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デメキン姫と呼ばれた聖女、今日も華麗に逃げ出します! 〜最凶魔術師にいじめられてた私が、なぜか番契約で溺愛されて国へのざまぁも始まりました〜  作者: みょんたま
後編 / 帝都編

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第28話 【紫瞳】「何も心配しなくていい」 〜7日目の夜:秩序の檻。怪物、サーネルカ。〜

「サーネルカ様……!?」

 誰かが、ひゅっと息を呑むようにその名を呼んだ。


「いつから、こちらに……!!」

「たった今だよ」


 男は、広間の影からゆっくりと歩み出た。


「ひどいではないかァ。これほどの晩餐に、私を招いてくれないとはァ」


 鷲鼻に二重の大きな目は貴族らしく歪み、一分の隙もない微笑が貼り付いている。

 男が歪な笑みを深めるたび、上質な衣服とはあまりにも不釣り合いな、オレンジ色の歯が覗く。

 底の見えない沼のように暗く、濃い瞳が不気味に光っていた。


「……サーネルカ」


 セシルの声は、喉の奥から絞り出すような低い唸りだった。


「何の用だ。防衛局の長官様が、こんな暇人どもの集まりに」


 その言葉に、広間の空気がわずかに揺れた。

 防衛局長官。その肩書きが落ちた瞬間、貴族たちの表情が変わる。


 アリアは、セシルとサーネルカを交互に見た。


 セシルは、フォイエルシュタイン本家の直系。魔力量においては、目の前の男など比べものにならないほどの天賦の才を持つ。


 けれど、サーネルカは違う。

 セシルが生まれるまで、フォイエルシュタイン家の後継者だった人。

 生まれ持った魔力は凡庸。だが、その不足を執念じみた努力と術式理論で埋め、今や帝国中の防壁を管理する地位まで登り詰めた男。


 皇宮。貴族院。帝都の防壁。

 上級貴族たちの屋敷。

 そして、エデン。

 この場にいる者たちの安全も、財産も、誇りも、その多くがサーネルカの術式に支えられている。


 周囲の貴族たちが、さざ波のように囁き始めた。


「サーネルカ様だ……」

「あの方の術式があれば、我が領地も安泰だ」

「魔力だけならセシル様の方が上だと言うが、結局、帝国を守っているのはサーネルカ様だからな」

「学園や師団で最強と謳われていても、実績がなければ、まだ子供だ」

「いやしかし、数年後はどうなるやら。さて、どちらにつくべきか…」


 隠す気もない声が、セシルの耳を打つ。


 セシルの拳が、ぎり、と鳴った。

 指先から青白い火花が溢れかける。けれど、彼はそれを激しい屈辱と共に押し殺した。


 ここで雷を放てば、自分はただの『血気盛んな学生』になる。

 実績ある防衛局長官に癇癪で噛みついた、フォイエルシュタイン家の若造。そう見なされる。


 どれほど魔力が強くても。

 どれほど正しく怒っていたとしても。

 この腐った貴族社会では、未熟な力は正義ではない。

 ただの暴挙として記録される。


 サーネルカは、そのすべてを熟知している顔で、ゆっくりとセシルに歩み寄った。


 なぜかつま先立ちになって歩き出したサーネルカは、

「おっと間違えた、今は体だった」

 と謎の言葉を発して、大袈裟な動きでかかとから地面に着地したかと思えば、その真っ白な手首を

「今は出番じゃない」

 とでも言うように撫で上げた。

 右手首と腕の間には、真っ黒な刺青が、手首をくるりと一周するように入っており、まるで手首だけが独立しているかのように見えるほどに、黒々と線が入っていた。


「そォんなに殺気立つなァ、可愛い甥っ子よォ」


 白い手が、セシルの礼装の肩に置かれる。

