第2話【捕獲】お姫様キャッチと空降る靴〜ドS魔術師に捕まりました〜
ー少女が窓から落ちる数時間前ー
「危ない!轢かれるぞ!!」
「よけろ!」
「あ、あの制服!ゼノスレガリア魔道騎士団よ!」
「道を開けろ!!」
石畳を激しく打ち据える猛烈な蹄の音が、西の都の静寂を真っ二つに切り裂いた。二騎の巨大な軍馬が恐ろしいスピードで駆け抜けていく。小洒落た店が立ち並ぶ界隈も、高級住宅街の洗練された空気も、彼らにはお構いなしだった。
ヴァルハイト帝国が誇る、ゼノスレガリア魔道騎士団。
肉弾戦をこなしながらも規格外の魔術を撃ち込む、頭のおかしい戦闘集団の名称である。
先頭を駆けるのは、その戦闘集団の軍服を着た、銀糸の髪に紫の瞳をした男。
「遅ぇ。もっと飛ばせねぇのかよ!」
手綱を荒々しく操るその横顔には、連日の強行軍による苛立ちが露わになっている。
「無茶言わないで。これでも軍馬の限界ギリギリだよ」
並走する黒髪に空色の瞳の男が、余裕の笑みを浮かべながらたしなめた。片手で軽々と手綱を捌きながら、風の魔術で馬の負担と空気抵抗を巧みに減らしている。
「本来なら一週間かかる距離を、三日で走破してるんだ。馬が潰れる前に着きそうで、むしろ御の字だよ」
「チッ。誰のせいでこんな貧乏くじ引かされたと思ってんだ」
悪態をつきながら、一際大きく手綱を引き絞る。
ヒヒィーン!と高く嘶き、二頭の軍馬は、高級住宅街の中に一際目立つ華やかな洋館の前で、ピタリと同時に動きを止めた。
舞い上がった土埃の向こうに、色とりどりの花が咲く見事な庭園が現れる。
クリーム色の外壁と列柱のある大きなベランダが、青空に映えて美しいコントラストになっていた。
風が吹けば庭の草木も揺れ、清らかな空気で満ちている。
そこへ、強行軍の土埃をまとった真っ黒な軍服の男二人が、門の前に立った。
門には、<エデン>と書かれている。
二人は揃って鞍から無駄に長い脚を滑らせ、軽やかに地面へ降り立った。
「……あー、だる。やっと着いたな」
首の骨をポキリと鳴らし、気怠げに洋館を睨みつける。
その男。
セシル・シュトラール・フォイエルシュタイン。
少し癖のある銀髪に、大きな紫色の瞳。
耳には黒い宝石のピアスがいくつも輝く。
黒の軍服を着ているがだらしなく着崩している。
銀糸の髪は無造作に後ろへ掻き上げられており、その端正で冷酷な顔立ちを隠すことなく露わにしている。腰には長い剣を帯びている。
帝立魔術学園 上級課程第二学年でありながら、ゼノスレガリア魔導騎士団 候補隊 所属。
代々魔塔主を務め、国の筆頭貴族でもあるフォイエルシュタイン家が嫡男。
雷属性の魔術師である。
その隣に立つのは、黒髪に、空のように青い瞳の男。
ハルカ・エオリア・ヴェント。
同じく帝立魔術学園 上級課程第二学年、帝国ゼノスレガリア魔導騎士団 候補隊 所属。
平民出身の風属性魔術師である。
腰には長い剣を帯びている。同じ軍服とマントを身につけているが、彼もまたジャケットのボタンをラフに開け、精悍な首筋から胸元にかけてのラインを覗かせていた。横髪は短く刈り上げられ、上に残した髪だけを後ろで小さく束ねている。体格もしっかりしていて、並の騎士よりよほど迫力がある。
「豪奢な館だねぇ。僕らへの扱いとは大違いだ」
ハルカが口笛を吹く。セシルが呼び鈴を鳴らした。
しばらくして扉を少しだけ開けたのは、洋館の執事トーマスだった。
連日の強行軍で土埃にまみれた二人を上から下まで繁々と見て、静かに言った。
「……お引き取りくださいませ?」
「はぁ!? 俺ら護衛を頼まれた騎士なんだけど!」
「ここは格式高い帝国直轄のお屋敷でございます。そのような話し方をされる客人など入れるわけにはまいりません」
「客人じゃなくて護衛! アリアを出せって!」
「護衛。なるほど。で?馬車はどうなさったのです?」
「馬車だぁ?!そんなもん乗ってたら時間かかって仕方ねーから軍馬で走ってきたんだよ!!」
「そもそも。あなた方のようなヤン……失礼、お子様が来るとは聞いておりませんが」
「今ヤンキーって言いかけなかったか!?」
ハルカがため息をつく。
「……セシル、帰ろう。お呼びでないようだし」
