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デメキン姫と呼ばれた聖女、今日も華麗に逃げ出します! 〜最凶魔術師にいじめられてた私が、なぜか番契約で溺愛されて国へのざまぁも始まりました〜  作者: みょんたま
後編 / 帝都編

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第33話【不変】 最後の夜 〜8日目の夜更け:花を渡すということを学習した5歳児 〜

 前夜祭が終わり、アリアたちは魔塔へ帰ってきた。

 ハルカが浴室へ向かっている間、アリアは小さな机に向かい、一心不乱に一冊の本と格闘していた。

 ノヴァリアの商人からもらった最新の流行小説だ。分厚い対訳辞書を広げ、知らない単語にぶつかるたびにメモを取る。


「……『不変の……愛』? 違うかな、これは『永遠』……?」


 ハチミツ色の髪を耳にかけ、独り言を漏らす。


 いつか、辞書なしでこの本を読みたい。

 いつか、ノヴァリアの人と、自分の言葉で話してみたい。

 御子としてではなく、番としてでもなく、ただのアリアとして。

 そんな思いで、必死に辞書をめくる。


 その静寂を壊したのは、背後から忍び寄る不遜な足音だった。


「おーおー。出目金が必死にお勉強中か。感心だねぇ」


 セシルが、爛々と輝く紫の瞳で覗き込んでくる。アリアは反射的に本を抱え込み、椅子ごと距離を取った。


「……何よ。今、忙しいんだから向こうに行ってて」


「いやだね。何読んでんだよ、見せろよ」


 セシルが大きな手を伸ばすが、アリアは必死に避ける。しかし、引き下がるような彼ではない。ニヤリと口角を上げ、わざと声を落とした。


「……そんなに隠すってことは、なんだ? エデンのガキには早い、エロいやつでも読んでんのか?」


「ち、違うわよ! これっぽっちも、そんなのじゃない!」


 顔を真っ赤にして叫ぶアリアに、セシルの揶揄いはさらに加速する。


「そうなんだ〜。じゃあ見せてみろよ。潔白ならいいだろ?」


「いや! 絶対ダメ!」


 中身はエロくなどない。

 けれど、それはノヴァリア語で書かれた『月明かりの下、騎士は薔薇の乙女に愛を誓う』というとんでもなく恥ずかしい王道恋愛小説だった。


 こんなものを読んでいると知られれば、一生からかわれる。

 アリアは本を背中に隠して逃げようとしたが、鴨居に届くほどの長身を持つセシルの腕が、頭上からいとも簡単に本を奪い取った。


「あっ、返して!」


「『不変の愛』がなんだって〜? どれどれ〜」


「(……聞こえてたの!?)」


 セシルは本を高く掲げ、極悪人のような顔でニヤニヤ笑う。小さなアリアがジャンプしても、届くはずがない。


「やーい、とってみろ出目金! ほら、ジャーンプ!」


「……っ、セシルの、バカ!!」


 ぷつり、と。

 アリアの中で、理性の糸が切れた。

 彼女は涙目でセシルを睨みつけると、そのまま勢いよく机の上に飛び乗った。


「……っ、にゃー!!」


 猫のような奇声を上げ、アリアは机を蹴ってセシルめがけて思い切りジャンプする。


「うお!? ば、お前、何して!」


 セシルは咄嗟にアリアを片腕でガシッと抱き止めたが、体勢を崩して床に片膝をついた。

 アリアはそのまま、セシルの手にある本を奪おうと腕を振り回す。


「返しなさいよ! この……悪魔!!」

「おい、暴れるな! 危ねぇだろっ……あ」





 ――ビリッ。



 静かな部屋に、心臓を抉るような鋭い音が響いた。アリアが力を込めて引っ張り、セシルが反射的に指に力を込めてしまった瞬間。アリアの手元には本の一部が。そして、セシルの指の間には、大切なページの切れ端が虚しく残されていた。


 時間が、止まる。


 セシルの腕に抱き留められたまま、アリアは破れた本を呆然と見つめた。

 怒りは潮が引くように消え、代わりに絶望的な悲しみがじわりと胸に広がる。


「……うっ」


「ま、待て。違うんだ。お前がいきなり飛んでくるから……」


 みるみるうちに、大きな青い瞳に涙が溜まっていく。


「うわーーん!!!!」


 アリアは大声を上げて泣き出し、ポカポカと力任せにセシルの胸を殴り始めた。



 ■■■



 その頃。浴室から上がったハルカは、階段を登っていた。

 部屋から「この……悪魔ぁ!!」というアリアの悲鳴が聞こえ、思わず眉を顰める。


「やれやれ、また喧嘩してるのか」


 しかし、廊下を進むにつれて、ただの喧嘩ではない叫び声に変わっていく。


「暴れるなっつってんだろ!」


「離して! いや!!! やだー!!」


 ハルカは只事ではないと感じ、勢いよくドアを開け放った。


 ばぁん!!


