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デメキン姫と呼ばれた聖女、今日も華麗に逃げ出します! 〜最凶魔術師にいじめられてた私が、なぜか番契約で溺愛されて国へのざまぁも始まりました〜  作者: みょんたま
後編 / 帝都編

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第26話【口火】今から言うことは、本当のことだよ。すごく、綺麗だ。〜7日目の夕暮れ時:不変の檻と銀の火花〜

 7日目の夕暮れ。

 太陽が沈み始めた頃。


 一行は、帝都ゼノスレガリアの喉元に位置する街、選ばれし貴族たちが邸宅を構える「銀冠区」へと足を踏み入れた。

 分厚い防壁が街を白く囲み、そこかしこに魔法灯を帯びた門番が立っている。これまで通り抜けてきた素朴な村や宿場町とは、流れる空気の密度が違った。ここは、美しさと冷酷さが同居する、帝国の心臓部へと続く回廊なのだ。


「身分と名を名乗れ」


 門番が低い声で告げる。


「帝立魔術学園 上級課程第二学年、

 帝国ゼノスレガリア魔導騎士団 候補隊所属。

 セシル・シュトラール・フォイエルシュタイン。


 皇命により、黎明の御子、アリア・ブランシュ・メイフィールド嬢をエデンよりお連れした。

 ――門を開けろ」


 セシルの声が響く。


 門番たちは「フォイエルシュタイン」の名を聞いた瞬間、軍式典のような精密さで最敬礼を捧げた。その視線は、セシルの背後にいるハルカを路傍の石ころでも見るかのように素通りし、金の髪がフードから流れ落ちているアリアを上から下まで眺めた。


 門が開くのを待つ間、アリアは防壁に目を向けた。

 白い壁一面に、銀の蔦模様が張り巡らされている。エデンの外壁にもあった、あの冷たい光だ。

 ハルカは懐から、水晶を組み合わせた小さな望遠鏡を取り出した。


「何それ?」

「シオンが作った特別製だよ。遠くを見るだけじゃなくて、術式の流れも少し見えるんだ」


 セシルが鼻を鳴らす。


「あいつ、こういう余計なもんばっか作ってたな。気味悪いくらいに便利だったが」


 ハルカは望遠鏡から壁を見上げ、ぽつりと言った。


「……シオンがいたら、こういう術式を見て嫌な顔をしただろうな。あいつは誰も気づかない術式の綻びを見つけるのが得意だったから」


 銀の蔦を見つめるハルカの横顔が、いつもより少しだけ遠く見えた。

 巨大な鉄格子の門が、ガラガラと重い音を立てて開いた。まるで巨大な獣が、獲物を飲み込むために口を開けているようだとアリアは思った。


「……ここからは気を抜くな、アリア。魔獣よりも始末に負えない人間どもが、うじゃうじゃいやがるからな」


 その声に、アリアは思わず背筋を伸ばした。


 門をくぐるとすぐ、豪奢なの飾り金具をつけた豪奢な馬車が待ち構えていた。

 中から恰幅のいい貴族が身を乗り出し、杖の先で窓枠を軽く叩く。


「セシル殿。お待ちしておりました。皇帝陛下より、今宵は我がランカスター家のタウンハウスへ招待するよう申しつかっております」


 セシルは面倒くさそうに片眉を上げた。


「……ずいぶん用意がいいな。」

「御子様をお迎えするのです。当然の“保護”でございましょう」

「歓迎痛み入る。…が、俺たちは急いでる。このまま聖樹のある宮殿へ直行だ。道を開けろ」


 セシルが馬を少し動かしながら冷たく言い放つと、貴族は困ったような、しかしどこか嘲るような笑みを浮かべた。


「それは叶いませんな。皇帝陛下は今宵、神殿での華やかな夜会にお出かけになられております。神官たちもその歓待にかかりきりでしてな。とても儀式どころではございません」