「お前何言ってんだよ。ここまで来るのに馬で三日かかってん……」
「ぜ〜ひそうなさってくださいませ? それでは失礼いたしま〜す」
バタン。
「君ねぇ。もう少し順序立てて挨拶できなかったのかい」
「俺のせいかよ」
「九割くらいは」
「残り一割は何だよ」
「運命かな?」
「ふざけんな」
セシルの指先から、バチ、と青白い火花が散る。
「やめてくれるかなぁ。君が隣でイラつくと、結んでない髪が全部逆立つんだよね」
「知るか」
「いや知って? 僕はそのせいで年中この髪型なんだから」
ハルカはそう言って後ろで結んだ髪を指差した。
二人はなすすべもなく、洋館の周りを歩き始めた。
「……どうだい、セシル。何か感じるかい」
「……ああ。腐りきってやがる」
セシルは不機嫌そうに、白い外壁を軽く叩いた。かすかに『ジリッ』と嫌な音が鳴る。
「表の顔は外敵を防ぐ『盾』だ。だが裏側が…結界の棘が、全部『内側』に向かって生えてる。……ここは聖域なんかじゃねぇ。ただの牢獄だ」
ハルカの目が、すっと細くなった。
「趣味が悪いね。誰の仕事だい?」
「銀の蔦の署名入りだ。ウチの親戚の、神経質な術式オタクだな。……ただ、妙だな。結界の反応が鈍い。まるで魔力がガス欠でも起こしてるみたいだ」
「管理しきれていない、ということ?」
「……あいつが? ありえねぇよ。気色悪いくらい管理したがる男だぞ」
セシルは吐き捨てるように言い、再び歩き出す。
「さっさとアリアとやらに会わせてもらわねぇとな」
「そうだねぇ――って、セシル、あれは何かな?」
敷地の真裏。レンガの塀に不自然に垂れている白い布。
「あーん? なんだ、シーツか?」
ご丁寧に何枚かのシーツを固く結び合わせ、ロープ代わりにして垂らしているようだった。
視線を上へたどると、はるか三階の出窓まで続いている。
「なんだろうね? エデンの流行りの干し方ではなさそうだけど……」
その時だった。
「おぅっわ!?」
頭上から、ずっしりと重そうな黒いリュックが、セシルの顔面めがけて落ちてきた。
セシルは反射的に手を伸ばし、鼻先数センチのところでそれを受け止める。
「……リュックだ。結構いいお値段がしそうなやつだねぇ」
「……天からリュックが降ってくる呪いか?」
「もしそうなら、やっと神様が僕の日々の苦労をわかってくださったのだろうねぇ」
二人は同時に、首が痛くなるほどの角度で上を見上げた。
ニョキ。
白い足が、窓から出てきた。
「セシル…きみ、あれは何だと思う?」
「……人間の足。だな」
見上げた三階の出窓から、真っ白な足が一本、ぬっと空中に突き出ていた。
足はしばらく空中で所在なげに彷徨い、やがて窓の下のわずかな出っ張りをぷるぷると捉える。
くるぶしまであるごついブーツ。その中に、ちらりと見える赤い靴下。
続いて白い短めのズボン。だぼっとしたベージュのローブ。
不意に強い風が吹き、ローブのフードがふわりと取れた。
これでもかというほど布でぐるぐると頭を巻いた少女だった。
いかにも「変装しています!」と全身で主張している格好である。
「……なんだ、あれ。新手の泥棒か?」
「さぁ。少なくとも、高貴なレディのまともな外出方法ではないねぇ」
少女は決死の形相で飛び出し、シーツをロープ代わりに掴んで、ターザンよろしくゆらゆらと揺れながら降りようとしていた。
その時だった。
ポロリ、と。
踏ん張っていた右足のブーツが、あっけなく脱げた。
少女は落ちた靴を、ポカンと口を開けて「あぁ〜っ」という情けない顔で追い――
それからようやく、真下にいる長身の男二人の存在に気づいた。
ビクゥッッ!と、分かりやすく全身が跳ね上がる。
大きく見開かれた瞳が、信じられないものを見るように二人を凝視した。
「な……なに、あんたたち。一般人!? そ、そこで何してるの?」
「だーれが一般人だっつーの。人の頭上から靴降らせといて、何してんだはこっちのセリフなんだけど、泥棒でもしてたのか?ガキンチョ」
「ど、泥棒!? んなわけないでしょ!」
少女はムッとしたように眉を寄せると、しっしっと犬でも追うように片手を振った。
「てか、そこどいてよ。邪魔!」
「口の悪い子だねぇ」
「う、うるさい! 早くどいて! 降りれな――あ、やっ!」