 そこには――滝のように涙を流して暴れるアリアが、床でセシルに押し倒され(馬乗りにされ)、両腕をセシルの太い右腕一本で頭上に縫い付けられているという、最悪の光景があった。


 ぷつん。


 ハルカの中で、何かが完全に切れた。

 春の日差しのような温厚な青年から、絶対零度の暗殺者のような「眼」に変わったハルカを見て、セシルが青ざめる。


「ち、違う! これは誤解だハルっ……うわ!!」


 ドガッ!! ドゴォッ!!


 一瞬ハルカの姿が消えたかと思うと、彼はセシルの首根っこを掴んで壁に吹っ飛ばし、そのまま情け容赦ない回転蹴りを叩き込んだ。そしてすぐさまアリアに駆け寄り、跪いて怪我がないか確認する。


 大きな瞳から溢れる涙を見て深いため息をつくと、アリアを自分の背後に庇うようにして隠した。


「……どういうことか、一文字残らず説明しろ、セシル。事と次第によっては、お前をここで殺す」



 冗談ではない、純度百パーセントの殺気が、魔塔の部屋を満たした。





 ■■■


 机の上には、破れた本と、無残な切れ端のページが並べられていた。ハルカの横で「ヒグッ、えぐっ……」と泣き続けるアリアの前に、セシルがひどくバツの悪そうな顔をして正座させられている。


「……はぁ。君ってやつは。アリアちゃんに対して、どうしてそう子どもっぽいんだ」


 ハルカは頭を掻きながら、深いため息をついた。


「謝りな、セシ」

「悪かっ」

「許さない」


 間髪入れずに謝罪が入り、間髪入れずに拒否された。


「「はー……」」


 ハルカとセシルのため息がハモる。


「セーシール! 君がため息をつける立場じゃないだろう! どうしてくれるんだ、この空気を!?」


「だから悪かったって言ってんだろ。いくらでも買ってやるよ。売ってんだろ、そんな本」


 その言葉に、アリアはスッと立ち上がった。

 無言のまま、ハルカのすぐ横にピッタリと椅子をつけ、限界まで彼に近づいて座り直す。


「……アリアちゃん?」


「この本は、ノヴァリアの商人さんから直接もらったプレゼントなの。この本じゃなくちゃ、意味がないの」


 アリアはハルカの服の袖をぎゅっと掴み、小声で言った。


「だから、買わなくてもいい。もうセシルとは話さないって、彼に言って、ハルカ」

「えっ、僕経由!?」


 アリアはこれ見よがしに、商人がサインを書き込んでくれたページを開いた。そしてその次のページには、ハルカが誕生日にとくれた花の押し花が、大切に挟まっている。


 それを見つけたハルカの目が、ふっと優しく和らいだ。


「……はー。この本は、アリアちゃんにとって本当に特別な本だったんだね」


 こくこく、とアリアは頷く。


 その様子を見ていたセシルは、だるそうにため息をつきつつも、アリアが大切そうに撫でたその『押し花』を、じっと穴が開くほど見つめていた。


(……花。あんなしなびた草を、そんなに大事に……?)


 だが、ピッタリとハルカの横にくっついているアリアを見ていると、なぜだか腹の底から得体の知れないイライラが湧き上がってくる。



 だが、ピッタリとハルカの横にくっついているアリアを見ていると、なぜだか腹の底から得体の知れないイライラが湧き上がってくる。


「……チッ。どうしたら許してくれんだよ」


 アリアはチラリとセシルを睨んだが、すぐに無視を決め込み、さらにハルカにくっついた。もうこれ以上ないほど近づいてきたため、ハルカが仕方なく腕を少し上げてやると、アリアはスッと彼の脇の下に収まった。