「……は?」


「陛下も『今宵は存分に楽しむゆえ、長旅の泥に塗れた者たちは、ランカスターの館で大人しく休ませておけ』と仰せでございます」


 その言葉に、セシルの紫の瞳がスッと細められた。 喉の奥で、低い唸り声が響く。


「……辺境じゃ魔獣が群がって民も騎士も血を流してるってのに、夜会でお楽しみ、だと? 」

「あぁ新聞で拝見しましたぞ。ご立派なことでございますなぁ。」


「…腐ってやがる」

「おや、何か?」


「……いや。仕方ねぇ、今夜は世話になる」

「よろしい!では後程!」


 ぱたりと窓枠が閉まると同時に、


「クソッタレ」


 セシルは馬車を睨みつけながら中指を立てた。

 馬車は魔法がかけられているのか燦然と輝きを散らしながら夜道をいった。

 恭しい声だったが、アリアにはそれが檻の扉が開く音のように聞こえた。



 ランカスター伯爵邸は、眩いシャンデリアと魔術工芸品で飾られていた。けれど、アリアが感じたのは歓迎の温かさではない。壁に刻まれた銀の蔦が、彼女が動くたびに「視線」のように追ってくる感覚。


 到着するやいなや、アリアはメイドたちに連れ去られ、浴室へと運ばれた。

 湯。香油。髪。ドレス。宝石。

 丁寧に扱われているはずなのに、まるでエデンに戻ったような息苦しさを感じる。


 湯上がり、メイドたちは熱いコテでアリアのハチミツ色の髪を丁寧に巻き上げ、高い位置でまとめ上げた。深紅のドレス、そして同じく深紅の長い手袋を纏わせた。


 ドレスの深い赤が、アリアの白い肌と黄金の髪を余計に際立たせる。

 胸の下で高く切り替えられた身頃は、細い紐で背中を結ばれ、アリアの身体にぴたりと沿っていく。紐が結ばれるたび、自分ではない何かに整えられていく気がした。

 襟元は浅く、広く開いている。白い肩先を小さなパフスリーブが包み、胸元は絹の内側で、丸く持ち上げられるように整えられていた。


 鏡を見る。

 旅での自分が嘘のように美しく着飾られていく。


 さらにメイドたちは、アリアの細い腕に何重もの金やダイヤモンドのブレスレットを通し、

 耳には重い雫型の耳飾りを、

 少し身じろぎするだけで、ジャラリ、と冷たくて重い音が鳴る。


 それは最高級の宝石だったが、アリアには、自分が金庫に繋がれるための『美しい鎖』にしか見えなかった。メイドが最後に、ハチミツ色の髪へ光沢のある黒のリボンを結び、豪奢なダイヤモンドのネックレスを首にかけた。

 その瞬間、鏡の中にいたのは、最高級の宝石として箱に詰め直された自分だった。


 廊下に出ると、扉の外にはハルカが立っていた。彼はいつも通りの、着古した軍服姿だ。


「…やぁアリアちゃん、スッキリしたかい?」

「ハルカは、お風呂に入らなかったの?」


「……ああ、僕はいいんだ。僕のような身分の者が、伯爵家の神聖な浴槽を汚しては、後でややこしくなる。後で使用任用を借りるさ。」


 ハルカは柔らかく微笑んだが、その目は笑っていなかった。彼はこの屋敷に入ってから一度も、椅子に座ることも、飲み物を勧められることもない。伯爵家の使用人たちは、彼を「従卒」としてしか扱っていなかった。


 ハルカは、これまでの旅路とは全く違うアリアを見つめた。


「変じゃない?」


 アリアは少し顔を赤くした。これまでエデンにいた時も、貴族の館に着くなり、人形のように着替えさせられてきた。けれど、こんなふうに洗練された大人っぽいドレスは初めてだったのだ。


