてが、繋がった。
なぜ儀式が延期されたのか。
なぜ皇帝は不自然なほどサーネルカの言葉に従うのか。
なぜセシルの両親が前線へ送られたのか。
なぜ今、仮誓約を急いで結ばせようとしているのか。
「……あのクソ野郎」
セシルの声は、低く震えていた。怒りで、机の角がさらに軋む。
「国のためでもなんでもねぇ。全部、てめぇのちっぽけな器を埋めるためだけの、身勝手な欲望じゃねぇか」
アリアは何も言えなかった。
怖い。気持ち悪い。逃げたい。
けれど、それ以上に、胸の奥が痛かった。
自分の歌が、祈りが、光が。誰かを守るためのものではなく、誰かの不足を埋めるための道具として扱われている。それが、たまらなく悔しかった。
「でも」
アリアは震える指で、本の端を握った。
「信じてもらえるかな…」
二人がアリアを見る。
「本に書いてあることと、私たちが見たことを繋げた、仮説。たぶん正しい。でも、まだ誰にも信じてもらえない」
ハルカが静かに頷いた。
「そうだね。これをこのまま貴族たちに話しても、誰も信じない。サーネルカは英雄だ。帝国中の防壁を守る男で、皇帝の信任もある。僕たちが何を言っても、若造の妄言で片づけられる」
「なら、どうすればいい」
セシルが低く問う。
ハルカは、砕けた銀のコアを見た。
「見せるしかない」
「見せる?」
「儀式の場で。アリアちゃんの聖力が聖樹ではなく銀の蔦へ奪われる瞬間を、誰の目にも見える形で突きつける」
アリアの喉が鳴る。
「天冠大祭で……?」
「うん」
ハルカは静かに言った。
「そこでしか暴けない。帝国中の術式が中央神殿へ接続される日。聖樹と銀の蔦の流れが、最もはっきり表に出る日。サーネルカが一番力を得ようとするその瞬間が、同時に一番弱点を晒す瞬間になる」
ドォォォン……!
遠くで、重い雷が落ちた。窓を打ちつける雨音が激しさを増す。
セシルは苛立ったように舌打ちした。
「それまで奴らの言いなりになるのか? ここにいれば、間違いなくアリアは奴の餌食になるぞ」
セシルとハルカが、同時にこちらを見る。
アリアは胸元を押さえた。
だが、アリアの瞳は、強く輝いていた。恐怖に震えていたはずの指先が、今はギュッと力強く服を握りしめている。
深い青の瞳には、かつての「誰かに守られるだけの御子」の弱弱しさは微塵もなかった。
自分で考え、自分で選び、自分で運命を切り開いてやるという、鮮烈な決意が炎のように宿っていた。
「私、、、私は・・・」
もし、私が歌わなかったら?
魔獣が出てきて、ハルカの村にまで来たら?
トアたちが、あの小さな手で誰かに助けを求めることになったら?
その時、私は――。
胸の奥が、ぎゅっと痛んだ。
逃げたい。
でも、逃げたら誰かが傷つくかもしれない。
私が歌えば、誰かを守れるかもしれない。
そう思った瞬間、またいつもの言葉が頭をもたげる。
国のために。
結界のために。
皆のために。
その言葉は、いつだって正しい顔をして、アリアの心を黙らせてきた。
その時だった。
『――どうか、ご自分の心を、忘れないでくださいませ』
耳の奥で、懐かしい声が聞こえた気がした。
リサの声だった。
エデンを出る朝。
誰にも聞こえないように、そっと耳元で囁かれた言葉。
人形のように心をすり減らしながら、それでも最後にアリアへ願いを託してくれた、あの人の声。
ご自分の心。
私の、心。
アリアは、震える指で胸元を握りしめた。
私の心は、どうしたいの?
