第35話【生存の針】「馬鹿言うな。あいつは死んだ」〜奪われる聖力。時を刻むツバメと『死者』の時計〜
翌日。
指定された時間。
アリアはついに、儀式を覚悟して皇帝のもとへ向かうことになった。
帝都の街を行き交う貴族の馬車は、どれも豪華な金色や黄色、あるいは鮮やかな赤で彩られ、これ見よがしに富を主張しているものばかりだった。
だが、一行が乗り込むフォイエルシュタイン本家の馬車は、それらとは完全に異質だった。
深い漆黒の車体。
その所々に、銀色で繊細な古代文字の術式が刻み込まれている。
引いている馬から手綱に至るまで、何もかもが漆黒で統一されており、派手な装飾がないにもかかわらず、周囲のどんな馬車よりも豪奢で、圧倒的な威圧感を放っていた。
朝から迎えに来たマーレと共に、四人でその漆黒の馬車に乗り込む。
――が、しかし。
「……ねぇ、狭いんだけど! 足をしまってよ!」
「うるせぇな! お前のちんちくりんな足と違って、俺の足は長いんだよ。どうしろってんだ」
いくら上位貴族の大型馬車とはいえ、乗員が規格外だった。
前方にセシルとマーレ。向いあう後部座席にアリアとハルカ。
ただでさえ軍服を着込んだ男たちの肩幅は広い。特にマーレの肩幅は岩壁のようであり、アリアは橋に追いやられ、向かいに座るセシルの無駄に長い足が、どうしてもアリアにぶつかり合ってしまうのだ。
「ねぇ、もういっそマーレ先生に一人でこちらを使ってもらって、反対側に僕たち三人で座るのはどうだい?」
ハルカが苦笑しながら提案する。
すると、マーレは無言で立ち上がり、馬車を一度降りた。それは「その案を採用する」という彼の合図だった。
わちゃわちゃともう一度座り直す。
しかし、状況は劇的に改善したわけではなかった。
先ほどは隣のマーレの肩に押し潰され、向かいのセシルの足のやり場に困っていたアリアだが、今は結局、長身の二人に左右からぴったりと挟まれる形になってしまった。
おまけに、前方には一人で座席を占領するマーレの凄まじい威圧感がドスンと鎮座している。
「狭いんだけどーー!!!!!!」
アリアのソプラノボイスが、防音の効いた漆黒の馬車内に響き渡る。
「うるっせえ出目金!!! 耳元で叫ぶな!」
セシルが顔をしかめて喚き、ハルカは「やれやれ」と溜息をついて窓の外を眺めた。
そんな騒々しいやり取りをしているうちに、馬車は広大な皇宮の門をくぐっていた。
■■■
皇宮は、いくつもの豪華な門と、手入れの行き届いた広大な庭園を抜けた先にあった。
途中で馬車を降り、石畳を歩いてさらに奥へ奥へと進んでいく。
やがて、煌びやかな宮殿の装飾とは不釣り合いな、古びた木でできた重厚な扉が現れた。
「護衛の方はこちらでお待ちください」
案内役の官吏が、無機質な声で告げる。
アリアは、歩みを止めた二人を振り返った。
ここから先は、自分一人。どうなるかは分からない。
もしかしたら、すべての力を使い果たしてエデンに戻されるのかもしれない。
アリアは小さく息を吸い込み、真っ直ぐに二人を見た。
「今日まで、ありがとう」
短く、それだけを言った。
これまでの過酷で、けれど温かかった旅の日々が脳裏をよぎり、少しだけ目が潤む。
アリアは背伸びをして、まずハルカの首に腕を回して強く抱きしめた。
「ありがとう、ハルカ」
ハルカはすぐに背をかがめてそれに応えた。
「……君をもし、再びエデンまで送り届けることになったなら。その時は、僕が護衛を願い出るつもりでいるよ」
ハルカが、耳元で優しい声で囁く。
次に、固まっているセシルの方へ向き直り、同じように背伸びをして抱きしめた。
「楽しかったよ、セシル」
一瞬戸惑ったようだったが、すぐに大きく身を屈め、アリアの小さな身体をそっと包み返すように応えた。
「出目金。気張ってこいよ。……ここで待っててやるから」
セシルが、不器用な手つきでポンとアリアの頭を撫でた。
その「待っている」という言葉に、胸の奥の不安が少しだけ溶けていく。