 ハルカはうーんとわざとらしく顎に手を当て、首を傾げると、アリアの手をそっと取った。

 その青い瞳の奥に、いつもとは違う、熱を帯びた真剣な光が宿る。


「今からいうのは、本当のことだよ」


 ハルカはアリアの手の甲に軽く唇を寄せるような距離で、低く、甘く囁いた。


「すごく綺麗だ」

「え……」


 いつも通りの「アリアちゃん見違えたよ!」という軽いノリではない。一人の男として、心からの賛辞を贈られたアリアがドギマギと胸を鳴らした、その瞬間。


「何してんだよ」


 そこへ、一人の男が現れた。

 アリアは思わず息を呑む。いつもの無造作なセシルではない。銀髪は丁寧に後ろへまとめられ、黒に近い深藍の軍礼装に身を包んでいる。

 詰襟の白い襟元は喉元まで整えられ、胸元には斜めに走る銀糸の縁取りと、規則正しく並んだ銀釦が冷たく光っている。左肩には、同じ色の長いマントが流れるように掛けられていた。片側だけを覆うその布は、動くたびに重く揺れ、彼の背丈と肩幅をいっそう際立たせている。

 肩口には細い飾り紐が幾重にも垂れ、淡い光を受けて青い輝きを返していた。フォイエルシュタインの名を背負う者だけに許された、帝国上位貴族の礼装。


「おぉ、孫にも衣装だ。よく似合っているよ、セシル閣下」

「てめぇは気楽でいいよな、ハルカ。魔塔のやつらがこれを持ってきたんだよ」


 セシルは無言でアリアを一瞥すると、はぁとため息をついた。


「こういう貴族の邸宅で飯食ったことは?」

「……歌えって言われて行った時に、何度か」


 それを聞いたセシルは、無言でアリアに右腕を差し出す。彼女がその腕に手を添えると、彼は短く「行くぞ」とだけ告げた。その指先からは、かすかな焦燥が伝わってきた。


 晩餐の席へ入った瞬間、いくつもの視線が突き刺さった。

 セシルに向けられるのは、圧倒的な美貌に対する憧れだ。少し顎を上げるだけで広間の空気まで従わせてしまうような彼に、令嬢たちが扇の裏で息を呑む。

 けれど、彼女たちの視線を奪ったのはセシルだけではなかった。


 その少し後ろに控えるハルカ。

 金糸の刺繍も宝石もない、旅の埃を払っただけの軍服。椅子を勧められることすらない身分。

 それなのに、高く通った鼻筋と、シャンデリアの光を受けて深く澄んで見える青い瞳が、野の風に晒された若い樹のように際立っていた。


「……あれが、セシル様の従者?」

「平民の出と聞いたけれど、随分と背が高いのね」


 扇の影で囁く声。ハルカは気づかぬふりで穏やかに微笑んでいた。


「いやはやお美しい!クリスタルレイルの貴族からその噂はかねがね。」

「新聞で見たよりも幼い感じがしますわ」

「それでも大変お美しい。いや私に魔力があれば是非陛下に願い出たかった」


 先に座っていた貴族がザッと立ち上がり口々に褒めたてた。

 アリアはエデンで教わった通り、慣れないドレスの裾を少し持ち上げてカーテシーをした。


「オホメニアズカリオソレイリマス……?」


 完全にカタコトだった。  

 その時点で、隣にいたセシルが「プッ……」と吹き出してしまい、アリアはキッと彼を睨みつける。


 だが、その直後。アリアはある異変に気づいた。  

 案内された席には、重厚で豪奢な椅子が、なぜか「2つ」しか用意されていないのだ。

 ハルカは慣れた様子で何も言わず、アリアのためにすっとその椅子のひとつを引いた。


「さあ、アリアちゃん、どうぞ」


 アリアはスッと椅子に寄っていった。  

 誰もが、彼女がそのままお上品に座るのだと思った。