 その瞬間、セシルの周囲の空気が、ばち、と裂けた。


 けれど、雷は落ちない。落とせない。

 それでもセシルはあらん限りの力でサーネルカを睨みあげた。


 サーネルカは優雅に微笑んだ。


「君の素晴らしい魔力はァ、学園の演武場のために取っておくといい」


 空間をねっとりとゆったりと這うような声。

 そして、少しだけ身を寄せ、いきなり早口で、セシルにだけ聞こえる不気味な声音で囁いた。


「実績のない君に私が張り巡らせたこの秩序を壊す度胸はないだろうそうだろう」


 セシルの目が、凍る。

 いきなり早口になったのが気持ちが悪いと言うこともあったが、その内容に、言い返す言葉が出なかったのだ。


 アリアは息を呑んだ。

 セシルが、力で勝てるはずの相手を前にして、動けない姿を初めて見た。


 怒っているのに。雷を落としたいはずなのに。それをすれば、自分の未熟さを晒し、相手の術式システムの正しさを証明することになる。

 この場所では、力だけでは勝てない。そのことを、セシル自身が誰よりも分かっているのだ。


「……その手をどけろ」


 セシルが低く言った。


「おやァ。触れられるのも嫌か〜い?」


 サーネルカは、わざとらしく肩に置いた手へ視線を落とした。


「昔は!君も!可愛げがあったのになァ」

「黙れ」


 大きな声を出すたびに、肩をポン!ポン!と叩いた。


「怖い顔だ。まるで番犬だなァ」

 サーネルカはくすりと笑う。


 ようやくその白い手をセシルの肩から離した。

 その沼のように濁った視線が、ゆっくりとアリアへ向く。


 その瞬間、アリアは直感した。

 次は、自分だ。


「さァて…」

 サーネルカは、舞台の上の作品を眺めるように目を細めた。

「これほどとは思わなかったなァ」


 低く、滑らかな声だった。

 アリアは動けなかった。足の裏が、大理石に神聖な鎖で縫い止められたようだった。


「うふ!遠目にはお目にかかったことがあるのだよ? 黎明の御子よ。帝国最高純度の聖力を持つ少女。歌えば結界を満たし、祈れば穢れを払う存在?」


 サーネルカは歩きながら舞台へ近寄った。その視線が、ゆっくりとアリアの黄金の髪、喉元、ドレスによってお椀型に膨らんだ胸元、そしてダイヤモンドのブレスレットが鳴る指先へと滑っていく。

 敬意ではない。慈しみでもない。

 まるで、複雑な魔術回路の構造を分解して確かめる、冷酷な研究者の目だった。


「だが、実物は噂以上だ」


 彼はわずかに首を傾け、言い放つ。


「光の質も悪くない。流れも澄んでいる。器としても安定している」


 器。その言葉が、アリアの胸に冷たく沈んだ。


「……器?」


 思わず漏れた声に、サーネルカは嬉しそうに微笑んだ。


「そうだよ!器だよ、アリア嬢!強い力には、適切な器が必要だ。壊れず、濁らず、余計な意思を挟まず、ただ正しく力を流すための器がね。――んっふ!」


 アリアの指先が震える。


(――余計な、意思?)


 つい先ほど、自分の意思で歌ったばかりだった。

 これは自分の歌だと。セシルとハルカに届けるための歌だと。そう思って、心を込めて歌ったばかりだった。


 なのに、この男は一瞬でそれを剥ぎ取る。

 歌ではなく、力。

 祈りではなく、資源。

 自分ではなく、器。


(待って。本当に気持ちわるい。今まで会ってきた貴族の中で一番気持ち悪い。あんたのそのオレンジ色の歯と同じくらい、その理屈、腐りきってる……!それに…何この匂い!!すごく臭い!!!吐きそう!!!)


 アリアの本能が嗅ぎ分けたのだろうか。サーネルカから放たれる甘ったるい香水の香りが、アリアには悪臭にしか感じられなかった。心の中でどれだけ叫んでも、サーネルカの放つ不気味な威圧感に喉がすくむ。