アリアは涙を堪え、にっこりと笑って頷いた。
■■■
「アリア様をご案内いたします」
現れたのは、一人の女官だった。
神官たちが身にまとうような深くゆったりとしたローブを着ており、フードと長い前髪のせいで、目元や表情が全く読み取れない。
女官は淡々とした足取りでアリアを別室へと通し、儀式用の装束に着替えるよう指示した。
着替えの最中、女官はまず最初に、丸い金色のネックレスをアリアの首にかけた。
「……これは、代々伝わるお守りでございます」
そして、その上から幾重にも重なる真っ白な布を被せ、アリアの身体をすっぽりと覆い隠していく。
身支度が終わった直後。
女官が、アリアの耳元で信じられないほど低い、囁くような声を出した。
「ここから先、もし何かを見聞きしたとしても……この中では決して、一言も口に出されませんように」
アリアはハッとして女官の顔を見ようとしたが、フードの奥は影になって見えない。
疑問と薄ら寒い恐怖を覚えながらも、そういうしきたりなのだろうかと思い、小さく頷くしかなかった。
◇
しばらくすると、皇帝自らが案内すると言って別室に現れた。
その横には、先ほど別れたはずのマーレが厳しい顔をして控えている。ここから先の「結界中枢」には、アリア一人と、皇帝、サーネルカ、そして魔術師団の代表としてマーレだけが同行を許されるのだという。
古びた木の扉が開かれる。
そこは、広くて丸い、巨大な石舞台のような空間だった。
その真ん中には、見上げるほど「大きな木」がそびえ立っており、周辺の床にはいくつもの水晶や石板が規則正しく埋め込まれている。
そして、その空間全体に……あの気持ちの悪い「銀の蔦」が、血管のように張り巡らされていた。
「ここは古代から我々が守ってきた『聖樹』じゃ」
皇帝が、しわがれた声で語り始める。
「ここから古の結界がこの国中に伸びておる。特に北の辺境では、魔窟を前に大変大きな結界が動いておってな。魔獣どもがいくら足掻こうが、攻撃しようが、この帝都ゼノスレガリアのコア(聖樹)が落ちない限り、結界は生き続けるのじゃ」
アリアはゆっくりと進み出て、聖樹の幹にそっと触れた。
風もないのにサラサラと葉を揺らしているが、その木肌は乾燥し、ひどく枯れ細っているように感じられた。
「かつては常に美しい花や、黄金の果実をつける木であったのに、ここ数ヶ月ですっかりダメになってしまってな……。さあ、あれを持て」
皇帝の合図で、後ろに控えていた先ほどの女官がアリアの横に立ち、古びた羊皮紙を差し出した。
「こちらにございます」
「この歌はわかるか?」
皇帝に問われ、アリアは羊皮紙の楽譜に目を通す。
初めて見る曲ではなかった。エデンでの厳しい練習で何度も歌わされた、尋常ではない量の聖力を消費する、難易度の高い祈りの曲だった。
「……はい、わかります」
「よろしい。では、歌ってみよ」
アリアは目を閉じ、両手を胸の前で組み合わせて、静かに歌い始めた。
澄んだソプラノの声が、石舞台に響き渡る。ハチミツ色の聖力がアリアの身体から溢れ出し、淡い光となって聖樹へと向かって流れていく。
――すると、どうだ。
アリアの流した聖力は、古の結界である「聖樹」へ届くはずだった。
しかし光が木肌に触れる直前、聖樹に絡みついていた『銀の蔦』が、まるで飢えた蛇のように鎌首をもたげ、アリアの聖力を横取りするように猛烈な勢いで吸い上げ始めたのだ。
吸い上げられた光は、聖樹を潤すことなく、周囲に埋め込まれた不気味な石板へと急速に流れていく。
(……取られてる……?)
アリアは歌いながら目を見開いた。
私の光が、古の結界に届く前に、あの銀の蔦に全部取られている!
このままでは、聖樹は枯れる一方だ。
第4小節の終わりまで歌った、その時だった。
パン、パン!
「素晴らしい!」
いきなり、サーネルカが芝居がかった手つきで拍手を打ち、アリアの歌を強引に止めさせた。
(え? なに? どうして止めるの?)
