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デメキン姫と呼ばれた聖女、今日も華麗に逃げ出します! 〜最凶魔術師にいじめられてた私が、なぜか番契約で溺愛されて国へのざまぁも始まりました〜  作者: みょんたま
後編 / 帝都編

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第31話後編 【夜会】Shall we dance?(そんな場合じゃないのは分かってる!)〜

 嘲笑が広がり、アリアが怒りで震えながら、ハルカの腕を掴もうとした――その時だった。


 アリアの肩をトントンと叩く者がいた。

 アリアが振り返ると、そこには、金縁のメガネの奥にグリーンの瞳を輝かせているスーツ姿の男が立っていた。


『では平民である私も、ルールを勉強しなくてはならないね?』


 低く、歌うような心地よい調べが、アリアの耳を打った。


「!!」


 アリアは驚いて声が出なかった。

 あの旅の途中で本をくれた、ノヴァリアの商人、リージェインがそこに立っていたのだ。


 過度なフリルやレースはなにもついていないけれど、上品で高級感のある黒のスーツを着ている。左肩には碧色のマントを羽織っている。随所に散りばめられた銀や金の精巧なアクセサリーが、褐色の肌によく似合っていた。

 ジェインの隣には、光沢のあるグレーのスーツを着た細身の男が影のように控えている。


 貴族たちの嘲笑がピタリと止まる。


 貴族たちは、フリルやレース、襟元には花が飾られており、それが帝都の流行ではあったが、リージェインの洗練されたスーツの横に並ぶと、いきなり野暮ったく感じられた。


「ノヴァリアの商人……?」

「な、なんだ。なんと言っているんだこいつは」


 誰かが息を呑んだ。

 帝国との交易を一手に担う、海を越えた自由の国の商人。


 アリアは一瞬だけ目を瞬かせた。

 それから、貴族たちへ向かって、澄んだ声でこう通訳した。


「……『私のような平民が、ルールを学びたいと思ったとき、この国ではどちらへ授業料をお支払いすればよろしいでしょうか』と、おっしゃっています」


「ま、まぁ家庭教師ならお前らの給料一ヶ月分で教えてもらえるんじゃないのか?」

「ぶっ………失礼」


 影のように控えていた男が、吹き出した。


『ジェイン、彼女は、ルールを学ぶ授業料をどこに支払うかと彼らに聞いた。金で買える程度のものに格下げしたが、彼らは気づいていないようだ』


 ジェインは満足そうに微笑んで、アリアを見つめた。

 彼――リージェインは、アリアの前で優雅に腰を折ると、その美しい青の瞳を見つめて、再び異国の言葉を紡いだ。


『――』

「え? 待って、もっとゆっくり……」


 すると、隣にいた通訳の男が、流暢な帝国語で割って入る。


「失礼。我が主、ノヴァリアのリージェインがこう申しております。『夜空に迷い込んだ一番星を見つけた。私の碧い船に乗ったつもりで、この旋律に身を任せてはいただけないか』……と」

「え……?」


『でも、私、あまり踊ったことが、ない、んです』

『大丈夫。少し揺れながら、素敵なお話をするだけさ』


 アリアは、なんて素敵な文章だろうと思った。

 リージェインは、通訳を介さず、アリアの瞳を真っ直ぐに見つめた。

 そして、差し出されたその大きな手。


「シャル・ウィ・ダンス?」


 その一言だけは、帝国語でもノヴァリア語でもない、共通の『誘い』だった。唖然とするマルクスたちを余所に、アリアはリージェインの手を取った。帝国の貴族のようなねっとりとした欲はなく、ただ純粋な敬意と、広大な海のような包容力を感じたからだ。