歌いたくないわけじゃない。
誰かを守りたくないわけでもない。
でも。
サーネルカ様に奪われるのは嫌。
王命だからといって、私の身体も、心も、勝手に決められるのは嫌。
私の歌を、私ではない誰かの欲望のために使われるのは嫌。
「……私、嫌」
その声は小さかった。
けれど、はっきりと部屋に落ちた。
「サーネルカ様と番になるのも、仮誓約を結ぶのも全部嫌。私の歌も、私の身体も、私の心も、勝手に使われたくない」
それは、明確な拒絶だった。
怖いから逃げたいだけではない。
誰かに利用されたくないからだけでもない。
自分の歌を、自分の祈りを、自分の身体を、勝手に奪われたくなかった。
アリアは顔を上げた。
だが、ハルカの顔を見た瞬間に、不意にハルカの故郷のみんなが浮かび、また瞬時に迷いが出た。
「……逃げよっか」
ハルカは、これまでで一番優しい顔をしていた。
青い空のような瞳が、優しく輝いていた。
あまりにも穏やかな声に、アリアは顔を傾げた。
「逃げる……?」
「うん」
ハルカは、にっこり笑った。
そして机の端に置いていた小さな革袋を引き寄せた。
さらに、懐から折り畳まれた紙を数枚取り出し、マホガニーの机の上に広げる。
そこには、簡素な地図が描かれていた。
魔塔。
王宮裏手の廃教会。
地下の旧避難通路。
港の倉庫街。
そして、セントラル港の第三桟橋。
アリアは息を呑んだ。
「……なに、これ」
「逃げるために必要なもの」
ハルカは淡々と言った。
「廃教会の裏口から地下へ降りられる。昔、戦時中に使われていた避難通路がまだ残っているんだ。そこから港の倉庫街へ抜ける」
「……でも、ハルカは? 家族はどうなるの?」
「領主様に、何かあった時はお願いしますと言ってきた。だから大丈夫だよ」
「お金は……?」
「そうだね、領主様から頂いたお金がある。何箇所かに分けて預けてあるから、数ヶ月は暮らせるよ」
「それに、船はどうやって……?」
「あの前夜祭で、船の手引きを申し出てくれた商人がいたのさ。表向きはノヴァリア商人の荷役船として、夜明け前には沖へ出る。乗船名簿にも、僕たちの名前は残らない」
ノヴァリア。
本の中でしか知らなかった、海の向こうの国。
王様のいない国。
誰かに番として差し出されることが、当たり前ではないかもしれない国。
「本当に……行けるの?」
「行けるようにする」
ハルカは優しく笑った。
「ただし、僕を選べって言ってるんじゃないよ」
アリアは息を止める。
「まず逃げよう。自由になったあと、誰と生きるかは君が決めればいい」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
逃げる。ただ遠くへ走るのではない。
自分の行き先を、自分で決めるために逃げるのだ。
「……いつから?」
アリアが呟くと、ハルカの指が地図の上で止まった。
「そうだねぇ」
彼は少しだけ困ったように笑った。
「君にあの花束を渡した朝かな」
「あの朝……?」
「うん。自分が君を地獄へと連れて行く人間になっているかも知れないと気づいたんだ」
セシルの眉が、ぴくりと動いた。
「待て」
低い声だった。
「おい、ハルカ」
「なんだい?」
セシルの紫の瞳が細くなる。
「俺に黙って、アリアを逃がす気だったのか」
部屋の空気が、また少し張り詰めた。
ハルカは、ようやく目を伏せた。
「必要ならね」
アリアの喉が鳴る。
セシルの指先で、ぱち、と雷が弾けた。
「てめぇ」
「怒ると思ったよ」
「当たり前だろうが」
セシルは低く吐き捨てる。
ハルカは静かに、けれど鋭く問うた。
「……でも、君が魔塔を出てしまったら、誰がここを守るのさ。もし魔塔が手放したら、君はもう――」
「構わない」
セシルの声は低く、そして微塵の迷いもなかった。