「陛下ァ。まずは試し、序盤まで歌っていただくということでよろしいですかな?」
「……う、うむ。そうじゃな」
サーネルカが、皇帝の背中をねっとりと撫でながら言う。
アリアはなぜ序盤で止められたのか怪訝に思ったが、皇帝がそう言うのであればと、口を閉じた。
「ふむ、アリア嬢。ご自身で歌ってみていかがかな? 聖樹に聖力が満ちた……と言えますかな?」
サーネルカが、嫌らしい笑みを浮かべてアリアを覗き込む。
「……いえ、あの、結界には届いていま――」
そこまで言いかけた瞬間、背後から女官がアリアの袖を強く引っ張った。
驚いて振り返ると、フードの奥の目が、アリアを見つめて小さく、しかし激しく首を振っている。
『ここから先、もし何か見聞きしても、この中では一言も話しませんように』
先ほどの警告が脳裏にフラッシュバックする。
ここで真実(銀の蔦が力を奪っていること)を口にすれば、どうなるか。
アリアが言葉を飲み込み、ハッと息を呑んだのを見て、サーネルカは満足げに頷いた。
「そうでしょうとも! 陛下、私めが見ても、少しも聖樹に力が入っておりませぬ。まだ御子としての力が十全に引き出されていないご様子」
「あ……っ」
「アリア嬢。羊皮紙をこちらへ」
アリアが再び何かを言いかけた時、女官がすっと前に進み出て、羊皮紙を回収しながらアリアを庇うように立った。
「やはり、ここは〇〇日後の、星々が集う『天冠大祭』の日に行うのがよろしいでしょう。あの日ならば星回りの力も借りられ、より強固な儀式となりましょう」
サーネルカが滑らかな舌で進言する。
「うむ……正式な儀式は、天冠大祭の日に行うこととする」
皇帝は、まるで用意された台本を読むようにそう宣言した。
アリアは肩透かしを食らったように、ポカンと皇帝を見上げた。
たまらず、マーレが進み出る。
「陛下! しかし、そうは言っても前線では魔獣の動きが活発化しております。今すぐ結界を強化せねば、兵が持ちませぬ!」
「マーレ殿!!!!」
サーネルカの鋭い声が、マーレの言葉を遮った。
「戦場に立つことしか知らぬ貴方は、こうした繊細な術式理論に関しましては無知でございましょう? 素人は黙っておられよ。……ねぇ、陛下ァ?」
「そ、そうじゃの。サーネルカの言う通りじゃ。今日はお開きじゃ、お開き!」
アリアとマーレは、疑念と不審を抱えながらも、それ以上何も言えずに聖樹の間を後にするしかなかった。
◇
別室に戻り、元の服に着替える。
先ほどの女官が無言で手伝ってくれた。
「あ、あの! さっきの……結界のこと!」
「シィッ」
女官がアリアの唇に人差し指を当てる。
「……まだ、宮殿内でございます」
その声はひどく切迫していた。
◇
元の服装に戻り、宮殿の出口へ向かうと、壁際で待機していたセシルとハルカがすぐに駆け寄ってきた。
歩きながら、マーレとアリアは彼らと目を合わせる。
「……なんでだか分からないけど、今日は儀式、行われなかったの」
アリアがそう言うと、明らかに驚いた顔をした二人。
マーレはすぐに本部に連絡を入れるために、通信具のある学園へ行くと言って足早に去っていった。
■■■
帰りの漆黒の馬車の中。
防音の魔術が施された扉が閉まった途端、セシルが吠えた。
「はぁ!? お前、さてはビビって失敗でもしたんじゃねーの!? 扉の前のあの感動のお別れはなんだったんだよ、返せ!」
「うるっさいなぁ! 私だって何がなんだか分かんないのっ! 中では何も言っちゃダメだって、あの女官の人が……あ!!!」
言い返していたアリアは、ふと自分の胸元を探って声を上げた。
「あっ、これ……着替える時、あの人に返すの忘れてた!」
アリアは胸元の服の隙間から、シャラ……と音を立てて、先ほど女官にかけられた「お守り」のネックレスを取り出した。
それを見た瞬間。
向かいに座っていたセシルとハルカの動きが、完全に停止した。
二人は言葉を失い、目を見開いてそのネックレスを凝視している。
「……それ、どこで?」
ハルカの声が、ひどく低く、震えていた。