「……喜んで」


 アリアが答えた瞬間、ワルツの旋律が一段と高く響き渡った。

 ホールの中心へ、リージェインがアリアをエスコートする。

 軽やかなステップ。黒のスーツとアリアのドレスが、波のように美しく重なり合った。


 周囲の貴族たちは、もはや嘲笑することすらできなかった。

 帝国の法が及ばない、圧倒的な富と自由を体現するノヴァリアの商人に、自分たちのルールを押し付ける勇気などあるはずがない。


 そんなダンスホールを、壁際から見つめる影があった。

 ハルカだ。

 彼は主が踊る姿を満足げに見届けると、隣に残された通訳の男へ、視線も動かさずに声をかけた。


「……東の海流は、まだ荒れていますか?」


 通訳の男が、わずかに眉を動かした。

 ハルカは、いつもの穏やかな微笑みを崩さない。


「ノヴァリアの商人なら、今の季節は北回りのルートを選ぶはずだ。それとも……帝国には知られたくない『裏の海路』でも見つかったのかい?」

「……。魔塔の護衛は、口が回るだけではないようですね」


 通訳の男の声から、愛想笑いが消えた。

 ハルカは、ポケットから小さな、けれどノヴァリアの紋章が刻まれた銀のコインを指先で弄ぶ。


「アリアちゃんを踊らせてくれたお礼だよ。少し、向こうで詳しい話をしようか」


 華やかなワルツが鳴り響くホールの隅で、ハルカと通訳の男は、吸い込まれるように人混みの影へと消えていった。


 ■■■


『皇帝陛下から招待状を受け取った時、君が帝都に入ると言う新聞を読んでね。もしかしたら会えるかと思っていたが、本当に会えた』


 ジェインは踊りながら、ゆっくりと話した。


『まさか、こんなに早く再開できる、と思っていませんでした。頂いた本、頑張って読んでいます』

『あの本には素敵な言葉がたくさんあっただろう? 何か気に入った言葉はあったかい?』


『……Honi soit qui mal y penseオニ・ソワ・キ・マル・イ・パンス(邪に思う者よ、恥あれ)?』

『っ! あはは! 君は本当に聡明だ。今まさにあの者どもに言わなくてはいけない言葉だ。もっとも、彼らには通じない言葉だけども』


 アリアは嬉しくなって微笑んだ。


『じゃあ、この言葉はもう学んだかい?……Lèse-humanité(レーズ・ユマニテ)』


 アリアはふりふりと頭を振った。


『……「人道への罪」、または、「人間への不敬」と言う意味さ』


 アリアは言葉の意味に衝撃を受けた。

 人道。それはこの帝国では聞きなれない言葉だったのだ。


 言葉を失っている間に一曲が終わった。

 アリアは、ハッとなって、ダンスの終わりの挨拶をしたが、ノヴァリアの商人はアリアの手を離さなかった。メガネの奥の緑の瞳が、彼の聡明さと強さを表すかのように煌めいている。


『いいかい。誰も人を不当に閉じ込める権利なんてないんだ。もしも助けが必要なら、瞬きを繰り返してくれ』


 あの街で出会った時と同じように。

 アリアは、悲しそうに微笑み、目を伏せた。


『私、最近学んだ言葉で好きな言葉があるんです。ノブレスオブリージュ』


 ジェインは、息を飲んだ。


『……それは、言い得ているようで違うよ』


 ジェインは静かに首を振った。


『ノブレスオブリージュは、「持てる者が責任を果たす」という言葉だ。美しい考え方だよ。でも、その根底には「持てる者が、持たざる者を導く」という上下関係がある』


 アリアは瞬きをした。


『ノヴァリアにはね、少し違う言葉がある』


 ジェインはアリアの手をそっと握りながら、静かに言った。


『Liberté, égalité, fraternité(リベルテ、エガリテ、フラテルニテ)。自由、平等、友愛』

『……自由、平等、友愛』


 アリアはその言葉を、口の中でゆっくりと転がした。


『ノブレスオブリージュは「与える者と受け取る者」が必要だ。でもこの言葉には、与える者も受け取る者もいない。ただ、すべての人が、等しく自由で、等しく尊重され、等しく繋がっている』

