第38話【知識は最大の武器】立ち上がれ、出目金姫〜最強の雷が「常識」を打ち砕く〜
あの悍ましい男の「宣戦布告」の後、三人はセシルの父、ハーヴィの執務室へと身を潜めていた。
「……殺すつもりはなかったはずだ。ただ、あいつは『いつでもそうできる』ということを、わざわざ見せつけてきやがった」
セシルは氷水で冷やした布を絞り、アリアの首の痛々しい痣にそっと当ててやる。
ポタポタと冷たい水滴が垂れ、淡い青のドレスの襟元が濡れても、アリアは身じろぎ一つせず、一言も発しなかった。
「チッ」
アリアは焦点の合わない虚ろな目のまま、ただハルカの胸に力なくもたれかかっていた。
ハルカは、震える小さな背中をきつく抱きしめながら、彼女の首に残されたおぞましい痣を、空色の瞳でひどく冷たく見下ろしていた。
(……心が、負けている)
恐怖と絶望に支配されかけたアリアの姿を見て、セシルの脳裏にそんな言葉が浮かぶ。苛立ちとサーネルカへの激しい殺意が抑えきれず、セシルの全身からバチバチと青白い雷と火花が散った。
「なんでもあいつの思い通りにさせてたまるか。……ここは俺の家だぞ」
セシルは、壁一面を覆い尽くす父親の本棚に向かった。
魔術理論、古代術式、そして最新の防壁に関する分厚い専門書を乱暴に引き抜き、手当たり次第に父親の巨大なマホガニーの机の上に投げ出していく。
「セシル、何をする気だ?」
ハルカがアリアの背中を撫でながら問う。
「ふん。ここには親父が世界中から集めた、魔術に関する本がすべて揃っている。昔、魔塔の奴らが言ってたんだ。『何か困り事があれば、ここにすべての解決策がある』ってな。力で押し切れないなら、知識だ。知識は最大の武器ってな」
『知識は最大の武器』。
その言葉が響いた瞬間。
ハルカの腕の中にいたアリアの肩が、ビクッと震えた。
泣き腫らして真っ赤になった目。首には、赤黒く変色し始めた悍ましい五本の指の跡。
それでもアリアは、無言でハルカの腕から抜け出した。
ふらつく足取りで机の前に進み出ると、重い木の椅子を自分で引きずってきて、ドンと座る。
そして、山積みになった本を睨みつけ――あえて、表紙に「銀の蔦」の紋章が刻印された、サーネルカの術式に関する研究書を手に取り、パラパラとページをめくり出した。
「……出目金」
セシルが目を見開く。
アリアは震える手でページをめくりながら、掠れた、けれど芯のある声で言った。
「……知識は最大の武器なんでしょ? だったら、私にだって、戦えるわ」
恐怖に震えながらも、決して絶望に呑まれまいとする少女の横顔。
セシルとハルカは顔を見合わせ、静かに彼女の両脇に立ち、共に本を覗き込んだ。
「……これ」
やがて、アリアの指先がひとつの記述で止まった。首を絞められたせいで掠れた、痛々しい声で読み上げる。
「サーネルカの術式は、『補強タイプ』だって書いてある。……古の結界や、元々ある他の結界に『取り付ける』だけで、元の結界の力を吸ってすべてを補強し、お望みの効果……監視や攻撃を、あとから追加する寄生型の術式」
「なるほど。だから親父の結界を乗っ取るようにして、あの蔦が這い回っていたのか」
セシルが舌打ちをする。
アリアは次に、自分がずっと読み解いていた『ノヴァリア語』の古い魔術書を引っ張り出し、対訳辞書を引きながら必死に文字を追った。
「待って。ノヴァリアの本にはこうも書いてあるわ。……『もしも補強で取り付けた術式(寄生側)を無理に壊そうとした場合、取り付け方次第では、元の術式や結界そのものも壊してしまう』」
そこでアリアは顔を上げ、青い瞳に強い光を宿してセシルを見た。
「……『その逆も、然り』だって」
元の結界を壊せば、寄生している術式も消滅する。
その言葉の意味を理解した瞬間、セシルの口角が獰猛に吊り上がった。
「――でかした、出目金」
セシルは踵を返すと、迷うことなく執務室の最奥――厳重な鉄格子で守られた小部屋へと向かった。
そこには、ハーヴィ・ホワイト・フォイエルシュタインが構築した、この魔塔全体の結界を維持するための「コア」となる巨大な水晶が、淡い光を放って浮遊している。
その表面にもすでに、サーネルカの銀の蔦が這い寄っていた。
「親父、事後承諾で悪りぃな!!」
セシルは右手に、今日一番の、最大火力の雷を練り上げた。
空気が焦げる匂いが部屋に充満し、青白い閃光が弾ける。
そして――一切の躊躇なく、魔塔の防衛の要である父親のコアに向かって、その雷撃を思い切り叩き込んだ。
ガァァァァンッ!!!!!
凄まじい轟音と共にコアの水晶が砕け散り、魔塔を覆っていたハーヴィの結界が完全に消失した。
同時に。
宿主を失った「銀の蔦」が、ビキビキと音を立てて干からび、黒い灰となってパラパラと崩れ落ちていく。執務室の壁に這っていた蔦も、すべて跡形もなく消え去った。
「セシル!? 何てことを……!」
ハルカが目を見開く。
結界を壊せば蔦は消える。だがそれは、このフォイエルシュタイン家の本拠地を、無防備な丸裸にしたということだ。
「……これで、親父が組んだ術式は完全に消えた」
セシルは、灰になった蔦を軍靴で踏み躙りニヤリと獰猛に笑った。
「だからもうこれ以上、この魔塔(俺の家)に、あいつの気持ち悪い術式は侵入できねぇよ。ここから先は、俺の雷が『結界』だ。外の軍隊だろうが魔獣だろうが、入ってくる奴は全員黒焦げにしてやる」
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