手綱、ならぬシーツからうっかり手を離してしまったのだろう。
バランスを崩した少女の身体が、ぐらりと傾いた。
途端に「やばい!」と顔面を蒼白にさせる。
「きゃ、きゃあああああ!」
「あーあ」
呆れたように息を吐き、セシルがその無駄に長い脚でスッと一歩を踏み出す。
普通なら絶対に間に合わない距離。だがセシルは、流れるような一切の無駄がない動きで、瞬時に落下地点へと滑り込んだ。
シーツから手が滑り、真っ逆さまに落ちてきた少女を、セシルは正面からガシッと受け止めていた。
「はーい、捕獲〜!」
いわゆる、お姫様抱っこである。
少女は「もうだめだ」とばかりにぎゅっと目を閉じ、カチコチに固まっていた。
それから、自分が地面に激突していないことに気づき、恐る恐る片目だけを薄く開ける。
目の前には、至近距離でこちらを見下ろす、ぞっとするほど美しい紫の双眸があった。
少女もまた、大きな深い青の瞳をこれ以上ないほど見開いて、セシルを見つめ返す。
しばらく、二人は至近距離で見つめ合った。
ラブストーリーなら、恋が始まる瞬間である。
「……目ぇでっか」
セシルが、心底不思議そうにぽつりと言った。
「出目金みてぇ」
「なっ……!」
少女はカッと目を見開いた。
信じられない言葉を聞いたというように、大きく見開かれた青い瞳が、今度は怒りに燃え上がる。
「誰が出目金よ!!」
普通なら、三階の窓から落ちた直後だ。
泣くなり、震えるなり、腰を抜かすなりする場面である。
だというのに、腕の中の少女は泣くどころか、セシルを真正面からキッと睨みつけてきた。
出目金呼びされて怒ったのだろう。
少女の頬が、見る間にぷうっと膨らみ、赤く染まっていく。
見れば見るほど大きな瞳。
きゅっと上がった眉。
セシルは内心で、実家の執事が大切に飼っている金魚の出目金、クレオにそっくりだと思った。
少女が怒鳴った瞬間、ふわりと甘い匂いがした。
花の香でも、香水でもない。もっと淡くて、柔らかい。雨上がりの光みたいな、妙に気になる匂い。
セシルは無意識に、少女の首元へ顔を近づけかけた。
「……お前、何か変な匂いすんな」
「はぁ!?」
「甘い」
「ちょっ、近い近い近い!」
少女は真っ赤な顔で、慌てて両手でセシルの顔を押し返した。
左の眉毛がピクッとつりあがる。
小さな手だった。力も弱い。けれど、遠慮だけはまるでなかった。
「どういう神経してるの!? というか、あんた歯は磨いたの!?」
「は?」
「この距離で喋るなら大事なことでしょ!」
「命の恩人に最初に確認することがそれか?」
「命の恩人でも不潔なのは嫌!」
ハルカが横から、深々とため息をついた。
「セシル。初対面の女の子にする距離じゃないよ」
「あ?」
「しかも相手は今、窓から落ちてきたばかりだ。少しは怯えているかもしれない、という発想はないのかい?」
「怯えてる奴は、こんなに元気に噛みついてこねぇだろ」
「それは確かに」
「納得しないで!」
少女が目をぎゅっとつむって叫ぶ姿がなんだか小動物みたいで可愛くて、ハルカは思わずくすりと笑った。
「君、元気だね」
「元気じゃないわよ! 今、人生最大の危機なんだけど!」
「ふっ。窓から落ちてきたわりには、よく喋るよなぁ」
セシルが鼻で笑う。
その瞬間、少女の視線が、ふとセシルの軍服で止まった。
じっと見つめてから、なんだか薄汚れていることに気付き、ピクリと左の眉毛が怪訝そうに上がる。
近くで見ると、黒い軍服には乾いた泥がこびりつき、襟元からは馬と土と汗が混ざったような、強烈な男の匂いがした。
少女は一瞬だけ黙り込んだ。
その瞬間も、不満そうに眉毛がピクピクと動いている。
それから、これ以上ないほど「うわぁ」という顔をして、鼻の頭に皺を寄せた。
眉間にはくっきりとシワが寄っているが、その目は力強く二人を睨みつけていた。
「……ていうか、あんた」
「あ?」
「なんか……すっごい臭いんだけど!!?!!?」
ぴしり。
空気が止まった。
ハルカの肩が、小刻みに震え始める。
セシルのこめかみに、ブチッと青筋が浮かんだ。
「はぁあああああ!?」
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