98.花咲く祭りの狂奏曲 最終話
赤い瞳に青白い肌、そして、八重歯のようにも見える牙。噂に聞く吸血鬼の特徴と合致している。そして摩訶不思議なことに背中からコウモリのような羽根を生やし、羽ばたかせながら浮き上がった。
『おかげで皆を逃しちゃったじゃないか』
サムは老人のあまりの変わりようと異形の存在に度肝を抜かれ、脈絡のない夢を見ているかのような気分だった。しかし、危機感が彼を現実へと引き戻す。己の弱さは自分がよく分かっているからだ。人目につかない上に風上で煙を吸い込まずに済む裏口に回る。壊れた窓から様子を伺うことにした。あれがゲラーシムが警戒していた“墓守”なのだろう。
『僕が何をして遊ぼうとしたのか教えてあげよっか。知りたいでしょ? そこの坊やもさ』
こうなることはある程度覚悟していたが、いざ吸血鬼に呼びかけられると背筋が凍る。
『単純だよ。ある精霊を呼び出したいって人達がいたから、手をかしてあげることにしたんだ。生け贄の子ども達を集めるためにダンスパーティーを開いて、お菓子まで用意したんだよ。この廃墟にしちゃ上手くできていたでしょ』
ここに来るまでの出来事を思い返したサムは、ここに来てやっと状況を掴むことができた。
リンと廃墟に向かっているときに、突如、今いる建物の前で彼女が立ち止まったのだ。はじめは寝ぼけていて場所を間違えたのかと思っていた。そこに来るまでの道中、ずっと眠たそうに体を揺らしながら歩いていて、何度も何度も欠伸をしていたのだ。しかもやたら細くて暗い道に入って行こうとする上に何度か立ち止まっては辺りを見渡していた。周囲の視線が気になっているのかもしれないが、その様は返って不信感が増すほど。サムはあんな状態で本当に頼まれた仕事ができるのかと不安で仕方なかった。
連れ戻そうとすると、その建物に微かな違和感を覚えた。両隣の建物に見覚えがある。それに、彼女が近づこうとしている建物は明らかに周囲から浮いていた。よくよく考えれば例の廃墟は確かにこの辺りに建っていたような気がする。だから彼女の判断に任せてみることにした。
すると彼女は裏口のドアに手を当てる。どういうことだと尋ねても「見せかけ」としか答えない。サムとしてはそれが何のことなのかを説明して欲しかったのだが、元々無口な人、期待通りの答えは返ってこないだろうと思い諦めてしまったのである。
墓守の話と合わせるなら彼が廃墟の見た目を変える魔法を使って子ども達を呼び寄せ、おそらくリンの手によって魔法が解かれて元のぼろ家の姿に戻ったということだろう。一旦表口から外に出たときに外観を確かめたが、記憶通りの姿になっていた。
集会に来ていた人達の目的は不明だが、墓守としては集まった人達の血を狙っていたのだろう。
その時、目にも止まらぬ早さで鋭い爪がサムの首に飛んでくる。
(まずい!)
避けようとサムが判断する一瞬の間に、墓守は膝から崩れ落ちた。サムの首から少し離れた所で青白い手と赤黒い爪が震えている。これで喉を裂かれていたらひとたまりもなかっただろう。墓守はもう片方の手で目から鼻の辺りを覆っている。リンがランタンの油と一緒に燃やしていた木は芳香を放つのだが、微かな麻痺作用があった。一方の彼女はいつの間にか分厚い布で鼻と口元を覆っており、しかもある程度は慣れている様子。しかし元来嗅覚の鋭い吸血鬼にはかなり強い異臭となって不快感を与えており、サムを捉えるため急に体を動かしたことで麻痺効果の影響を強く受けてしまったのだ。
リンが素早く杖を掲げると、墓守はそれをはじき飛ばす。その勢いでリンも床の上を転がっていった。吸血鬼はゆらゆらと立ち上がり、倒れたリンを蹴り上げた。壁に思いっきり背中を打ち付ける少女。朽ちかけた木の屑がバラバラとこぼれ落ちる。骨が折れるまでには至らなかった様だが、体をよじりながら呻き声を上げた。
その様子を伺っていたサムの手にはナイフが握られている。
麻痺作用のある香木で弱体化させてもなお彼女が一方的にやられるという光景は人間と吸血鬼の差を如実に表していた。盗賊ギルド含め街中の人が彼を恐れ、対処に手を焼く理由である。
(できれば気を引くようなことはしたくないんだけどなあ)
相手に避けられる可能性が高い上に、攻撃が飛んでくるまでに逃げ切れる自信もあまりない。だが、このままリンが倒されるような事態はなんとしてでも避ける必要がある。おそらくそろそろギルドの他のメンバーが待機をしてはいるだろう。サム達がやられた時にはその人達がやってきて戦う手はずになっているはずだ。彼らが束になって戦えばギリギリ勝てるかもしれないが、その時にサムとリンは生きてはいないだろう。こんなところで死ぬわけにはいかない。
体の中心部分を狙ってナイフを投げた、すぐさま走る。どこまで追ってくるのかは分からない。