「じゃあ僕は下に行って、使用人の皆さんと食べてくるよ」


 ハルカは当たり前のように言った。

 アリアは左の眉をこれでもかと上げると、閃いたかのようにニコッと笑った。


 その瞬間。

 アリアは自分のために引かれた椅子に座る……ふりをして、ハルカの着古した軍服の腕を、ぐいぐいと力任せに引っ張った。


「え? ちょっと、アリアちゃん!?」


 慌てるハルカを、アリアは無理やりその豪奢な椅子へと押し込んだ。  

 そして、驚愕で目を見開くハルカの膝の上へ、ふわりと、何のためらいもなく、自分の深紅のドレスの裾を翻してストレートに腰掛けたのだ。


 食事は、貴賓である2人が座らないと他の貴族は座れない。

 女性であるアリアがまず一番先に座る。それはわかっている。でもアリアの中でハルカが一緒に食べないと言う選択はなかった。


「な、何をしておられるのですか、御子様……!?」


 広間の貴族たち、そして給仕をしていたメイドたちが、あり得ないマナー違反……いや、前代未聞の光景に一斉に絶叫しかけて口を覆う。  

 アリアは少し怒っていた。

 いくらエデンに閉じ込められて生きてきたと言っても、今、ハルカがぞんざいな扱いを受けていることくらいはわかっていた。


「だって、席がないんだから仕方ないよ。ハルカだけ食べないなんて無理。一緒に分けて食べよう?」

「い、いやいやいやアリアちゃん! 気持ちは嬉しいけど僕の立場ってものがあってだね?」


 ハルカは大慌てでアリアの細い腰を支えようとするが、下手に触るわけにもいかず、両手を宙に浮かせてオロオロと泳がせている。セシルは、背後に控えていた伯爵家の執事を、殺すような眼光で一瞥する。


「……おい」

  「ひ、はいっ!?」

  「椅子を用意しろ。俺の隣にだ。今すぐだ」


 フォイエルシュタインの次期当主としての、絶対的な命令。  執事は青ざめ、軍の突撃命令を受けたかのような素早さで、部屋の隅からもう一脚の豪奢な椅子を運んできた。

 セシルはその椅子を自分の右隣へガタァッ!と乱暴に叩きつけると、ハルカの膝の上に収まっていたアリアの脇に両手を差し込み、まるで子猫でも持ち上げるようにひょいと抱え上げると、隣の席におろした。


「ふん。席くらい用意させりゃいいんだよ」

「えー、僕はここに座っていいってことなのかな?あんまり同席したくないような」


「それでも護衛かよ」

「君にそんなことを言われるなんて驚きだね」


「黙って座ってろ」


 こうしてハルカ、セシル、アリアの順番に座ることとなっり、食卓は始まった。主従のガチギレ劇を余所に、ランカスター伯爵は何とか何気なさを装って、引き攣った笑顔のままその名を口にした。


「フォイエルシュタイン家といえば……術式師として名高いサーネルカ様は、お元気でいらっしゃいますかな?」


 何気なさを装ってその名を口にした。


 ――ぱち、と。

 乾いた音が響いた。


「始まったね」

 ハルカがセシルへ小声で呟いたのを、アリアは聞き逃さなかった。


 音は小さかった。けれど確かに、セシルの指先から青白い火花が弾け、彼が手にしていた銀のナイフの柄が、じり、と黒く焦げた。



「ああ」


 セシルは杯を口に運びながら、興味なさそうに答えた。


「元気でしょうね。元気でなければ、人の家の壁に自分の術式を這わせて回る趣味は続けられませんから」


「ふむ。あの方の防壁術式は、今や帝都の格付けそのものです。我が屋敷も、エデンの外郭も、すべてあの方の手が入っております。異常があれば即座に皇宮へ知らせが届く。実に画期的なシステムです」