『……それは』


 アリアの喉が詰まった。

 道具として生まれ、道具として育ち、誰かに与えてもらう自由を待ち続けてきた。

 でもこの言葉は違う。

 誰かが与えるものではない。最初からそこにある。すべての人に。


『それは……私みたいな金で買われた者にも?』


 ジェインは言葉を失った。

 事情を深く聞いたわけではないが、彼女がエデンに閉じ込められた経緯に金が動いたことが確かで、彼女にとってそれが枷になっていることははっきりとわかった。


 ジェインは心を込めて、言葉を紡いだ。


『君みたいな者にこそ、だよ』


 アリアの目に、熱いものが込み上げ、俯いた。


『自由の身である私こそが君に言いたい。私には君を救える力と財力がある。だからそれを使いたい。それこそがノブレスオブリージュの精神だと思っている』


 アリアは顔を上げて、じっとその緑の瞳を見つめた。


『明日、大事な儀式があるんです。もしもその後も私が囚われの身だったら、その時は……もし、その時まだジェインさんがこの帝国にいたら、助けてくださいますか』

『――もちろんだ』


 ジェインは握っているアリアの手を口元まで引き上げ、そして、アリアの瞳を見つめながら、軽くキスを落とした。


 その瞬間、ワルツの旋律が静かに終わりを告げた。

 周囲から、パラパラと感嘆の拍手が起こる。

 だが、曲が終わったと同時に、周囲を取り囲んでいた若い貴族の男たちが、待ってましたとばかりにギラギラとした目を向け始めた。


「さぁアリア嬢、次はぜひ私と!」

「いや、私と――!」


 一斉に群がってこようとする下劣な気配を、ジェインは背中で鋭く感じ取った。

 彼はアリアの手を離さないまま、自分の背中に隠すようにしてすっと半歩前に出る。

 そして、広いホールの中を緑の瞳で見渡し――壁際で通訳の男と並んで立っていたハルカを見つけると、スマートに片手を上げた。


 それに気づいたハルカが、完璧な営業スマイルのまま、隣にいる「不機嫌の塊」を連れて歩み出てくる。


「そこを退け」


 地を這うような低い声。

 貴族たちを威圧感だけで左右に叩き割り、ずかずかと大股で歩いてきたのはセシルだった。

 その紫の瞳は、親の仇でも見るかのようにジェインを睨みつけている。


『……お迎えが来たようだね』


 ジェインはクスリと笑うと、アリアの手を優しく引き、やってきたハルカとセシルの前へとエスコートした。


『素敵なダンスをありがとう、アリア。……そこの彼には、少し睨まれすぎてしまったようだが』

『あ、あの、ごめんなさい! 彼はその、護衛で……』


 アリアが慌ててフォローしようとした瞬間、セシルが乱暴にアリアの腕を引き寄せ、自分の背中へと隠した。


「あっ、ちょっとセシル……?」

「黙ってろ。」


 親の仇のように他の男の痕跡を拭うセシルを見て、ジェインは面白がるように目を細めた。


『素敵なお嬢さん。次はノヴァリアで。……その時は、そこの「優秀な護衛殿」も一緒に、ゆっくりお話ししましょう』


 ジェインは胸に手を当てて深く一礼し、碧い外套を翻して、ホールを抜けそのままバルコニーへ抜けた。

 去り際、ハルカが裏での交渉を完了したことに、わずかに満足げな笑みを浮かべて。


「……行きやがったな、クソ商人が。絶対次はねぇぞ」


 セシルは最後にビッと中指を立てて威嚇するのを忘れなかった。いつの間にかハルカが、完璧な笑顔(交渉完了のコインを弄びながら)で二人の間に入ってきた。


「あはは、セシルは元気だねぇ……。アリアちゃん、楽しかったかい?」

「……うん。貴族の人たちから助けてくれたの。それに、すごくいいお話を聞いたの!」


「マジで、反吐が出るぜ。この国の薄っぺらい貴族どもにはな」

「ノヴァリアには、貴族はいないんだよ!!!」


 アリアが力強く言った。


「そうなの?」

「平民も奴隷も貴族も王様も、みんないないんだよ! 大統領を、選挙っていうので選ぶの!」


「じゃあ、僕にも大統領になれるチャンスがあるわけだ」

「うん!」


(ノヴァリア……。自由、平等、友愛)


 アリアは、セシルとハルカの間にエスコートされる形で、周囲の目を弾くようにフロアを横切る。

 セシルは、強引にアリアの腰を抱き寄せた。


(くそ…なんでこんなにイラつくんだ。)