「今ここに、俺の立場を天秤にかけるつもりは、一切ない」
その横顔に、少しの未練もなかった。
次の瞬間、机の上の地図を掴んだ。
「殴るのは後だ」
ハルカがわずかに目を見開く。
セシルは地図を睨みながら言った。
「今は使う」
その言葉に、ハルカの表情が少しだけ緩んだ。
「君なら、そう言うと思った」
「分かってんなら最初から言え」
「君を愛するからこそだよ」
「はー、重すぎるわマジで」
二人のやり取りに、少しだけ空気が緩む。
けれど、誰も笑いきることはできなかった。
窓の外では雨音が強くなっている。遠くで雷が鳴った。
アリアは、机の上の通行証を見下ろした。
知らない名前。知らない身分。
けれど、その紙は、今まで与えられたどんな命令書よりも重く見えた。
「……怖い」
小さく漏らすと、ハルカは責めなかった。
「うん。怖くていいよ」
「私、逃げていいのかな」
「いい」
迷いのない声だった。
「君は、誰かに差し出されるために生まれたわけじゃない」
その言葉に、涙が込み上げる。
アリアは、通行証を握りしめた。
「国から出られるの?」
「通行証もある。偽名だけど、しばらくは使える」
全部、用意していた。
「アリアちゃん。海を超えて、ノヴァリアへいこう」
この人は、本気だったのだ。
アリアを慰めるために言っているのではない。夢を見せているのでもない。
ハルカは、本当にアリアを逃がすつもりだった。
「……どうして」
声が震えた。
「どうして、そこまでしてくれるの?」
ハルカは少しだけ黙った。
いつものように、すぐには笑わなかった。
「自問したんだ」
「自問……?」
「君が嫌がっているのに番契約をさせられて、檻の中で生きていく」
ハルカは、静かに視線を落とした。
「そのことを知っていながら、自分が何もせず、これから先、愉快な人生を送れるだろうかってね」
アリアは言葉を失った。
「……答えは?」
ハルカは、ようやく少しだけ笑った。
「無理だった」
その声は穏やかだった。けれど、揺らがなかった。
「だから君が逃げようと言ったなら、僕はそれを手伝うよ。アリアちゃん」
アリアの瞳から、涙がこぼれた。
「……行きたい」
小さな声だった。
けれど、確かにそう言った。
「サーネルカ様とは番になりたくない。王命だからって、私の身体も、心も、勝手に決められたくない」
セシルは黙って聞いていた。
「逃げたい」
アリアは通行証を握りしめる。
「私、逃げる」
その瞬間、セシルの表情が変わった。
怒りでも、苛立ちでもない。
何かを決めた顔だった。
「……やっと言ったな」
「え?」
「嫌なら嫌って言えって、何度言わせんだよ」
セシルは乱暴に息を吐き、机の上の地図を折り畳んだ。
「まず魔塔から出る」
「でも、外には皇帝陛下の軍が……」
「だから正面からは出ねぇ」
セシルは口の端を上げた。
「秘密の通路がある。俺が小さい頃抜け出すために使ってた地下通路だ」
ハルカが、呆れた顔をする。
「君、本当にろくな子どもじゃなかったんだね」
「うるせぇ。今役に立ってんだろ」
セシルはアリアを見た。
「行くぞ、アリア」
「……うん」
窓の外では、ついに雨が本降りになっていた。
魔塔の壁を叩く雨音。
遠くで鳴る雷。
そして、机の上に残された砕けた銀のコア。
人を守るための蔦と、人を縛るための蔦は、同じ形をしている。
けれど、もう迷わなかった。
自分を縛る蔦なら、切る。
たとえその先に、激しい雨の夜が待っていたとしても。
リアクションや、☆☆☆☆☆を★★★★★に変えていただけると、執筆の励みになります^^
感想、ご指摘、ブクマも大歓迎です!
毎日21時更新予定です。完結約束、ハッピーエンドです(^ ^)
よろしくお願いします!