「思っていた以上に――使える」


 その言葉が落ちた瞬間、広間の空気が軋んだ。

 使える。

 まるで、自分が人ではなく、どこかの棚から取り出された便利な道具であるかのように。


「やめろ」


 地を這うような低い声が落ちた。

 セシルだった。


 それまで動けずにいたはずの彼が、いつの間にか舞台に上がりアリアの横に立っていた。

 大きく熱い手が、震えるアリアの指先をぎゅっと力強く握り込む。そのまま、ぐいっと彼女の手を引き、自身の背後へと下がらせた。


 セシルは少し振り返って、アリアの瞳を見つめた。暴力的な紫の瞳が、アリアの青い瞳を確認するかのように見つめる。そして、「何も心配するな」とだけ告げ、完全に庇うように、大きな体で一歩前へ出た。

 セシルの柑橘の香りが届き、アリアは自分が息が吸いやすくなっていることに気づいた。


 深藍の軍礼装の背中から、青白い雷が細く漏れる。  

 だが、落とさない。

 落とせない。

 それでも、その背中は盾となってアリアの前に立ちはだかった。セシルはグッと胸を張った。

 

(セシル……。そうだ。私だって!)


 アリアはセシルに倣って、ピンとたち、自分もと胸を張る。



「それ以上、こいつを見るな」


 サーネルカは楽しそうに目を細めた。


「あぁ怖いなァ、見るだけで怒るのかい?」

「口も閉じろ」


「褒ォめているだけだよ。帝国にとって、彼女がどれほど有用かをねェ」

「有用?」


 セシルの声が、さらに低くなる。

「てめぇの術式に流すための燃料みたいに言うな」


「燃料とは乱暴な表現だ。せめて、基盤と言ってほしいなァ」

「同じだろうが」


「違うねぇ。燃料は燃え尽きる。基盤はァ、秩序を支える」


 サーネルカの目が、アリアを越えて、広間全体へ広がる銀の蔦を見た。


「この国には秩序が必要だ! 古い結界は弱り、魔獣は境界を越え、民は不安に震えている。ならば、最も純度の高い聖力を、最も効率よく国へ流すべきだろう!?」


 貴族たちが、小さく頷く。


「確かに……」

「合理的だ」

「御子の力は国のためにあるのだから」


 アリアの胸が、ぎゅっと縮む。

 その言葉は正しい顔をしていた。国のため。民のため。結界のため。どれも綺麗で、誰も反論できない言葉。けれど、その中心にいる自分だけが、息ができなかった。


「だからといって」


 セシルが低く、しかし明確に言い放った。


「こいつを物扱いしていい理由にはならねぇ」

「物扱い?」


「そうだろ」

「違うなァ」


 サーネルカはゆっくりと首を振った。


「役割を与えているのだよ。君のように、力を持て忘れて苛立つだけの若者とは違う。私は力の行き先を設計している。彼女の聖力も同じだ。正しい場所へ流せば、多くを救う。私なら、それができる」


 サーネルカの声は静かだった。

 静かだからこそ、恐ろしかった。

 正論の顔をしてアリアを奪おうとしている。


 セシルの肩越しに、アリアはサーネルカを見た。

 嫌悪よりも先に、本能が叫んでいた。

 近づいてはいけない。

 この人の理屈に飲み込まれてはいけない。


 サーネルカの視線が、再びアリアへ戻る。


「アァっ! 怯えなくていい!」


 優しい声だった。あまりにも優しいせいで、余計におぞましかった。


「君はただ、流れればいい。

 歌い、祈り、番となり、結界を満たす。

 それだけで帝国は救われる。

 ――んっふ!」


 つがい


 その不気味な言葉に、アリアの身体が小さく震えた。

 パリン!!!

 ……鼓膜を突き刺すような凄まじい破砕音が広間に響き渡った。


「――あぁ、ごめんなさい。

 手が滑っちゃった」


 見れば、壁際に立っていたハルカが、手にしていたクリスタルのグラスを、笑顔のまま、握力だけで粉々に握り潰して、床にぶち撒けていた。破片がサーネルカの靴のわずか数センチ手前に突き刺さり、ハルカの手からだらりと赤い血が伝い落ちる。


「血が出ちゃったな。」


 そう言いながら、ナプキンで手を抑える。

 いつもの気のいい青年の笑みを浮かべたまま、その青い瞳だけが、完全に光を失ってサーネルカを凝視しながら悠々と歩き、舞台に上がるとアリアの隣に立った。そして横に屈んで、アリアの耳元で囁いた。