「……離れろ」


 セシルの声が、一段低くなる。


「やだ」

「わがまま言うな」

「私の勝手でしょ!」


 セシルは一瞬、忌々しげに天井を見上げ、ハルカをみた。そして何かを思いついたかのように乱暴に立ち上がり、椅子を蹴り飛ばすようにして、部屋からズカズカと出て行ってしまった。


「はー……。ごめんね、あの銀髪」

「……今日は、ここで寝る」

「ここで!?ワキの下だよ……?」


 コクリと頷くアリア。彼女は手を伸ばして、破れたページをそっと元の場所に挟み込んだ。


「アリアちゃん。もう旅も終わりだ。明日、陛下に謁見したら僕らの任務も終わる。最後の夜だし、ここはアリアちゃんの広い心で……」

「セシルが悪いもん……」

「うーん、まぁ、完全にそうなんだけどねぇ……」


 …色々あったね、とハルカが優しく頭を撫でる。


 アリアだって、今日が最後の夜であることを分かっていた。

 ハルカがお風呂から戻ってきたら、二人にきちんとお礼を言うつもりだったのだ。

 わがままをたくさん言ったのに叶えてくれたこと。馬に乗せてくれたこと。守ってくれたこと。温かいご飯を用意してくれたこと。


 そのすべてに感謝していて、二人のためにも明日の儀式を必ず成功させると、笑顔で伝えるつもりだった。

 それなのに。


(セシルの、バカ……)


 アリアの瞳に、また悔し涙が浮かんだ。


 ばぁん!!!


「うあ!? びっくりした!」


 突然ドアが弾け飛び、セシルが戻ってきた。


 肩で息をしながら、ツカツカとアリアに近づいてくる。そして、彼女の目の前で片膝をつき、どさりと膝の上に数冊の本を置いた。


 古い、ノヴァリア語の分厚い本が三冊。

 背表紙には『魔塔図書室』の印字がある。

 さらにセシルは、アリアの手を取ると、もう片方の手で不器用な花束を差し出した。


「やる」


 ポタポタと水が滴るそれは、よく見ればホールに飾られていた魔法の花を、そのままむしり取ってきたものだった。


「俺が悪かった。心から謝る」

 セシルはアリアを真っ直ぐに見つめ、信じられないほど素直に頭を下げた。


「あ、これ……くれるの?」


「あぁ。俺の気持ちだ。本当に悪かった。調子に乗った。認める。……だから、もう話さないなんて言うなよ」


 セシルの必死な瞳を見て、アリアは目を白黒させた。

 怒涛の勢いで図書室を漁り、花を引っこ抜いてきた彼の姿を想像すると、怒りよりも、その不器用な気持ちが嬉しくて、思わず毒気が抜けてしまう。


(……はー、ようやく男を見せたね、セシル)


 ハルカは内心で拍手を送ったが、あえて口には出さなかった。

 アリアは、水滴の落ちる花束をそっと抱きしめた。


「……わかった。私も、引っ掻いてごめんね」

「……」


 静かな沈黙が降りた。

 ハルカがポン、と手を叩く。


「あーよかった! 最後だし、飲み物とお菓子をもらってきてたんだ。最後くらい、三人で乾杯しよう!」



 その夜。三人は並んでお菓子をつまんでいた。

 アリアは、ずっと疑問に思っていたことを思い切って聞くことにした。


 セシルは、意地悪をしてくるが、嫌っている様子はない。

 最後にどうしても、理由が知りたかったのだ。


「ねえ、セシル。どうして私に時々意地悪するの? 他の人にはしないじゃない」


 ハルカは内心(地雷を踏んだな……)とドキドキしながら、クッキーを齧る。

 当のセシルは、お菓子を食べていた手を止めた。

 少し首を傾げ、まるで難解な魔術式を解き明かす時のように大真面目な顔でアリアを見つめ……そして、ポンっと手を叩いた。


「……聞いてくれ」

「な、なに……」

「俺は、お前がキレるところまで揶揄うのが、なんていうか……すごく楽しいんだ」

「…………は?」


 アリアは、ぽかんと口を開けた。ハルカは両手を顔に当てて天を仰いだ。


「というか、そこまでの過程がものすごく好きなんだ。俺がからかって、お前がぷりぷり怒って、最後には耐えきれなくなって顔を真っ赤にしてキレるだろ? それを見ると、もう嬉しくて仕方ないんだよな。だからやめられないんだ」


「なっ! な、な、な……っ!」


 清々しいほどのドS発言。アリアの顔中の血が沸騰したように赤くなる。

 しかしセシルは「そうか、俺は楽しいんだ」と自分で自分に深く納得し、ウンウンと頷いていた。


「だから、お前も怒るんじゃなくて、俺と一緒に楽しんだらいいんじゃないか?」

「ばっっっっかじゃないのー!?!?!?!?」


 キィィィン! 


