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99.エルフの先生が来た ①

 段々と寒さが和らいできた頃のこと。桃とサムは普段あまり立ち寄らない通りに来ていました。グレアムのお兄さんが引っ越しをするということで、グレアムとお手伝いすることになったのです。お兄さんは大通りの西側の河川沿いに住んでいるとのことでした。サム曰く、ロッジ地区ほどの貧民街ではありませんが、安く借りられる家の多い地区だということです。


 確かにそこには傾きかけていたり、壁のはがれかけている建物が並んでいました。しかし、広場には楽器を奏でている人がいて、色鮮やかな像が建っています。殺伐としたロッジ地区とは違い楽しげな雰囲気。


「ここは元々船頭達が住む通りなんだけど、最近は街の外から来た芸術家っぽい人達が集まっているんだって」


 とグレアムが教えてくれました。


「えーっと看板、看板」


 お兄さんに教えてもらった看板の絵を頼りに家を探します。聞いていた通りの絵が描かれた看板の家を見つけると、


「確か、二階って言ってたんだよなあ」


 と独りごちるグレアムに続いて桃達も階段を上っていきます。上の階には廊下沿いに三つの部屋がありました。真ん中の部屋だけ扉が開いており、そこから背の高い男の人が顔を出しました。グレアムのお兄さんです。どれが彼の部屋なのかと迷わずに済みました。


「お兄さん、お久しぶりです」


 桃が駆け寄ります。


「久しぶり。悪いな、来て貰っちまって」


「全くだよ」


 お兄さんに被せるような勢いでグレアムが言い放ちます。顔を引きつらせたお兄さんは絵の具のついた白っぽい服を着ており、足元には重そうな木の箱が置いてありました。


 しかし、桃の目はある存在に釘付けになってしまいます。お兄さんの足を掴む白い手。


「あの……その方は……」


 そこには、銀色の髪を伸ばしたまま、床に腹ばいになっている女の人がいたのです。しかも


「行かないでええええーーー、ブラ坊~」


 と、小さなうなり声を上げていました。


「ほら、離れろって」


 捕まれた足を上げて女の人の腕を蹴ろうとしますが、彼女は腕を巻き付けてきます。


「あの、もしかしてエルフの方?」


 グレアムがしゃがんで恐る恐る尋ねました。


「もしかしなくてもエルフだよっ」


 少しふて腐れた口調で答えます。一方で桃は、少し離れたところにいるサムにエルフとは何かを聞いていました。


「うーん、人間に見えるけど、人間じゃない生き物ってとこか?」


 しかしサムの答えは随分漠然としたものでした。


「他に、その、特徴はありませんか?」


「知らないね。見たまんまあれがエルフなんだろ」


 といって顎をエルフの女性に向けます。サム自身よく知らないのだということが察せられました。


 お兄さんがエルフの女性を立たせます。白くて丈の長い上着には絵の具と埃が付いており、銀色の髪は胸の辺りまで真っ直ぐに伸びています。絹のような髪質ですが、毛先が不揃いなのが目につきました。白い肌と真っ直ぐな鼻筋で堀の深い顔をしており、橙色の瞳の奥には無邪気な光が宿っているよう。桃よりは大人びていますが、まだ若そうです。そして髪から飛び出るほどの尖った形をした耳が、彼女が人間ではないということを物語っていました。


「兄貴、一体どういう関係?」


 グレアムが疑いの目を向けると、お兄さんはエルフの女性を立たせながら答えます。


「隣の部屋に住んでる。それだけだ」


「ねーねーブラ坊、家主がさ、君がいなくなったらエリを追い出すっていうんだよ。ねえ、聞いてる? けっこう本気みたいなんだけどぉ」


「と、まあこういう状況で俺の部屋に入ってきたというわけだ」


「えっと、その、なんで兄貴が出て行くとお隣さんまで追い出されることになるのかな?」


 というグレアムの発言のおかげで、桃もようやく違和感に気がつきます。よくよく考えれば同居している訳でもないのに一緒に出て行く必要はありません。追い出されるとはどういうことでしょう。エルフの女性は周囲の会話などお構いなしに、お兄さんの服や短い髪の毛を引っ張ったり、頬をつついたりしています。


