第36話【水没した形見と異常な男】「その話を誰かにしたか?」〜恩師の激昂と、風の魔術師の底知れぬ才能〜
春うらら。
自称「魔塔の愛されマスコットキャラ」であり、魔塔の執事筆頭であるミスターゼペット・ドーナツは、漆黒の馬車の御者席の横に座り、道行く街の桜並木にほろ酔い気分で酔いしれていた。
先端にぼんぼりのついた三角帽子を揺らし、丸眼鏡の奥の目を細める。
「御者殿。今年の桜も実に美しいですなぁ……あ! そうだそうだ、出発前に魔塔のキッチンから、特別なお菓子をいただいていたのでした!」
ゼペットは小さな体を揺らし、ポケットの中に大事に仕舞い込んでいた小袋を取り出した。
「ご覧ください。こぅぅれっ!魔塔で研究されているポーションを用いた特製マカロンでございまっす!実はこのゼペット、今年で百と五歳になりますが、甘いものには目がございませんでしてねぇ」
恭しく袋のリボンを引いた、その時だった。
「ウヒョえ!? あぁっ! わたしのマカロ……!」
ガンガンガン!!!
御者席の背もたれが背後からの強烈な蹴りで激しく揺れ、百五歳の小さな悲鳴と共に、せっかくのマカロンが道端へ転がり落ちてしまった。
キッ!
ミスターゼペットは「このバカ息子め!」と渾身の睨みを効かせて振り返ったが――次の瞬間、ヒッと息を呑んで萎縮した。
馬車と御者席を繋ぐ小窓が乱暴に開き、そこからセシルが長い脚を覗かせ、獲物を狩る直前の肉食獣のような紫の眼を光らせて命令してきたのだ。
「……今すぐ進路を変えろ。魔術学園に向かう」
「ぼ、坊ちゃま? しかし真っ直ぐ魔塔へ戻れと奥様から……」
「全速力で行け。着くまで止まるな」
それだけ低く告げると、セシルはピシャリと小窓を閉めた。
御者はガックリと項垂れるミスターゼペットをよそに、「はいやっ!」と手綱を強く切った。
猛烈な勢いで揺れ動く馬車の中。
アリアを左右から挟むようにして座った二人は、黙って窓の外を見ながら、それぞれの考えを巡らせていた。
アリアはセシルの肩にもたれかかるようにして、掌の中にある金のネックレスを――死んだはずのシオンの形見を、じっと眺め続けていた。
◇
帝立魔術学園は、皇宮からしばらく馬車を走らせた先の、緑豊かな山間にあった。
三人は馬車を降りるなり、マーレ・エルデスト・ゼノスの執務室へと直行し、聖樹の間で起きた一部始終を話した。
話を聞き終えたマーレは、普段の豪快な教師の顔を消し、静かに立ち上がった。
「……その話を、他に誰かにしたか?」
「誰にも」
三人が答えると、マーレは深く険しい声で言った。
「二度と、人前で口にするな。聞かれれば、お前たちは消されるかもしれない」
マーレは「とにかく座れ」と三人へ促した。
窓辺にある丸テーブルには、ちょうど椅子が四つ。マーレはその大きな図体で可愛らしい白のティーカップを四つ手に取ると、驚くほど手慣れた様子で優雅に紅茶を淹れ始めた。
「どうぞ、レディ……」
「ありがとうございます……」
ミルクと砂糖もたっぷり入れてくれる。マーレの巨大な手の中ではお猪口のように小さく見えたカップは、アリアの手に渡るとちょうど良い上品な大きさになった。
「ハルカ」
「あ、いただきます」
ハルカにはストレートティーだ。ペコリと頭を下げ、丁寧に受け取る。
「セシル」
「…………」
セシルはカップを受け取らず、体の割に愛らしい目をした恩師を、親の仇のように睨みつけた。
バンッ!!!
セシルが苛立たしげにテーブルを叩く。
「悠長に紅茶なんか飲んでる場合か!? 前線では魔獣との戦いが続いてるってのに、アリアは最後まで歌わせてもらえなかった!! それに加えて、死んだはずのシオンの時計が、宮殿の中でアリアの手に託された!!! 一体、あの皇宮で何が起きてやが――」
「静かにしろ!!!」
怒号とは、まさにこのことだった。
窓ガラスがビリビリと震えるほどの凄まじい声量で、マーレが怒鳴った。
シンッ……と、執務室が水を打ったように静まり返る。
「……とにかく落ち着け。そのための茶だ」
マーレが促す。存外、彼がいれてくれたお茶は、香りが良くて美味しかった。
四人の紅茶が半分ほど進んだ頃、マーレが重い口火を切った。
「三ヶ月ほど前のことだ。中央から『術式試験で好成績を収めている学生を手伝いに寄越せ』と連絡が入り、私は実技と理論でトップだったシオンを推薦した。シオンは喜んで皇宮へ行った……が。数日後、今のお前たちと全く同じように、血相を変えてこの部屋に駆け込んできたのだ」
「……」
「『聖樹の力を、サーネルカの術式が吸っている』と」
アリアがハッと息を呑む。
「私と……同じことを言ってるわ」
「ああ。そして、その一ヶ月後のことだ。北部より緊急の要請が入った。結界の弱体化が急激に進み、魔獣の抑えが効かないと。いずれ本部隊だけでは事足りず、我々実践課程の学生も駆り出されるようになった」
マーレは紅茶を一口飲み、眉間を揉んだ。
「抑えが効かなくなった皇室は、新たな『黎明の御子』であるアリア嬢の力を借りて、聖樹の力を盤石なものにしようと画策した。……が、その作戦が発表されたその日。シオンは消えたのだ」
「消えただと?」