「アリアちゃん、それ……」
「その前に確認なんだけど…」
アリアが、ハルカを遮って二人を見た。
「この馬車って本当に安全なの? 誰かに聞かれたりとかって、絶対にない?」
「誰の馬車だと思ってんだ。盗聴の術式なんて一つも通さねぇよ」
セシルが重々しく答える。
「さっきの女官が言ったの。『ここでは何に気づいても絶対に喋るな』って」
安全だと確認したアリアは、先ほど聖樹の間で起きたことを、すべて隠さずに話した。
自分の聖力が、古の結界ではなく、聖樹の横にある銀の蔦の石板にすべて流れて(奪われて)いたこと。
そして、このネックレスは先ほどの女官がくれたものであり、その女官が何度もアリアを庇い、警告してくれたこと。
話を聞き終えた馬車内は、重苦しい沈黙に包まれた。
やがて、ハルカがアリアの手のひらにあるネックレスにそっと触れ、信じられないものを見るような目で呟いた。
「アリアちゃん。……そのネックレスはね」
セシルが息を呑む音が聞こえる。
「……死んだはずのシオンが、毎日肌身離さず身につけていたものなんだ」
ハルカが、自身のポケットから古びた小さな望遠鏡を取り出した。
彼がずっと大切に持ち歩いている形見だ。ハルカはこの旅路でも時々その望遠鏡を覗いては、術式や魔獣の行く末を追っていた。
その望遠鏡の縁には、ツバメのマークが彫られている。
アリアが掌の上の時計を裏返すと、そこにも全く同じツバメのマークが刻印されていた。
「シオン・ヒンドール・ラスティカ。彼の紋章はツバメなんだ」
三人は顔を見合わせた。
馬車の車輪が石畳を叩く音だけが、狭い車内に響いている。
アリアの小さな掌の上で、金のネックレスが鈍く光っていた。
細い鎖。小さな金細工の飾り。
一見すれば、貴族の令嬢が身につける装飾品にしか見えない。
けれどハルカは、それを見た瞬間から、一言も発していなかった。
「……あいつは、いつも時間を気にしてた」
セシルが低く言った。
「え?」
「シオンだよ」
セシルは、アリアの掌からネックレスをつまみ上げる。
そして、鎖と飾りを繋ぐ小さな金具に指をかけた。
「たしか、ここを――」
きん、と。
小気味よい音が鳴った。
金細工の表面が、花びらのように左右へ開く。
中に現れたのは、小さな懐中時計だった。
古い型の、ねじまき式の時計。
文字盤の端には細かな傷があり、側面には小さな竜頭がついている。
チッチッチッチ……。
かすかな針の音が、馬車の揺れの中で妙にはっきりと響いた。
アリアは息を呑む。
「……動いてる」
ハルカが、ようやく口を開いた。
その声は、ひどく掠れていた。
「シオンがねじを巻いたんだ」
セシルは時計を見つめたまま、眉を寄せる。
「馬鹿言うな。あいつは死んだ」
「……うん。そう、聞かされている」
ハルカは、時計の側面に指を添えた。
小さな竜頭に、かすかな指の跡が残っている。
ねじは、まだ巻かれていた。
「この時計はね、放っておけば止まるんだ」
ハルカが静かに言った。
「シオンは毎朝、必ずねじを巻いていた。任務の前も、授業の前も、寝坊した日でさえ」
チッチッチッチ。
死んだはずの男の時計だけが、まだ生きているように時を刻んでいる。
セシルの顔から、わずかに血の気が引いた。
「……いつまで動く」
「長くても、三日」
ハルカは時計から目を離さない。
「最後に巻いてから、三日も経てば止まる」
馬車の中に、重い沈黙が落ちた。
アリアは、掌の上の時計を見下ろした。
「……調べなきゃ。私、調べたい。マーレ先生のところへいこう」
小さな針は、止まらない。
「怖いけど、知らないまま儀式に行く方がもっと怖い。マーレ先生のところへ行こう」
チッチッチッチ。
まるで、誰かが今もどこかで生きていると告げるように。
あるいは。
もう戻れない時間を、必死に数えているように……。
リアクションや、☆☆☆☆☆を★★★★★に変えていただけると、執筆の励みになります^^
感想、ご指摘、ブクマも大歓迎です!
よろしくお願いします!
昨日9時に更新ボタン押し忘れてましたー汗