 伯爵は嬉々として続ける。


「大変お高い品物でしたが、命には変えられませんからなぁ」


 伯爵は、「お高い」部分を強調したが、それは自慢に他ならない。


「なるほど知りませんでした。格というのは金で買えるのですね。」


 セシルの反撃に伯爵の片眉が上がるが、気にもとめない。

 セシルはナイフで肉を切りながら、涼しい顔で言った。


「つまり、あなたの屋敷の壁は今もサーネルカが覗いているわけですね。それを『画期的』と呼ぶ感性は、なかなか……独特です」


 セシルは少し顔をかしげ、優雅に微笑んで見せた。

 伯爵の笑顔が、一瞬だけ固まった。


 別の貴族が、扇で口元を隠しながら続ける。


「その画期的なシステムを独り占めされないところも素晴らしい。魔物に怯える我々を助けてくださった。誠に聡明でいらっしゃる」


「ソウメイ。ソウメイねぇ」


 セシルは、その言葉を舌の上で転がすように繰り返した。


「確かに。自分の力では開けられない扉を、合鍵を何本も作ることで解決する。それであらゆるものをのぞく。それを聡明と呼ぶなら、そうでしょうね」


 女性陣から「まぁ!」と驚きの声が上がり、クスクスとした笑いが漏れる。

 しかしセシルの目は、まったく笑っていなかった。


「それにしても…セシル様のお父上であるハーヴィ様も人がお悪い。絶世の美女と名高いジェシカ様をひた隠しにして、密かにあなた様をもうけて、あなた様をも隠しておられたのですからなぁ」


 その言葉が落ちた瞬間。

 セシルの紫の瞳から、スッと温度が消えた。

 広間の空気が、ビリッと肌を刺すような静電気を帯びる。


「……隠した、とは?」


 セシルはナイフをテーブルに置いた。カラン、という高い音が不吉に響く。


「あぁ失礼。十五年も次期魔塔主として育てられたにもかかわらず、実は真の後継者はすでに生まれており隠されていたとなれば、サーネルカ様の心境は計り知れないものでしょうと言うお話。でございます。」


 勝ったとばかりに伯爵が意地悪く微笑んだ。

 が、セシルも負けていない。


「それも面白い解釈です。では伺いますが」


 セシルは杯を持ち上げ、貴族を真っ直ぐに見た。


「あなたは宝石を、泥棒から隠しますか? それとも宝石に興味のない人間から隠しますか?」


 貴族は答えられない。


「あぁ。父が隠したのは、泥棒の方からです。念のため。」


 氷点下の微笑みだった。

 しかし意味をわかっていない貴族がなおも続けた。


「私は、サーネルカ様を尊敬しておりますよ。生まれ持った魔力量に恵まれた方ではなかったと聞きますのに。」


 どこか感心したように息をついた。


「フォイエルシュタインの血を引きながら、戦場で大魔術を振るうには足りなかった。ですが、その不足を補うために、幼い頃から術式理論を徹底的に学ばれたそうで。まだセシル殿が生まれていない時ですからご存じないかも知れませぬが。」


 セシルの指が、ぴたりと止まる。


「次期魔塔主となるために、必死で学ばれた。自らの魔力で押し切れぬなら、仕組みで支配する。力を集め、流し、増幅させる。そうして今では、帝国中の防壁に名を刻むほどのお方になられた。」


「……努力家って言いたいわけか」


 沈黙。

 カチャカチャとカトラリーの皿をする音がし、誰もが次の攻撃を待っていた。

 それまで黙っていたハルカが口を開き、セシルを援護した。


「人の家の壁に蔦を這わせることで自分の価値を証明する。……それを努力と呼ぶのなら、それはガラスでできたハンマーのようなものですね。」


 セシルが肉を切りながら、その言葉にニヤリと笑い、吊られたようにハルカも笑う。

 その場にいた数名だけがその意味を理解し、視線を泳がせた。


 シャンデリアの光が、チカチカと明滅した。

 このままでは、晩餐会そのものが雷で灰にされかねない。

 たまらずアリアの隣の貴族が、引き攣った笑いを浮かべながら話題を逸らそうと声を張り上げた。


「あ、あぁ!そうだアリア様!あなた様の住んでおられたエデンにも、あの方の術式が入っているとか。聖力保持者を、いささかの狂いもなく『保護』し続けるための、完璧な仕組みだそうですよ」


