凱旋と旅立ち4
ゴブリンたちを下し、更に先へ。道は緩やかな上り坂が続き、道幅も徐々に広くなってきている。
そして、それまでただ風や鳥が立てた草木の音しかなかった空間に、ほんの少しだが別のものが入り込み始めた。
「聞こえたか?」
「うん。川が近くにあるね」
隣の彼女にも同じものが聞こえているらしい。
道を抜けた先に小さな渓流がある――村を出る時に門番が教えてくれた話が頭に蘇る。かすかに聞こえて来るこのせせらぎの方に向かっているのだとすれば、順調に進んでいるといっていいだろう。
一歩ずつ、その音ははっきりとしたものに変わってきている。
もう少しで渓流に出る――それを確信できた時、一際高い木が前方に現れた。
明らかに周囲のそれに比べて倍以上の太さを誇る、正に大樹と呼んでいい代物。道はその脇をぐるりと回るように続いていて、まるでこの森の道のゴールのように思える。
その巨木の根が辺りに広がっているからか、周囲の草木はその周りには存在せず、この大樹がそれらを圧倒しているようにすら思えた。
「随分大きな木だね」
リンが感心するように見上げながらそう言い、木の脇に伸びている道を進もうとした、まさにその瞬間だった。
「え――?」
彼女の動きが止まる。
歩いている途中で金縛りにあったかのように、その姿勢のまま。
「どうした?」
尋ねた瞬間、大樹の枝葉の隙間から差し込む日差しが、彼女の腕や胴体にむかって幾筋かの光が伸びているのを照らし出す。
「光……?」
直感がその正体にたどり着くのは、俺と彼女とで同時だった。
「蜘蛛の糸……ッ!!」
そしてその答え合わせのように、枝葉の隙間からさしていた日差しが陰に変わるのも、また。
「上だ!」
「なっ!?」
叫びながら剣を抜く。
同時に見上げたリンが反射的にファイアボルトを放とうと腕を突き上げ――次の瞬間、そのままの姿勢で腕が固まった。
「くうっ!!」
「リン!」
それまでと異なり、明確に姿をみることのできる太さの糸。直上から突っ込んできた人の指ぐらい太さのそれが、彼女の手首に巻き付いて動きを封じた。
そして、ギチギチと音が聞こえるほどの力で締め付けながら、その主の放射線状に開いた八本の足が、クレーンゲームのごとく一直線に落ちてくる。
ギガントスパイダー、名前だけは聞いたことがある、蜘蛛型モンスター。
「うおおお!!」
広げた脚部で獲物を捕らえ、溶解液で溶かして食らう――その話を思い出したのは、咄嗟に剣を構えたまま突撃した後。
「ッ!」
自らの糸に絡めとられたリンに覆いかぶさるべく落ちてきたそいつに、剣の切っ先を先頭に突入した所でだった。
「大丈夫か!?」
横やりに驚いたように飛びのいたギガントスパイダー。おそらく表面に浅傷を残しただけの剣を返してリンの手首を解放。
「ありがとう……ッ!」
そしてこれまた同時の動き=飛び退いたギガントスパイダーが攻撃姿勢をとるのと、それに気づいたリンが解放された右手で再度ファイアボルトの形をとるのと。
「あッ!!」
だが、彼女の詠唱が始まるのよりは、ギガントスパイダーが再度糸を噴射する方が速い。
――そして、剣の加護が俺の体を動かすのは、その糸が再度獲物を封じるよりも速かった。
「!」
自分でも何をどうやったのか分からない。
リンとギガントスパイダーの間に割って入るように飛び込み、その勢いのまま横薙ぎ一閃。
己の体の横を通り過ぎようとしていた奴の糸が、ふわりと勢いを失って辺りに散っていく。
「光よ、我が敵を射抜け!ファイアボルト!」
そしてその瞬間、残りの糸を蹴散らすような剛速球がギガントスパイダーを消し飛ばした。
戦闘終了。安堵のため息をついて剣を下ろす。
「リヒト!」
「なんとかなった――」
言いながら振り返った先、駆け寄ってきたリンの両手が、しっかりと俺のそれを包み込んだ。
「本当にありがとう!」
彼女の顔が、声が、ほのかな石鹸のような匂いが、近い。
「あっ、ああ……うん」
まっすぐこちらを見ている彼女と対照的に、俺はさっと目を下げた。自分の全身が、流れる血によって熱くなっていくのがわかって、顔がどうなっているのかも容易に想像がつく。
「その……け、怪我は……?」
「大丈夫だ。リヒトのお陰だよ」
自分で聞いておきながら、その返事で更にかあっと熱くなるのがわかる。恥ずかしくて、こそばゆい――だが不思議と、悪い気持ちはしなかった。
「じ、じゃあ……先に進もうか」
剣を腰に戻して歩き出す。
幸いというべきか、すぐに頭を切り替えられる要因が目の前に姿を現した。
「ここが門番の話していた渓流か」
「そうみたいだな」
森が唐突に開けて、所々舗装されていた痕跡が復活し始める。
これまでの道に対して直角に交わるように流れる渓流。谷底を流れるようなそれに沿って進めるように細い道が一本伸びている。
「こっちにしか進めないみたいだ」
左を見れば合流した場所からすぐ後ろで、恐らく落盤でもあったのだろう、大きな岩がいくつも積み重なって隙間なく道を塞いでいる。
それぞれの岩の間には隙間を埋めるように苔がむし草が伸びているところを見るに、こうなってから長いようだ。
あの門番がこの落盤を忘れているのでなければ、こちらとは反対方向に進めばいいはずだ。
「とにかく進もう」
そちらに背を向け、川を遡る形で進むことにする。その判断が間違いではないようだと思いが強まったのは、緩やかに左にカーブした川の先で、その川を渡る橋がかけられているのを見た時だった。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に