セシルが身を乗り出す。
「死んだと言っていたのは嘘か?」
「いや、学園側も死んだと思っていた。本国からの連絡自体が『作業中の爆発事故で死亡した』というものだったからな。しかし、私がすぐに現場の皇宮の施設へ向かうと、爆発の痕跡もなければ、そのような事故があったという噂すら一つもなかったのだ」
マーレは、壁に掛けられた古い地図を見上げた。
「そして、お前たちがエデンへ旅立った翌日のことだ。前線にある私のテント……あのお前たちに『ボーナスだ』と書き残した黒板に、私宛てのメッセージが残されていた」
「なんと書いてあったのですか?」
ハルカが静かに問う。
「『御子を帝都に呼んではいけない』……だ。そしてその筆跡は、間違いなくシオンのものだった。教え子の筆跡を、私が間違える訳が無い」
「でも……アリアちゃんが聖力を注がなければ、結界は完全に崩壊してしまうんですよね?」
「そうだ。だから我々は、シオンと思しき人物からの警告を、無視せざるを得なかったのだ。御子を呼ばねば、国が滅ぶと分かっていたからな」
マーレの言葉に、どうしようもない大人の無力さが滲む。
「しかし、今日こうなっては話が別だ。彼はアリア嬢と同じ『皇宮の秘密』を知り、消された……あるいは何かの陰謀に巻き込まれたと考えるのが妥当だろう」
アリアは、掌の中にある金の懐中時計をもう一度見つめた。
光に当ててよく見ようと上に翳した時、ふと、裏面の金属部分が黒く変色していることに気づいた。
「ねえ、この懐中時計……裏面が焦げているわ」
「本当だ」
「見せろ」
セシルが時計をひったくり、裏面を睨みつける。
「……術式だ。蓄力器の基礎式が細かく刻まれてる。焦げているってことは……シオンのやつ、自分の魔力をここに込めようとして、火力が強すぎて失敗したんじゃないか?」
「貸して、私がやってみる!」
アリアは時計を受け取り、目を閉じて小さく祈りの歌を口ずさんだ。
手からハチミツ色の光がこぼれ落ちたが、それをどうやって「懐中時計の中に入れる」のかがよく分からず、光は部屋の中に散らばり……結局、窓辺に置いてあったサボテンの鉢植えから、ポンッと巨大な花が咲いただけに終わった。
「「「・・・」」」
「笑わないで!」
「よし、次は僕だ。こうかな?」
ハルカが時計を受け取る。彼は指先に風の魔力を集中させた。アリアの髪を優しく編む時のように、繊細に、丁寧に。
すると、指先から柔らかい風が吹き込み、時計全体が淡く輝くと、止まっていたはずの針がチクタクと音を立ててくるくると回り始めた。
「おぉ! 見事に成功したようだね」
ハルカは涼しい顔で笑っているが、マーレはその光景を見て、一瞬だけ息を呑み、目を見開いた。
(……嘘だろ。この極小の時計の中に刻まれた、狂気のように複雑な多重術式の『隙間』を縫って、純粋な魔力だけを流し込んだというのか……!?)
「ふん、そんなちまちましたこと、俺にだってできる!」
対抗心を燃やしたセシルが、時計を奪い取って魔力を込めた。
その瞬間。
バリーン!!!
時計のガラス面が派手に炸裂し、青白い雷が部屋の中にバチバチと飛び散った。
「セーシル!!! せっかく何かの手がかりになるかもしれないって時に、壊してどうするんだバカ弟子!!」
「う、うるせぇ! 俺の雷が凄すぎただけだ!」
わめくセシルを制し、マーレがハッとしてハルカを見た。
「……いや待て待て。セシルとアリアは失敗したが、ハルカ、お前は成功したってことだな?」
「え? 分からないです。ただ、風の魔力がスルッと中に入り込んだようで、時計の針が回りましたけど……」
「どうやったんだ!」
マーレが食い気味に迫る。
「ええと……こうですよ。こう、指にツーっと魔力を細く溜めて、すーっと中に入れる。そして、フワーっと中で広げて留めるんです」
「ツーで、すーで、フワーだな。よし」
マーレは言われた通りに、巨大な指先に水属性の魔力を溜め、繊細な時計の中へ入れようと試みた。
が、その瞬間。
ごぽっ……。
ヒビ割れた時計の隙間から、ドバドバと大量の水が溢れ出し、時計は無惨にも完全に水没してしまった。
「…………すまん」
「「先生ェェェェ!!!」」
「もうそれ、完全に壊れちゃったじゃないですか!」
3人から非難の声を浴び、マーレは気まずそうに目を逸らした。
「……ええと。もうこれ以上は何も分からんようだし、今日はすっかり遅い。一度、セシルの実家へ帰って休むといい」
これ以上追及してもどうにもならないと判断した三人は、水浸しになった時計の残骸を持って、渋々執務室を後にした。
バタン、とドアが閉まる。
彼の目から、先ほどの「気まずそうなドジっ子教師」の面影が消え去る。
マーレは、部屋の奥に向かって誰にともなく低く呟いた。
マーレの巨大な拳が、ブルブルと震える。
「ついに、見つかったぞ……! あんな繊細な術式に、壊すことなく魔力を『入れれる』異常な男が……!!」
マーレは誰もいない執務室で、歓喜に満ちたガッツポーズを天高く突き上げた。
部屋の奥のカーテンが、ソワソワと揺れた。
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