 フロアの端っこで、セシルはアリアをリードしてメチャクチャなステップを踏み出した。


 それをハルカが楽しそうに見ながら拍手する。

 アリアがターンをしてくるくる回り、そのままハルカの手をとり、今度はハルカと不器用に踊る。


「セシル、こうかい?」

「あはは!!」


 アリアが大袈裟にのけぞり、ハルカがそれを慌てて支える。


「お前ら、それは宮廷ダンスじゃねぇ、タンゴだ!」


 またセシルの腕の中に戻る。

 今度は優雅に左右に揺れ……ようとして、慣れないハイヒールでセシルの足を思い切り踏んでしまうアリア。


「イッテェ!!!」

「ご、ごめんねセシル!」


「お前、その尖った靴で貴族どもの足を刺してやったらよかったんじゃないのか?」

「ぷっ、そうだね! ほんとだね!」


 ■■■


 ノヴァリアの商人と通訳は、バルコニーに出た。

 夜風にあたりながら、広間のアリアたちを見て、リージェインが口を開いた。

『大人というのは寂しいものだな。用心と手順が先立って、行儀を守ってしまうのさ』


 通訳は、懐かしそうに目を細めて答えた。

『ふ。彼らはまるで我々の五年前です。これからたくさんの恥と悔しさを経験して、私たちのようになっていくと思うと、少し残念な気もしますね。』


 シャンデリアの光の中で、アリアがセシルの足を踏んで笑っている。セシルが耳まで赤くして怒鳴りハルカが呆れたように笑う。

 通訳が、手すりに肘をついてワインを傾けた。


『それにしても。あの気色の悪い術師が、随分と執心していましたね。アリア嬢に。彼はもう40近いだろう?』


 ジェインは答えず、広間の奥に立つサーネルカを見た。

 皇帝の隣で微笑みながら、アリアから一度も目を離さない男。


『いい年して明け透けもなく視線を送るとは。どう見積もっても「稚児弄び」のそしりを免れぬのではないかと思うのだけど。いかがか?』

『否定しません。』


『そんな人間が結界の要ならば、この結界の脆さのほども、推して知るべしだなぁ』


 通訳は少しだけ目を細めた。


『……それは、我々にとって』

『好機かどうか、と聞きたいのかい』


 ジェインはグラスを口に運びながら、静かに続けた。


『我々の船は、いつでも動ける状態にある。それだけだ』


『ではあの娘を焚き付けたのも……』

『それは善意からに決まってる』


 即答だった。

 通訳は苦笑した。


『しかし結果として、番犬たちの嫉妬に火をつけました』

『それは副産物だよ』


 通訳はグラスを置いて、少しだけ声を落とした。


『一つだけ聞いていいですか』

『どうぞ?』


『もしこの国の結界が完全に落ちて、魔獣が都を飲み込んだとしたら』


 ジェインは答えない。


『我が国は、助けに入ると思いますか』


 しばらくの沈黙。

 ジェインはバルコニーの手すりから身を離し、夜空を見上げた。


『ノヴァリアは、自由を愛する国だ』

『はい』


『他国の自由を奪うことは、我々の精神に反する』

『……はい』


『だが』


 ジェインは静かに続けた。


『溺れている者が助けを求めれば、手を差し伸べる。それもまた、我々の精神だ』


 通訳は、すぐには答えなかった。


『その精神こそが、我が国が世界の警察と呼ばれる所以だろう?』

『……手を差し伸べた後に、その者が自分の足で立てなければ』


『支えてやるしかないね。いつまででも』

『それが、支える側の望む形になったとしても?』


 ジェインはグラスを傾けた。

 そして、ただ一言だけ言った。


『歴史とは、そういうものさ』


 通訳は静かに目を伏せた。


 ジェインは広間へ視線を戻した。アリアが今度はハルカの手を取って、不器用にターンしている。転びそうになって、ハルカが慌てて支える。セシルが舌打ちしながらも、その小さな背中から目を逸らせないでいる。


『あの子は、自分がどれほど危うい場所に立っているか、まだ分かっていない』


 ジェインの声は、静かだった。


『だからこそ、誰かが外から見ていなければならない』


 通訳はしばらく黙って、夜空を見上げた。


『……船の準備を、整えておきます』


 ジェインは何も言わなかった。そしてワインを飲み干すと、無言でバルコニーを後にし、そのままホールを突っ切って、城を後にした。通り過ぎる広間からアリアの笑い声が聞こえてきた。




 アリアはターンするたびに二人の騎士の間を笑顔で行き来した。

 不器用に、けれど会場の誰よりも自由に、本当に楽しく踊っていた。


 (こんな夜が、ずっと続けばいいのに)


 アリアは、心からそう思った。

読んでいただきましてありがとうございます。リアクションや星で応援いただけると嬉しいです!

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