「あー、多分それは……引っ越し早々壁をぶち破ってきたり、いきなり入って来ては絵を描いてきたりしたからな。他にも色々やらかすから出禁になった店も沢山あるらしいし。俺の後に入ってくる奴と殺傷沙汰になる前に追い出したかったんだと思う」


「殺傷沙汰……へえ、なんか、物騒だね」


 グレアムは顔を引きつらせています。


 桃が部屋を覗きこんでみると、確かに壁に分厚い板が打ち付けられている箇所がありました。もしかしなくともあそこが穴の開いたところでしょう。しかも部屋のあちこちに変な色のシミが残っています。一部分だけ白くなっていることから一生懸命色を落としていたことだけは伝わってきました。


「えーやだやだやだ野宿とかやだー。寒いじゃん、凍え死ぬじゃん」


 再び床の上に転がっているエルフを見ると、初対面でよく知らないとはいえ、ある意味ただ者では無いことが伝わってきました。


(よく分らんけど、グレアムのお兄さんは心が広かったってことなんかなあ)


「野宿も何も、大人しく暮らしていればいいだけの話だと思うけど」


 サムがぼそりと呟きます。


「まあさ、家主も数日は待ってくれるだろ。住むところを探したらどうだ? そういや、元々は人探しをするためにこの街に来たって言ってなかったっけ。その人を頼ったら?」


「ああーーーーーー忘れてた。そうそう、会いに行くつもりだったんだよ」


 グレアムのお兄さんがなだめると、突如エルフの女性が頭を抱えて叫び声をあげました。


「もう結構経ってるんじゃねえか」


「やっばーい。あの子すぐ拗ねるんだよ。なんでもっと早く言ってくれなかったのさ」


 そして半泣きになりながらお兄さんの胸ぐらを掴んで前後に揺さぶっています。


「もう一年以上も前の話だしなあ」


 その会話を聞いていた桃とサムは顔を見合わせました。二人のやりとりの内容が飛躍しすぎていてすんなりと受け入れられなかったのです。


「人に会いに来たって言いました?」


「言ってたな」


「忘れてたと言いました?」


「言ったな」


「一年も」


「うん」


「何故ですか?」


「さあ?」


 サムは肩をすくめます。


「絶対怒ってるよお。どうしよー。あーやだやだ」


「むしろ今のうちに会っておかないとまた数年忘れるんじゃねえの?」


「忘れないよ、失礼な奴だなブラ坊は。ほら、弟君も何か言ってやって」


「あ、あはははは」


 反応に困ったのか、グレアムは軽く笑ってごまかします。


「でも、もし人探しが難航しているなら、荷物を運びがてらお手伝いしますよ」


「ほんと?」


 女エルフはグレアムの手を取って何度か小さくジャンプすると、そのまま小躍りしながら部屋の奥に入っていき、窓辺にいるひらひらした布、の中に収まっている黒くフサフサした生き物を抱えあげます。ブツブツ呟きながらその生き物の首に緑色の宝石がついた金色の首輪をはめさせて戻ってきました。


「お礼にこれあげる」


 その生き物はグレアムの腕の中でもぞもぞと動いています。フリルを幾重にもつけた薄紅色のドレスを着せられ、花冠のようなものを耳の辺りにはめ込まれています。額の辺りには白い模様が入っていましたが、その辺りだけ毛が不自然に堅くなっていることから、直接絵の具か何かを塗られているようでした。首輪も窮屈そうで、はずそうとしているかのように腕を動かしています。


(猫さんかな? おめかしのつもりなんやろうけど、ちょっとかわいそうやなあ)