 アリアは、セシルとハルカが口で戦っている最中、1人むしゃむしゃとリスのように野菜と肉を頬張っていたので、いきなり振られて目がパチクリと瞬いた。


「ぐっ、え、エデンに、も?デスカ……?」

「えぇえぇ。新聞によりますと先日もクリスタルレイルに視察に行かれたとかー」

「……失礼」


 貴族の言葉を、セシルの低く、凍りつくような声が遮った。  

 いつもの粗暴な口調ではない。フォイエルシュタインの次期当主としての、ひどく洗練された、だからこそ背筋が凍るような冷酷な響き。


「彼の言った意味が、お分かりになっていないようなので」

「ッ……」


 紫の瞳に見下ろされ、貴族の喉がヒュッと鳴る。


「彼の努力は『ガラスでできたハンマー』だとハルカは言ったんだ。……これでご理解いただけないのなら、そうですね」


 セシルは薄く笑い、宣告するように言い放った。


「その術式も『泥でできたアクセサリー』のようなもの。……これで、ご理解いただけましたか?」


 ――奴の作った防壁システムを盾にして、俺を牽制しようなどと。大きく振りかぶって何かを壊そうとしても、一番に砕け散るのは己自身。 そして奴の作った防壁もそれと同じ。 


 その言葉の裏にある「いつでも殺せるぞ」というセシルの絶対的な殺気に、貴族はついに言葉を失い、黙り込んだ。


 その完全な沈黙の中。


 ――ギガッ!!

 大理石の床を乱暴に擦る、ひどく無作法な音が広間に響き渡った。


「えっ……?」


 アリアが小さく声を上げる。 セシルが、アリアの座る重厚な椅子の背を片手で乱暴に掴み、強引に自分のすぐ側へと引き寄せたのだ。


「ちょっ……危ない、セシル、何急に……」


 不意にバランスを崩したアリアが椅子の肘掛けにしがみつくと、腕に巻きつけられた何重ものブレスレットが、ジャラリと冷たい音を立てた。 セシルはアリアの抗議など気にも留めない。


 彼は青ざめる貴族たちを冷ややかな紫の瞳で見据えたまま、引き寄せたアリアの椅子の背に、ドサリと腕を乗せて囲い込んだ。


『二度と気安く話しかけるな』


 優雅に足を組みながら、貴族たちに微笑んで見せた。

 言葉には出さずとも、その野蛮なまでの威圧感が、嵐のように広間を吹き抜ける。


「……まぁ」 「なんてことを……」


 遠巻きに見ていた令嬢たちが、恐怖で顔を引き攣らせながらも、その圧倒的な力強さにどこか熱を帯びたため息を漏らし、互いに目配せをして扇の裏に顔を隠す。

 アリアだけが、アクセリーの重みと、すぐ真横から伝わってくるセシルの熱すぎる体温に挟まれて、ただ目を白黒させていた。


 しかし、伯爵はまだ諦めていなかった。


「ふむ。ではこの話はいかが?北部で村が消えた時、真っ先に防御術式を送ったのはあの方でした。皇室も貴族院も判断が遅かった。ですがサーネルカ様だけは違った」


 アリアは思わず顔を上げる。眉が苦しげに寄せられた。


「村が……消えた?」


「新聞で見ましたわ。結界の揺らぎで魔獣が流れ込んだそうで。逃げ遅れた領民のほとんどが食われたとか」


 それを言った女貴族は、悍ましいとばかりに口を扇子で覆った。

 伯爵がまた割って入る。


「あの方はその後、各地に自動防壁の術式を広められました。高値ではありますが、命には代えられません」


「それは便利ですね」

 ハルカが、冷たい目をして言い放った。


「便利、とは?」

 ハルカがにこりと笑った。

「ええ。便利すぎるくらいに」


 セシルが続ける。

「結界に弾かれた魔物がどの村へ向かうかは、設置した者には分かるはずですから。その上で、自分の領地だけ守るというのは……これを便利と呼ばずして何と呼ぶんでしょう。ぜひ、教えていただきたい」