「ごめんね?耳を塞いであげれなくて。大丈夫かい?」


 そしてアリアが何か言おうとすると、耳をアリアの口元に近づけた。


「…大丈夫だよ」


 アリアが小声で答える。いつもはアリアよりも30センチは上にある頭が、今は目の前にある。優しい空色の瞳が、アリアのすぐ目の前で微笑んだ。それだけでアリアは、心から安心できたのだった。

 ハルカはアリアの表情を確認し、もう一度サーネルカを睨みつけ、グッと胸を張って立ち直した。それを見て、アリアももう一度グッと立ち直した。

 そして二人の前には、セシルが力強く立っている。

 

 周りには貴族たちが好奇の目で、見つめている。

 多勢に無勢。

 何度も立ち上がりかけては、またしぼむ。

 それでも、<二人が一緒に立ってくれている>。

 アリアは、それだけで、何度でも力強く立ち上がれる気がした。


「……サーネルカ」


 セシルの声が、底なしの深淵へと沈む。


「それ以上言ったら、本当に殺す」


 広間にいた貴族たちが息を呑んだ。けれど、サーネルカは笑みを崩さない。


「ほらァ。そうやってすゥぐ力に頼るっ。君は本当に分かりやすい。怒れば雷を落とせると思っている。けれどォ、この場で私に手を出せばァどうなる?」


「……」


「ねェねェどうなるゥ!?」


「…チッ」


「防衛局長官への暴行皇室管理下の術式への反逆フォイエルシュタイン家の不祥事君ひとりの癇癪で家門に泥を塗ることになるその程度の判断もできない男に国の防衛など任せられない!!」