 と桃は思いました。それはグレアムも同じみたいで、頭の冠を取り、首飾りを外します。そして腕を伸ばして猫を遠ざけるようにしてまじまじと見ていると、驚きの声をあげました。


「あれ、シャーロットちゃん? なんでここにいるの」


「その猫の名前? 知ってるのか」


 いつの間にか隣に来ていたサムが尋ねます。


「知ってるも何も、この子は僕の使い魔だよ」


「あの学校で貰えるってやつ?」


「そうそう。黒猫のシャーロットちゃん」


 猫の頭を撫でながら答えます。しかし、黒猫は首飾りから解放されると勢いよくグレアムの腕から飛び出していきました。


「痛っ」


 その時に引っかかれたらしく腕を押さえています。黒猫はそのままお兄さんの足元に顔をこすりつけます。


「飯はまだだぞ」


 と気の抜けた声でお兄さんが猫に話しかけました。サムは呆然としているグレアムを横目で見ます。


「その割には懐かれてないようですけど?」


「不思議だよね。学校に通ってた頃から兄貴の方に行くんだ」


「餌をくれるのが誰か、心得ているんだろ」


 その話を聞いていたのか、底の浅い皿に入った水を猫の前に置きながらお兄さんが言いました。グレアムは僅かに眉をつり上げます。しかし、何も言い返しませんでした。


 中をくりぬいて作ったような木の皿で、側面にヒビが走っています。指の爪ほどの小さな傷でしたが、そこからぽたり、ぽたりと水が滲み出ていました。猫の毛並みは存外艶やかで、足にも泥の跡がありません。皿の縁に爪を立てるようにしながら、小さな舌で水を舐めていました。気持ちよさそうに喉を鳴らします。


 グレアムは使い魔と言っていましたが、フランが連れている狐のように話すわけでもなければ、リンが連れているフクロウのように人の体を乗っ取る様子もありません。


「なんだか、普通の猫さんに見えます」


「うん。フランはお嬢様だから置いておくとして、大概の人は何の変哲も無い動物を連れて授業を受けていた気がする。ぶっちゃけただのペットだよね」


「授業ということは、お兄さんの使い魔はいるのですか?」


「俺の時はまだ、魔法の授業なんてものは無かったな」


 床に散らばっていた服を手早く畳んで箱に入れながらお兄さんが口を挟みます。


「確か、丁度僕と兄貴の間の年の人が中等部に入った時に始まったんだよね」


 グレアムとお兄さんは四歳ほど年が離れていました。たった四年の間に学校で教わることが変わるというのは桃にとって不思議なことに思えました。目まぐるしく変わっていくブラッドリーの街は故郷より時間が早く過ぎて行くような気がします。


 ところで、そろそろ荷物を運び出さないと、引っ越しが終わらなくなってしまいそうでした。元々何日かに分けて運び出す予定でしたが、少なくとも当分の生活に必要な物は今日中に持っていく予定です。桃達はすでにまとめられている荷物を持って階段を降りていきます。女エルフがお兄さんの部屋の窓辺にあった置物を持って、彼らの後ろについて行きました。


「あの、それは後からで良いんだが」


 ためらいがちにグレアムのお兄さんが話しかけます。


「これ、なかなかセンスあるよね。古い海の神だ」


 全くかみ合ってない返答。青白く、銛に蛇のような物が絡みついた武器を手にしている男の像。彼女は片手でも十分つかめる大きさの像を丁寧に両手で抱え、そのざらついた表面を興味深げに撫でています。筋肉のついたうで辺りは絵の具がはがれかけていて、白い石がむき出しになっていました。


「まあ、それはよその街に行ったときに押しつけられたものなんだけど」


「借金しておいてそんなもの買ってたわけ?」


 グレアムが苛立ちを抑えきれずに言い放つと、ぶっきらぼうな声音で


「もらい物だ。押しつけられたんだ」


 と返しました。


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