(けど吸血鬼が昼間に出るって聞いた事ないよなあ。部屋の中も暗かったし)
再び表口を目指す。そっちの方が日向で人目にもつきやすいからだ。さっきランタンの火が消されたおかげで煙も薄まっているような印象を受ける。
一方の墓守は手でナイフを受け止めようとするが、思い通りには体が動かなかったようだ。指先に刃が軽くふれて、肩の辺りに突き刺さる。
『あーあ、刺さっちゃった』
と墓守が呑気な口調で呟くと、すぐさまそれを抜いて放り投げた。床に落ちる鈍い音がする。そして血に濡れた傷口がみるみるうちに塞がっていった。サムがもう一度小窓から中の様子を見た時には外したのかと見間違う程であった。
だが、時間稼ぎの効果はあった。その間にリンは体を起こして杖を拾いに行く。立て続けに飛んでくる墓守の攻撃を杖で受け流し、僅かな隙を狙って金属のはめ込まれている先端で相手の鳩尾辺りを突いた。若干狼狽えているうちに間合いの外まで走っていく。動きは単調だが無駄のない捌き方。
(それ、魔法を使う為の杖じゃないのかよ)
心の中でサムが突っ込んでいる間にも、リンはナイフを拾う。やや青みがかっている血が滴り落ちた。
(吸血鬼の方に傷がついていなかったから外したかと思ったんだけど。あの血、色的に人間のじゃないよな。投げた位置からして逸れたとしてもリンには当たらないだろうし。じゃあ、当たってたのか? だったらなんで傷口が見当たらない? 良く見えてないだけか?)
墓守のカウンターを警戒して逃げていたために吸血鬼が持つ驚異の回復力を目にしていなかったサムは、混乱する一方だ。
ナイフを持ったリンがさらに奇妙な動きをし始める。墓守が体勢を立て直して飛んで来た瞬間、彼女は地面に向かってナイフを突き刺した。ドアから柔らかい光が差し込んでおり、影が伸びている。
次の瞬間、墓守が血を吐いてその場にうずくまった。片方の腕で腹を強く押さえ、もう片方の手で口元を押さえている。思わずサムは顔を背ける。
(え、なんで急に血を吐き出したんだ。え、普通に怖いんだけど)
リンはその姿を見下ろしながら杖を構えた。すると、辺りに散らばっていた木片や陶器の破片が浮き上がり、墓守を突き刺すように飛んでいく。それはどうにか腕を振って跳ね返したが、その後、悲痛な咳の音と共に血を吐いた。ナイフが刺さった時と打って変わって止まる気配がない。彼はその状態になりながらも、リンに話かける。
「なんか今日、やけに殺気立ってるね。ねえ、もしかして怒ってる?」
息を切らしたような掠れた声だが、おどけた口調は崩さない。それは余裕の現れなのか、虚勢を張っているだけなのか。しかし魔女は取り合わなかった。黙ったまま杖を構え続ける。杖の先端に稲妻のような光が走った。バチバチと音を立てて幾筋も流れ始める。
「あーあ、そろそろ潮時かなあ。魔法を使おうとしても、ことごとくフクロウ君に邪魔されるしね」
青年の姿をとっていた墓守の体がいきなり砂のように崩れ落ち、無数のコウモリに変わる。手の平ほどの大きさをしたコウモリが飛び散っていった。
サムは立て続けに起こった奇怪な現象に理解が追いつかず呆然としている。一方のリンは血だまりを見下ろしていた。その瞳には何も映っていない。
「あーどうしよ。……証拠品」
静寂に包まれた廃墟の中で蚊の泣くような彼女の声がやけに響く。そして淡々と地面に刺さっていたナイフを抜きに行った。確かに墓守を倒したと証明できそうな物は何一つ残っていなかった。彼は跡形もなく去って行ったのだ。
血のついたナイフなら残っているが、土がついたせいでそれが吸血鬼の血だと判断できなくなったし、サムとしては錆びついてしまう前に洗い流してしまいたかった。
ナイフを持ったままゆっくりとサムのいる窓のあたりを見やると、そこでようやく彼の存在に気づいたかのようにフードを被って顔を隠した。その仕草は恥じらっているようにも見える。
(多分報酬に関しては俺が見たままを伝えれば貰えそうだけどな)
しかし今はそのことを伝えるために話しかけることさえ憚られた。
怒っているかなどわざわざ聞くまでもない。彼女の沸点がどこにあるかなどサムには知るよしもなかったが、あえて推測するならば、彼女も目にしていたのだろう。背の低いお下げの女が逃げ惑う後ろ姿を。墓守がパーティーとやらを開かなければここで会うこともなかった人を。
こうしてパーティーは血の臭いと共に幕を閉じたのだった。
回収しそこなったナイフが「先日は助けてくれてありがとうございました。おかげさまで報酬も無事受け取ることができました」という礼の言葉と共にモモを経由して届けられたのは、それから五日後のことである。
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