 食卓の空気が、今度こそ完全に凍りついた。

 伯爵は慌てて「も、もちろん、領地へ魔獣が出た場合には軍を向かわせますとも」と杯を持ち上げた。


 安全。保護。管理。

 その言葉はどれも綺麗だが、アリアの胸の奥はざわついた。エデンでも、同じ言葉を何度も聞いた気がした。


 セシルは黙っていた。けれど、手元の銀のナイフの柄が、またジリリと焦げる。

 隣に座っていたハルカが、そっと身を乗り出した。


「セシル」

「あ?」


「食器は悪くないよ」

「知ってる」


「知ってるなら焦がさないであげなよ。銀製だよ、それ」

「替えりゃいいだろ」


「そういう問題じゃないんだよねぇ」

 ハルカは苦笑しながら、焦げたナイフをセシルの手元から静かに遠ざけた。その仕草があまりにも手慣れていたので、テーブルの数人がくすりと笑った。場の空気が、わずかに緩む。


 けれどアリアだけは、セシルの横顔を見つめていた。いつものように退屈そうで、何も気にしていないように見える。けれど、ほんの一瞬だけ弾けた火花は、彼の内側に隠れている苛立ちをはっきりと見せていた。


 サーネルカ。


 その名前を、セシルは嫌っている。ただの親戚の名前ではない。ただの跡取り争いでもない。その名が出ただけで、雷が漏れるほどに。セシルは空になった杯を置いて小声で言った。


「……サーネルカの術式は、美しすぎる。アクセサリーのようにな。」


 低い声だった。


「そして、美しすぎる檻ほど、中に入っている者は、自分が囚われていることに気づけない」


 食事が終わり、ホールへ通された。

 セシルが背をかがめて、アリアの耳元で囁いた。


「……いいか、アリア。この屋敷に咲く薔薇も、壁に刻まれた銀の蔦も、すべては『お前を見張るための目』だと思え」


 アリアの喉が、小さく鳴る。


「ここでは、息を吸うことさえも記録される」


 セシルは低く、アリアの耳元で囁いた。


 が、その瞬間。アリアの眉毛がびくりと跳ねた。


「ええっ、き、記録!?じゃあ私がさっき、こっそりクッキーを持ってきたことも……!?」

「……は? クッキーなんてどこにあんだよ」


 次はセシルが眉をひそめる番だった。

 アリアは「ここ……あぁ!?」と声を上げた。

 アリアがぎゅっと握っていた手を開くと、高級な長い手袋の中で、無惨にもボロボロに粉砕されたクッキーの残骸が転がっていた。


「サイドテーブルにあったんだもん……後で食べようと思って、持ってきたのに……」


 アリアの眉毛が分かりやすくハの字に下がった。

 はぁ、とセシルは盛大なため息をついた。

 先ほどまで貴族たちを恐怖に陥れていたその冷徹な顔はどこへやら、セシルはそばにいたメイドを指先で呼び寄せると、低く告げた。


「彼女の部屋に、最高級の焼き菓子をありったけ用意して頂けませんか。」

「は、はい、ただちに!」


 メイドは、アリアからクッキーを受け取るとき、明らかに「え?」と意味がわからないという表情を浮かべたが、セシルの視線に気付くと怯えながら一礼して去っていった。


 セシルは呆れたようにアリアの頭を軽く小突いた。


「そんなもん、俺がいくらでも用意してやる。行くぞ」

「えぇ……勿体無いのに……」


 去っていくメイドを名残惜しそうに見つめるアリアを連れて、セシルは歩き出す。

 晩餐会の華やかな音楽の裏で、アリアには壁の蔦が、自分を縛り上げる鎖のように見え始めていた。




 けれど、繋がれた自分の手を強引に、けれど決して痛くはない強さで引いていくセシルの手の熱さだけは、本物だった。

ついに後編スタートです!毎日21時に更新します。最後まで書き切っているのですが、どこで切るか悩みながらも…

リアクションやブクマいただけると、とても励みになります(^ ^) よろしくお願いします!


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