 サーネルカは、白い手で軽く胸元を払った。

 そしてまた、息継ぎもせず早口で容赦なく言葉を叩きつける。


「君が将来魔塔を本当に継いだとしても国の防衛を担う私の方が立場が上だということを忘れるな」


 セシルの雷が、ばち、と床の大理石を黒く焼いた。

 それでも、彼は動かなかった。動けなかった。


 アリアは、その大きな背中を見ていた。

 何でも壊せる人だと思っていた。気に入らなければ雷を落とし、邪魔なものを全部消せる人だと思っていた。


 けれど違う。セシルにも、壊せないものがある。家名、立場、貴族社会、この場にいる大勢の目。

 そのすべてが、見えない秩序の鎖になって、彼の最強の雷を縛り上げている。


「……だから嫌なんだよ」

 セシルが、小さく吐き捨てた。

「てめぇみたいなやつは」


「光栄だ!」

 サーネルカは優雅に笑った。


 そして、セシルを横からすり抜けるように、ほんの半歩だけアリアへ近づいた。

 セシルの腕が即座に動く。アリアを完全に背後へ隠すように、壁となって立ちはだかる。


「近づくな」

「防衛局長官に命令するのかい?」


「俺は、こいつの護衛だ。護衛対象に近づく不審者を止めてるだけだ」


 その言葉に、サーネルカは初めてほんの少し目を細めた。


「不審者? それは私のことかい?」

「そうだ」


「ふむ。随分と口が達者になった」

「てめぇ相手には十分だろ」


 二人の間で、空気が音もなく爆発しそうなほど張り詰める。

 その時、ハルカが静かに一歩前に出た。


「サーネルカ様」


 穏やかな声だった。


「アリア様は長旅の直後です。歌も終えたばかりで、お疲れのご様子。これ以上のご挨拶は、明日にしていただけませんか」


 サーネルカの視線が、ハルカへ滑る。


「君は?」


「ハルカ・エオリア・ヴェント。アリア様の護衛を務めております」


「……ああ」


 サーネルカは、何かを思い出したように薄気味悪く微笑んだ。


「平民出の準騎士だそうな。王弟、ていていていてい、まぁいい。とにかく、防護術式を買うことができない、カリスヴェル殿下の領地の」


 その侮蔑を含んだ言葉に、周囲の貴族が小さく笑った。

 だが、ハルカは微笑んだまま、綺麗に頭を下げる。


「はい。今夜のアリア様を休ませる権限くらいは、任務上いただいております」


 サーネルカはしばらくハルカを見ていた。

 そして、楽しそうに喉を鳴らす。


「なるほど。君は君で、面白そうだ」


 ハルカの笑みは変わらない。けれど、アリアには分かった。その青い瞳は、少しも笑っていない。


 サーネルカがさらに口を開こうとしたその時。空気を読まない貴族たちが、我先にと声を重ねた。


「いや、実に素晴らしい歌でしたな!」

「もう一曲、聴かせていただけませんかな」

「そうだ。帝都のため、もう一度だけ!」


 次々と声が重なる。

 誰も、アリアの顔色など見ていなかった。先ほどまで歌っていた身体がまだ熱を帯びていることも、指先が震えていることも、呼吸が浅くなっていることも。


 アリアは、思わず一歩だけ後ずさった。


「私は……」


 声が出ない。嫌なら嫌と言えばいい。そう分かっているのに、周囲を囲む大人たちの無遠慮な視線の圧が、アリアの喉を押さえつける。


 その時だった。


「来い」


 低い声と同時に、セシルがアリアの手首をがしりと掴んだ。


「え……?」

「行くぞ」


「セシル、でも……」

「いいから」


 セシルは一度も振り返らなかった。


「こんな見世物小屋に、これ以上いる必要ねぇだろ」


 広間が激しくざわめく。


「セシル様!」

「まだ宴の途中ですぞ!」

「御子様は――」


「黙れ」


 たった一言だった。

 けれど、その声に含まれた絶対的な雷の気配に、誰も次の言葉を続けられなかった。


 セシルはドレスの裾を踏みそうになるアリアの手を力強く引いたまま、大理石の広間を堂々と横切り、廊下への扉を出た。


 ふと後を振り向くと、自分達が出てきた広間の出口を塞いでいるハルカの広い背中が見えた。


「平民ごときが!」


 そんな罵声が背後から飛んできた。

 その言葉が、アリアの胸に深く突き刺さる。

 彼らはどこまでも蔑んでいる。


(……もううんざり。)


 今まで感じてきた理不尽な扱い、冷たい視線。そのすべてが、この一言に凝縮されている気がした。彼らにとって、自分たちは人間ではない。都合のいい道具であり、踏みつけにしてもいい存在なのだ。


 このきらびやかな広間に満ちる、宝石や香水の匂いよりも濃い「悪意」に、アリアは吐き気がした。横暴で、傲慢で、人の心を削り取ることになんの躊躇もない、この国の大嫌いな大人たち。


(――行かなくちゃ。)


 本で読んだあの国、ノヴァリア。

 肌の色も髪の色も違っても、誰もが自由で、誰もが「誰かの所有物」ではない場所へ。あそこなら、こんなふうに蔑まれることも、道具として扱われることもないはずだ。いつか絶対に、この息苦しい国から抜け出してやる。

 そんな決意と共に、ハルカのほうを振り返れば、彼は罵声を浴びながらも背筋を伸ばして立っている。アリアは胸が張り裂けそうなほどの感謝と、彼をそこへ立たせてしまったという罪悪感で涙が出そうになった。


 そして前を見れば、セシルの広い背中がある。

 そこから伝わるのは、ただただ純粋な怒りだった。怒っている。ものすごく怒っている。でも、その怒りは決してアリアに向けられたものではない。


(……私を、守ってくれた)


 この広間にいる大人たちは皆、アリアを「聖なる器」や「資源」としてしか見ていなかった。けれど、この二人は違う。


 雷を落とせるほどの力を持っているのに、社会的な立場もあるのに、今こうしてアリアという一人の女の子の手を引いている。

 その事実に気づいた瞬間、繋がれた手の熱さが、理不尽に凍らされていた心を温かく溶かしていくようだった。背負うしがらみも、直面するであろう困難も、分かっている。それでも、この人は自分のために盾になってくれたのだ。




 セシルの広い背中。

 アリアは、その熱さに引かれるまま、セシルをただ見つめて、ついていった。



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