 窓が揺れるほどのソプラノボイスが響き渡った。


「私がなんで、いじめられて楽しまなきゃいけないのよ! この最低! 悪魔! 帝国一の性格破綻者!!」

「はぁ!? 俺はせっかく歩み寄って建設的な提案をしてやってんのに、なんだその言い草は!」


 本気で心外だと言わんばかりのセシルを見て、ハルカが深い深呼吸をした。


「……やれやれ。ここまできたら、天から『いい加減にして』って声が聞こえてきそうだよ。セシル。君のその『好きな子をいじめたくなる』発想、僕はもう十年は前に経験して卒業しているよ」

「……あ? スキナコヲ、イジメタクナル?」


 セシルの紫の瞳が、スッと細められた。


「小さな男の子みたいな情緒だねって言ってるんだよ。君、幼少期はいったい何をして過ごしていたの?」

「俺? 俺は魔塔で、帝国のエリートとして英才魔術教育を朝から晩まで受けてっから! その辺のガキどもとは次元が違うんだよ!」


 胸を張るセシルに、ハルカはさらに深い溜め息を吐く。


「はいはい、ソウデスネー。魔術の次元は高くても、情緒の次元は五歳児で止まってるのがよ〜く分かったよ。アリアちゃん、あんな可哀想な子は放っておいて、寝ようか」

「誰が可哀想な五歳児だ!! ぶっ殺すぞハルカ!!」

「さ、おいで」

「無視してんじゃねぇ!」


 放電現象でバチバチと火花を散らすセシルと、それを「はいはい」と柳のように受け流すハルカ。


 顔を真っ赤にして怒っていたはずのアリアは、いつの間にか毒気を抜かれて、ふふっと小さく吹き出していた。


 ハルカにベッドに促され、布団に入るとアリアは顔だけ出して2人を呼びかけた。



「ねぇ。セシル、ハルカ。」

「なんだよ。」

「なんだい?」


「ありがと!!」

「「!」」


 2人は驚いて顔を見合わせた。


「おやすみ!」

「うん、おやすみ、アリアちゃん。」

「…おう」


 アリアは、胸に商人からもらった本を抱いていた。

 明日は、セシルからもらった花も押し花にしよう。

 そしてノヴァリアに行く時には、この本をお守りがわりに持っていこう。

 そう思いながら目を閉じた。






 ――その時、ドアの反対側では。


 セシルの両親が、耳をぴたりとくっつけて聞き耳を立てていた。


「あの子、友達ができなくてどうしようかしらって悩んでたけど……仲が良さそうで本当によかったわ」

「あぁ」


「でも、女の子にあの扱いって……誰の遺伝子かしら」

「……」


「ねぇ私、思い出したんだけど。あなたも私に最初、すっごく意地悪だったわよね?」

「……忘れた」


「男を見せるっていうことを、パパであるあなたがきちんと教えないといけないんじゃないかしら」

「……いつも見せてるけど」


「え?」

「こうやって」

 父・ハーヴィは妻の手を引くと、廊下の壁に押し付けた。

 そして、甘い吐息とともにその唇を深く奪う――。


 ぶっちゅううううう!!!

 ガチャッ!!


「てめぇら、なに人の部屋の前で盛ってんだよ!!!!」


「あ! だめよセシル! 髪をトリートメントしたばかりなの!」

「チッ、このバカ息子が空気を読みやがれ!」


「バカはお前らなんだよ!!!」

「っもう!セシルうるさーーーい!!寝れない!!」


 バチバチバチッ!!!!

 アリアの叫びは雷の音にかき消され、世界最高峰の魔術師たちによる、大人気ない親子喧嘩が勃発した。





「……遺伝子レベルでこれなら仕方ないのかなぁ」

 部屋に取り残されたハルカは、窓の外の月を見上げながら、またしても「やれやれ」と呟いたのだった。



 最後の夜も、こうして三人らしく更けていく。

 部屋では、セシルが持ってきた魔法の花が、月明かりを受けて静かに輝いていた。


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